伯爵令嬢、選択する者を見送る
しばしの沈黙の後、迷惑客たちは困惑した表情のまま、しかしフェイの提案に乗るように重たい腰を上げた。
その場に居合わせた私たちは、ただ呆然と立ち尽くす。
彼らが去っていく姿を見送ることしかできずにいた。
──けれど、ただ一人だけ違った。
レオノーラが手に鍋を持ち、音を立てぬよう小さく息を吐いて彼らを追ったのだ。
中に入っているのは水。
わずかに手が震えているのは、鍋の重さだけのせいではないように思えた。
私はその背中を見て、問いかけようとした。
けれど言葉が喉にかかったまま出てこない。
次の瞬間、店の外に出た男たちの背に──ばしゃりと水がかけられた。
驚いた声、抗議の声。
レオノーラはひるまず、濡れ鼠となった彼らを睨み据えて言った。
「自分の人生を変えようって時に、なんなのその顔! もっとしゃんとしなさい!」
強い声音。
けれどその奥に、震えるような熱があった。
男たちが反発しようと口を開きかけた瞬間、レオノーラはさらに声を張り上げた。
「差し出された手を掴むのは、簡単じゃない! ……わたしだって、そうだった。失敗して、恥をかいて……全部終わりだと思った。でも、それでも掴み直したの!」
握り締めた鍋の縁に、力がこもっている。
それはまるで、自分に言い聞かせるようでもあった。
「情けない顔してたら、せっかくのチャンスなんて、すぐにすり抜けるのよ! ……それでも、掴み続けてる人だっている。あの子みたいに」
レオノーラの視線が、ほんの一瞬だけ私をかすめた。
その眼差しに、私自身が胸を突かれる。
──彼女が今言っていることは、私に対する敬意でもあり、彼女自身の痛みからくる実感でもあるのだ。
ずぶ濡れの男たちは、困惑と怒りに揺れながらも、やがて力なく俯いた。
叱咤の中にこめられた切実さが、ゆっくりと彼らの胸に沈んでいく。
「……すまねぇ」
男たちの一人が、絞り出すように言った。続いて、口々に謝罪が重なる。
レオノーラは肩で息をしながらも、少しだけ口元を引き締め直した。
「その言葉はわたしじゃなく、あの子たちに言ってあげて」
そう言って、ティーツリーの厨房から覗くメアリとノアを指差す。
突然のことに戸惑った二人を、男たちはしばし無言で見つめ──そして一人がはっと顔を歪めた。
「そうか……オレは……なんてことを」
その目から涙が零れ落ちる。
必死で自分を正当化していた悪事が、今になって剥がれ落ちていく。
「すまねぇ、本当に……すまねぇことをした」
怯えながらも、メアリとノアは黙ってその謝罪を受け止めていた。
それは、彼らにとって初めての「贖い」の一歩に見えた。
重たく、けれど確かに空気が変わっていく。
その一部始終を、フェイは黙って見守っていた。
やがて、静かに椅子を引き立ち上がる。
「……では行くぞ」
低く落ち着いた声が、場を締めくくるように響いた。
導かれるように、男たちは彼の背を追って歩き出す。
その時、フェイの視線が一瞬だけ私に向けられた。
ほんの僅かな目配せ。──いや、小さく唇が動いた気がした。
『後で話がある』。
その合図を受け止めた瞬間、胸の奥がざわめく。
何を告げられるのか。
期待と不安が入り混じったまま、私は動き出す男たちとフェイの背中を見送った。




