Ex.4 冷徹公爵、謀略の影が迫る
帝都に来てからというもの、朝になれば報告書の山、昼になれば挨拶と駆け引きの嵐、夜には噂と謀略の影。
時に騎馬より速く、時に毒より静かに──政というものは、相変わらず容赦がない。
帝政に移行して三十五年が過ぎ、かつて王政を揺るがした革命の熱はすでに冷めたかに見える。
だが実際には、あの変革の波に乗りきれなかった者たちの遺恨と、恩恵にあずかれなかった新世代の不満が静かに澱のように積もり始めている。
書斎の窓から望む王都の空は高く、秋めいた風が吹いている。
遠くで鐘の音が聞こえた。
私は背もたれに寄りかかり、目を閉じて思案を巡らせる。
「──やはり、彼の動きは“それ”を狙っているのでしょうね」
そう口にしながら振り返ると、書棚の前に立っていた老執事が、眼鏡の奥から私を静かに見返していた。
クラウス=エルバート。
父の代から私家に仕え、私にとっては執事以上の存在。
剣を教えてくれたのも、外交文書の読み方を叩き込んだのも彼だった。
「ギルバード侯爵のことかと存じますが──ええ。おそらくは“監察局”の創設、それが狙いでしょう」
彼は手にしていた革張りの資料帳を机にそっと置き、柔らかい所作でページを開く。
「“軍の政治的中立性を監視するための新組織”という建前ですが、内実は明らかに、軍部におけるシュトラウス派の摘出が目的。侯爵閣下の狙いがそこにあることは、火を見るより明らかです」
私は椅子に腰を下ろし、うんざりしたように額を指でこすった。
「──“軍の信頼回復”という美名のもと、兵士に兵士を監視させる構図を生むわけか。くだらない……」
「ですが、陛下はその提案を好意的に受け取られているようです。反乱の再発を懸念する国民感情の高まりも、背後にございます」
私は小さく舌打ちした。
「民衆の不安に寄り添っている“ふり”が、やけに板についてきたな、ギルバードは」
「……彼に“巻き込まれる形”で同調を迫られているのが、現状の貴族たちです。そして、その中には──」
「私の名も、含まれている。ああ、わかっているとも」
椅子の肘掛けを指先で叩きながら、私は低く息を吐いた。
内心の焦りが音に出たことを、クラウスは見逃さなかった。
「公爵様、先ほどから、言葉の端々にございます。──これは“政局”だけの話ではない、と」
私は苦笑した。
やはりこの男は鋭い。
「……彼らの狙いは“粛清”だ。政治思想に染まった軍部を洗うふりをして、都合の悪い者を次々と落とす。私が何か言えば、今度は“公爵の中立性が疑われる”という筋書きで動くだろう」
「おそらく、ですが。侯爵閣下の“監察機関”設立の裏には、貴族間の勢力図を一度塗り替える意図がございます。軍部を挟んで、貴族と皇帝、そして官僚たち──三者の力関係が、今この瞬間に揺れている」
「……そして、揺れているものはいつか、崩れる」
「それを防ぐお立場にあるのは、今や公爵様、あなたをおいて他にはいらっしゃいません」
クラウスの言葉には、いつも重さがある。
諫めるでもなく、持ち上げるでもなく、ただ事実としての重さだ。
だが私は、その“重さ”が──今は、少し苦しかった。
「……こんなに、己の一手が誰かを巻き込むのではないかと恐れる日は、なかったな」
ぽつりと零した言葉に、クラウスは応じない。
黙って、ただ静かに紅茶を差し出してくる。
受け取り、口をつけて、それでもなお口の中に残る苦味に、私は笑った。
「クラウス。私はやはり、“旅人”でいた方が性に合っていたのかもしれないな」
「それでも、陛下が“公爵”を必要としておられるのです。“旅人”には、国は託せませんので」
「……皮肉だな。あの店では、誰よりも無力な一客でありたかったというのに」
その言葉に、クラウスがようやく口元だけで微笑んだ。
「お嬢様方は、そうは思っておられないでしょう」
その穏やかな声に、私は何も返せなかった。
窓の外では、王都の空がゆっくりと夕焼けに染まりつつあった。




