伯爵令嬢、商人の案を聞く
「具体的には、どういう手があるの?」
私がそう尋ねると、アルくんは一度顎に指を添え、小さくうなずいた。
「大きく分けて三つあります。どれも、簡単ではありませんが」
彼の目が静かに、まっすぐこちらを見つめていた。
「一つ目は、改正案自体を政治的に潰す動き。議決前に反対派の力を結集して、提案そのものを棚上げにする方法です」
「……それって、つまり議会での根回し?」
「はい。政治サロンや議員間の票集め。口利き、もしくは別法案との“取引”も含めて。ここまで行くと、もはや僕たち個人では手の出ない領域になります」
「ふうん……」
レオノーラが腕を組みながら、少し難しい顔をしている。
「でもそれって、通す側が侯爵派なんでしょう? その力に対抗できる議員が、今どれくらいいるのかしら」
「ほとんどいませんね。だからこれは、あくまで最も“理想的”な筋です」
ジュヌヴィエーヴさんも頷く。
「実現性は限りなく低いわ。侯爵派が議会で圧倒的多数を占めている現状ではね。私たちが入り込む余地はほぼないでしょう」
「じゃあ、二つ目は?」
「条文の修正を求めることです。拡張や地元型店舗の扱いに関して、“例外措置”を明文化させる。既に運営されている商店が不利益を受けないよう加筆を求める形ですね」
「なるほど……」
私は、これは少し現実味があるのではと感じた。
「例えば、ティーツリーのように──地元の茶葉を扱っていたり、その地域に根ざした取り組みをしている店舗を守る条文……とか?」
「ええ。地元貢献の実績などが指標になりうる、と言われています。もちろん、それをどのように“実績”として評価するかも含めて、まだあいまいですが」
「……でもそれって、“誰が評価するのか”にすごく左右されない?」
レオノーラが眉をひそめた。
「公平な基準がない以上、“これは貢献している”っていうのを決める側に好き放題されてしまうのでは?」
「おっしゃる通りです。そこが最大の問題ですね」
アルくんはうなずくが、その表情に諦めはない。
「でも、求める姿勢を見せておくことで、“修正の必要がある”という空気を作ることはできます。そうなれば、拙速な可決にブレーキがかかる可能性もある」
「……回りくどくはあるけど、筋は通ってるわね」
ジュヌヴィエーヴさんが、静かに言った。
「その動きは、私たちサヴォワ商会でもできないことではない。……けれど、商業評議会内部での根回しには限界があるわ。バイン商会はこの法案を歓迎している側だもの」
アルくんは、少しだけ笑った。
「だから三つ目。……これは、奇策に近いですが」
私とレオノーラは、自然と前のめりになる。
「“民意を動かす”という方法です。地元の庶民たちに『この法案が可決されることでどんな不利益が出るか』を伝え、圧力として利用する」
「庶民に……?」
私の中に、不安が湧く。
法案なんて、関心を持たれにくいだろうし、そもそも何が問題なのか理解してもらうだけで時間がかかるはずだ。
「例えばですが、ティーツリーがこの街にあることで、どれほどの人が働き口を得ているか──そういう話から始めると、比較的理解は得やすいんです」
エグランティーヌの名前は──この時、アルくんは口にしなかった。
けれど、頭のどこかで彼がそれを視野に入れていることは分かる。
「でも、それって……商業評議会が“世論”に耳を傾けると思う?」
レオノーラが問うと、ジュヌヴィエーヴさんが首を振った。
「形式上は民意を尊重すると言うでしょうけれど、実際はどうかしらね。むしろ“扇動”と見なされて、商会としての評判を落とす可能性すらある」
「……うまくやらないと、反動を食らうわけね」
「そう。でも“やり方”と“言葉”を慎重に選べば、有効打になる可能性もある。世論が味方になれば、侯爵派だって完全には無視できないわ」
議論が一段落したところで、私はふと、ジュヌヴィエーヴさんの手元の茶器に視線を落とす。
少し冷めかけた紅茶の表面に、自分の顔が淡く映っていた。
私は今、自分で自分の生き方を守るために、誰かと議論をしている。
それは、かつて父の隣で聞き流していた“政治”の授業よりも、よほど現実味があった。
世界はこんなふうに動いていて、誰かがどこかで選び、決め、流れを作っている。
ただ夢見ているだけでは、押し潰されてしまう。
でも私は、そう簡単には退かない。
──この店を守るって決めたから。
──みんなとここで笑っていたいから。
「とりあえず、どの案も簡単じゃないってことね……」
私は、軽く息を吐いた。
でも、焦りだけが募るわけではなかった。
“何もできない”とは思わなくていい。
アルくんの言葉は、それを教えてくれていた。
「……それにしても、あなたって本当に十歳なの?」
ぽつりとレオノーラが漏らすように言った。
その声音には、呆れと、ほんの少しの感嘆が混じっていた。
まるで、大人のように整った論を展開し、しかも現実的な着地点まで見据えているその姿に、私だって少なからず驚かされていた。
するとアルくんは、少しだけ眉尻を下げて、口元を恥ずかしそうに緩めた。
「ええと……じつは、ですね」
あどけなさの残るその顔が、ほんのり赤くなる。
「……ほとんど、フェイさんの受け売りなんです。こういう話、よくされるので。話してるうちに、なんとなく覚えてしまって……」
言いながら、頭をかいて目線を逸らすアルくんが、ようやく“年相応の子供”に見えた。
「フェイさんって……?」
レオノーラが目を細めた。
彼女がティーツリーに来てくれてから、フェイとしてヴィクトル公爵が変装してきたことは無いので、直接の面識がないのかも。
マリアからヴィクトル公爵についての話を聞いた、とレオノーラは言っていたので、フェイ=ヴィクトル公爵というのは何となく理解はしていそうだ。
「うん、そうです。でも、ただの旅人さんじゃないですよ。ときどき、妙に鋭いこと言うんです。あの人の話、商人としてけっこう役に立つんですよ」
そう言うと、アルくんはいたずらっぽく笑った。
商売の話を時折していると聞いていたけれど、ここまで具体的な戦略を話していたなんて。
ヴィクトル公爵は、アルくんの才を高く評価しているのだろう。
「受け売りでも、それだけ理解して話せるなら、すごいと思うわ」
私がそう言うと、アルくんは少し照れくさそうに目を細めた。
その笑顔を見ていると、ほんの少し、心が温かくなる気がした。
難しい話のはずなのに。
こうして一緒に考えてくれる人たちがいて、意見を出し合えていることが、妙に心強かった。




