伯爵令嬢、ライバル店の動きを知る
扉に吊るした真鍮の鈴が、心地よく鳴った。
馴染みの音に、私は思わず口元を緩める。
「いらっしゃいませ。あら、今日もお着物が素敵ですね」
「あらエリーさん、わかっちゃう? 季節の先取りなのよ。ほら、エグランティーヌって若葉の香りがするじゃない? それに合わせてみたの」
おなじみのメリンダ夫人は、そう言って席に着くなり、こちらに微笑んだ。
「そうそう、ティーサロンのほうでも最近“エグランティーヌ”が出始めたらしいわよ。やっとあのお店も目をつけたのね。地元のお茶が注目されて、なんだか嬉しくなっちゃった」
「まぁ、それは素敵なことですね」
私は笑顔を保ったまま、ゆっくりと相槌を打つ。
「ティーサロンの方でも扱うようになったんですね……」
ポットに湯を注ぎながら、言葉の続きは飲み込んだ。
“本当に偶然だろうか”という疑念が、紅茶の湯気に紛れて胸の奥をくすぶっていた。
でも、顔には出さない。
ここはティーツリー。
ここに来る人たちは、笑顔とお茶を楽しみにしている。
私情を混ぜ込む隙は、ない。
昼を過ぎるころには、客足もひとしきり波に乗っていた。
外の陽射しが強い日ほど、この店の陰影は落ち着きを生むらしく、今日も変わらず席は埋まっている。
カウンターの端で、メアリとノアが手早く食器を下げていく。
慣れない手つきに見えていたのも、もうずいぶん前のことのようだった。
「ノア、ありがとう。メアリも、皿の仕分けが早くなったわね。もうすっかり、うちの看板娘と看板坊やよ」
「えへへ」
「……看板坊やって何かダサい」
ふたりの笑い声が重なって、私はふっと頬を緩めた。
この子たちに居場所があるなら、それだけで今日は、いい日だ。
でも──頭のどこかでは、ティーサロンの名前がまだくすぶっていた。
夕方、店内の空気が少し落ち着きを取り戻した頃。
マリアが一通りの皿洗いを終えたタイミングで、そっと私に耳打ちした。
「エリー、ティーサロンの動き、お客さんから聞いた? エグランティーヌを出し始めたって。たぶん、こっちに真っ向勝負を仕掛けてきたんじゃないかしら」
「……そうね。やっぱりそういう流れよね」
私は答えつつも、どこか予感していたような気がしていた。
「でも、前にやってた外国茶葉のイベントとかに比べると、インパクトは薄いってお客さんは言ってたわ。まあ、まだ様子見ってところかしら」
マリアの口ぶりは冷静だったが、そこには探るような視線がある。
私はそれに応えるように、言葉を選びながら続けた。
「うん……でも、レオノーラの接客はとても評判がいいの。彼女がいるだけで、あのサロンが“特別な場所”に見えるのは変わらないわ。油断は、できない」
「ま、そこはエリーの笑顔と気配りで勝っていきましょ。あの店には、こんな柔らかい空気は出せないもの」
マリアはそう言って私の肩を軽く叩いた。
少しだけ、背中が温かくなった気がした。
それでも、今日のこのタイミングで、あの人が来ないことに──私は少しだけ気を取られていた。
窓際の、いつも彼が座る席。
無愛想にお茶を啜り、それでもほんの時折、ぽつりとひと言だけ心を軽くするような言葉をくれる。
「……今日は来ないのね、ヴィクトル様」
ぽつりとつぶやいた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
私はすぐに首を振る。
誰かの後ろに隠れていたくて、この店を始めたわけじゃない。
たとえ彼がいなくても、私は、店を、子供たちを、守っていかなきゃならない。
「──さあ、そろそろ夜の支度をしましょ」
誰にも聞かれないように、私は自分自身に言い聞かせるようにそう言った。




