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伯爵令嬢のカフェ開業計画~冷徹公爵様、貴族らしからぬ店に入り浸る~  作者: 清泪(せいな)


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伯爵令嬢、客足が戻ってくる

 あれから一週間ほどが経った。


 ”お茶会”でエグランティーヌを披露して以降、ティーツリーには少しずつ客足が戻ってきている。

 閑古鳥が鳴いていた日々が、まるで遠い過去のようだ。


 ――とは言っても、戻ってきた客層は以前とは少し違う。


 ティーツリーの常連だった町の奥様方やお茶好きの学生たちの姿はまだあまり見えない。

 その代わりに目立つのは、旅の商人風の男性や、地図を片手にした旅行客らしい人々。

 どこかよそよそしく、けれど好奇心に満ちた顔つきでメニューを眺め、口を揃えて注文する。


「……エグランティーヌ、ひとつ」


 やっぱり。

 私は静かに笑みを浮かべ、そっと頷いた。


「かしこまりました。おすすめの淹れ方で、お出ししますね」


 彼らの話によると、どうやらレンバー地区で買い物をしていたとき、どこかの店主に「グリンフォードのことを知るなら、エグランティーヌを飲めばいい」と勧められたらしい。


 レンバー地区――老舗の店主たち。

 あの”お茶会”に参加してくれた人たちの顔が思い浮かぶ。

 無愛想な魚屋のご主人や、口うるさい仕立て屋の奥さん、活気のいい乾物屋の若旦那。


「……ふふっ」


 思わず声が漏れた。

 大げさな宣伝なんてしない人たちだ。

 でもきっと、誰かがそっと、お客さんの耳に囁いてくれたのだろう。


 “あそこのお茶、なかなかいいよ”――そんなふうに。


 その日、昼下がりの柔らかな光の中で扉が開く音がした。

 視線を向けると、そこに立っていたのは……久しぶりに見る、本来の姿。


「……あ」


 思わず、口元が緩んでしまう。

 背筋の通った立ち姿、控えめながら品のある黒の装い。

 旅人という仮面ではない、地のままの彼――ヴィクトル公爵閣下。


「勝手に座るぞ」


「はいはい、どうぞご自由に」


 いつものように、彼は私の返事を待つでもなく、窓際の一番奥の席に歩いていく。

 背中越しに見える横顔は、いつだって静かで、少し不器用だ。


「ご注文は?」


「……エグランティーヌ」


 予想通りの答えに、私はまた少しだけ笑った。


「やっぱり、そう来ると思ってました」


 エグランティーヌの香りが、この店にしっかりと根づき始めた証だ。

 私はお湯を沸かしながら、彼に話しかけた。


「旅の商人や観光客が増えてきましたよ。レンバーの店主さんたちが勧めてくれてるみたいです」


「ああ。それがきっかけになって、街の外から注目される。その評判が街の中にも波及する」


 ヴィクトル公爵は静かに告げる。

 まるで、自分の中で出来上がっていた絵をただ説明するかのように。


「……以前の客たちも戻ってくる。エグランティーヌが注目を集めるなら、なおさらな」


「まるで商戦の軍師ですね、公爵様」


「宣伝も兼ねてだ。紅茶好きの公爵が通う店、という肩書きは、いくばくかの効力を持つ」


「でも、“冷徹公爵”って呼ばれてますよ? 紅茶好きってイメージとは正反対じゃないですか」


 私が笑いながら言うと、彼はほんの少しだけ眉をひそめた。


「……あまり好ましくない。冷徹などと」


「え、今の反応、ちょっと可愛いかも」


「可愛くはない。早くエグランティーヌを淹れろ」


 ぷい、と目を逸らす姿に、つい笑ってしまう。

 まさか公爵閣下に、こんな一面があるなんて。

 カウンターへ戻ろうとすると、横をすれ違ったマリアが肘で私を軽く突いてくる。


「ねえねえ、お二人さん、なかなかいい感じじゃない?」


「ちょ、ちょっとマリア!」


 慌てて小声で否定する。


「ヴィクトル公爵は、支援者で……仲間、ですから」


「はいはい」


 マリアはにやにやしながら、グラスを磨く手を止めない。

 私の頬が少し熱を帯びていたのは、たぶん気のせいじゃない。


 それから数日後――


 ヴィクトル公爵の読み通り、街の中にまでエグランティーヌの評判が広まり始めた。

 かつてティーサロンへと流れていった客たちが、ちらほらとティーツリーに戻ってくる。


「……これ、本当に、あの頃と同じエグランティーヌ?」


「全然違う……なんか、香りがまろやかっていうか……」


 まだ少し警戒しつつも、一口飲んだ瞬間に目を見開くお客さんたち。

 あの頃とは比べものにならない味わいに、驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべてくれる。


 ティーツリーが、戻ってきた。


 そう思えたある日の閉店後。


 掃除を終えたマリアが、ふとカウンターに手をついて、しみじみと呟いた。


「やっぱり、あたし、このお店に来てよかった」


「うん。私も、マリアがいてくれて本当に助かってる。ありがとう」


 私の言葉に、マリアは一度目を閉じてから、ぽつりと口を開いた。


「ねえ、エリー。……あたしがアシュフォード家のメイドを辞めた理由、ちゃんと話してなかったよね」


「え?」


「“ある事情で”って誤魔化してたけど、本当はね──エリーが婚約破棄して、家を出たって聞いた時……あたし、自分の生き方に疑問を持っちゃったの」


 マリアの声は、どこか遠くを見るような響きだった。


「うちはさ、親子三代でアシュフォード家に仕えてたの。おばあちゃんがメイドで、その教えをお母さんが引き継いで、あたしもそのまま――何も考えずに」


「……」


「でもエリーが、自分の人生を自分で決めたって聞いた時、思っちゃった。あたしも、そうあるべきなんじゃないかって」


 私は、そっとマリアの手を握った。


「王都を飛び出して、何がしたいのかも分からなかったけど……まさか、馬車でたった二日離れた街で、再会するなんて思わなかったよ」


 ふっと笑ったマリアの顔が、どこか誇らしげで、でもどこか不安げでもあった。


「パン屋で汗だくになって働いてるエリーが、なんだかすごく……輝いて見えた。令嬢時代のお嬢様じゃないみたいだった」


「……マリア」


「今でも自分が何したいのか分からない。でもね、エリーのことを手助けしてたら、いつか自分のやりたいことが見つかるかもしれないって思ったの。だから、ここにいる」


 私は言葉を選ばず、ただそのままを伝えた。


「私は、マリアがここにいてくれて本当に嬉しい。あなたの人生がどこへ向かっていくにしても……この場所が、ひとつの出発点であってほしい」


 マリアは目を細めて、小さく頷いた。


「うん。ありがと」


ティーツリーの明かりが、夜の通りをほんのり照らしていた。


 この小さな店が、私たちの選んだ生き方の灯火になれたなら――それは、とても誇らしいことだと思えた。

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