伯爵令嬢、新法について知る
ティーツリーは定休日だった。
大家のギャランさんから聞かされた話を、ジュヌヴィエーヴさんに相談するため、サヴォワ商会を訪ねることにした。
休みだというのに、レオノーラが快く付き添ってくれた。
メアリとノアも一緒に行きたがったが、「難しい話になりそうだから」と言い含め、今日は留守番をお願いすることにした。
マリアが「せっかくだし、料理でも教えてあげようか」と笑いながら二人の相手を買って出てくれたのはありがたかった。
サヴォワ商会の会館。
高くて重たい扉の前に立つと、いつもより少しだけ肩に力が入る。
今日の私は、そこの玄関先で、控えめにベルを鳴らす来客のひとりだった。
応対に出てきたのは、以前も顔を合わせた老執事だった。
「約束もなく申し訳ありません。ジュヌヴィエーヴさんにご相談したいことがあって……」
そう伝えると、老執事は目尻を和ませるように優しく笑った。
「ジュヌヴィエーヴ様は、お嬢様のご来訪なら歓迎であると、常々仰っております。どうぞ、お入りくださいませ」
中に通されたのは応接室ではなく、控えの間だった。
「先客がおりましてな。お時間を少々頂戴いたします」
「いえ、こちらこそ突然伺ってしまって……」
少し前の私なら、こうしたやりとりにすら戸惑い、おろおろしていたと思う。
けれど何度か足を運ぶうちに、ここでは貴族の娘ではなく、一人の“エレノア”として迎え入れられている感覚を、少しずつ得るようになっていた。
一方で、初めてこの屋敷を訪れたレオノーラは、背筋をぴんと伸ばして座っていた。
緊張が隠しきれない表情に、どこか貴族令嬢としての昔の面影を感じる。
この空気に触れ、彼女もまた忘れかけていたものを思い出したのかもしれない。
その様子を隣で見ていると、ふっと肩の力が抜けて、思わず口元が綻んだ。
しばらくして応接間に通された。
先客とは、少年商人のアルくんのことだった。
「せっかくですから、アルくんにも一緒に話を聞いてもらいましょう」
ジュヌヴィエーヴさんの提案に、私も自然と頷いた。
「それは、最近噂に聞く『商会法改正案』が関わっているかもしれませんね」
無邪気そうな見た目とは裏腹に、アルくんは静かで落ち着いた声でそう言った。
「商会法改正案……?」
耳慣れない単語に、私は思わず問い返す。
レオノーラも、隣で小さく首を傾げていた。
「まだ噂レベルなので真偽は不明ですが──」
そう前置きしてから、アルくんは簡潔に説明を始めた。
「『商会法改正案』とは、新しく店を開く際に規制をかけるための法律です。正確には、商会連盟の下部組織、たとえば南部商業評議会のような機関が、その裁量で新規出店を精査できるようにするという内容ですね」
「新しい店に制限を……それって、うちの拡張が止められたことと……」
「直接の関係は断言できませんが、もしその法案がすでに動いているのなら、高い確率で影響していると見ていいでしょうね」
私の疑問に、ジュヌヴィエーヴさんが静かに補足した。
「でも、拡張って新規出店とは違うはずよね?」
「ええ、本来なら別扱いのはずなんですが──」
アルくんは言い淀みながら、少し困ったように口角を下げた。
「今回の場合は、“ティーツリーそのものの開業が適正だったかどうか”というところまで遡って見直しが入っているようなんです」
「な、なにそれ……」
頭がついていかない。
過去まで遡って不備を見つけ、今に繋げようとするやり口に、寒気がした。
「『商会法改正案』の建前は庶民保護なのよ」
ジュヌヴィエーヴさんの声は、皮肉交じりに聞こえた。
「後から貴族系商会が地元の小さな商店の隣に新店を構え、市場を奪って潰す──そうした事例を防ぐため、という表向きの理由。……でもね、実際にこの法案を推しているのは侯爵派の貴族たち。そして、その精査権限を持つのもまた、彼らが牛耳る商会連盟やその下部組織よ」
つまり、制度という形を取りながらも、その実態は権力による選別だった。
「でも、どうしてグリンフォードの店舗申請が南部商業評議会の管轄なの? 王都から二、三日の距離なら、中部じゃないの……?」
素朴な疑問が口をついて出た。
「それはグリンフォードの歴史的な経緯によるものよ」
ジュヌヴィエーヴさんは、椅子に背を預けながら静かに言った。
「もともとこの街は、王都から落ち延びた者たちが作った街なの。中央の支配から距離を取った“辺境”という立場を、今も引きずっている。だからこそ名目上は南部に分類され、中央の目が届きにくい。そのせいで、私たちサヴォワ商会の発言力も、南部評議会内では決して強いとは言えないわ」
「……つまり、バイン商会がそちら側に手を回した、ってこと?」
「ええ。ティーツリーを支援する私たちの動きを警戒して、別ルートから先手を打ってきたのよ」
その言葉に、ジュヌヴィエーヴさんの声がかすかに震えた。
冷静な口ぶりの奥に、悔しさが滲んでいた。




