伯爵令嬢、地元商人たちと向き合う
重ねられた皿の間を、ほのかに花の香りが流れていた。
ティーツリーに集った老舗店主たちは、食後の余韻を楽しむどころか、むしろ渋面を浮かべていた。
「……バイン商会に真っ向から楯突くなんて、あまりに無謀じゃ」
「うちの仕入れ先も、すでにバインに押さえられている。逆らえば、干されるのは目に見えている」
苦い声が交錯する。
レンバー地区で何代も続く商家の主たち。
経験は豊かでも、打って出ることには腰が引けていた。
私はそっと椅子を引き、立ち上がった。
「……夢を見てるだけかもしれません。そう言われるのは、覚悟しています」
視線がこちらに向く。
けれど、その目に宿るのは訝しさで、希望ではなかった。
「でも、今日。皆さんに出したお茶――エグランティーヌを、懐かしいと、驚いたと、微笑んでくださった。地元の茶葉で、お客様が笑顔になる姿を見たとき、ああ、この街にはまだ温かさが残ってるって思えたんです」
言ってから、胸の奥がひりついた。
届かないとわかっていても、言葉にしないと苦しくて、だからこそ私は、ここに立っている。
だが。
「だとしても、現実は変わらんさ」
「うちの孫にまで、変な波風は立てたくないんでね」
重たい沈黙に、言葉が飲み込まれそうになったとき――
パチン、と軽やかな音が響いた。
「まあまあ。ずいぶん古びたお茶を、皆さんは好むようね。頭の中の話よ」
それは、部屋の端から発せられた一言。
その声を聞くだけで、場の空気がわずかに引き締まるのがわかった。
サヴォワ商会長、マダム・ジュヌヴィエーヴ。
気品と圧力を兼ね備えたあの人が、ゆるやかに立ち上がる。
「エグランティーヌ。いい香りだったわ。繊細な苦味の奥に、蜜のような甘さが見え隠れする――昔のグリンフォードに確かにあった味。それを、あなたが見事に引き出した」
私の心臓が、ひとつ跳ねた。
「淹れ方も、葉との向き合い方も……理屈ではなく、誠意ね。気に入ったわ」
「……ありがとうございます」
声を震わせずに言えたことが、少しだけ誇らしかった。
だけどジュヌヴィエーヴさんは、私を賞賛するために立ち上がったのではなかった。
その鋭い眼差しは、すぐさま店主たちへと向けられる。
「皆さん。今もバインに売ってもらっている紅茶の銘柄、すべて貴族の手が入っている。名ばかりの“新しい流行”で、グリンフォードの土地と味は、年々、色あせている」
言葉が重く落ちた。
誰も、すぐには反論できなかった。
彼らの目が、伏せられる。
「そろそろ考えなくてはいけないのではなくて? 今、しがみつくこの形が、皆さんの店の未来になるのか、それとも……子や孫の代に、何も残せないまま朽ちるのか」
若い店主が思わず椅子から乗り出した。
が、年配の者たちは黙して語らない。
まるで、長年かけて育てた“現実”という名の足かせに、まだ縛られているようだった。
「私は、今日、エグランティーヌの香りに目を開かされた。まだ、この街には価値がある。そして、それを信じて動ける者がいる。――ならば、商いをする者として、背を向ける理由はないはずよ」
誰かが、喉を鳴らす音が聞こえた。
たったそれだけで、さっきまでの空気が、少しだけ変わったとわかる。
その瞬間、ふとティーカップから立ち上る香りが、部屋を優しく包んだ。
まるで、“地元”という言葉が、再び温度を持って語られたかのように。
老舗店主の一人が、静かに口を開いた。
「マダム・ジュヌヴィエーヴ……これはつまり、我々に行動を求めている、ということでしょうか?」
場に戻った静寂は、張りつめた緊張そのものだった。
彼らは気づいている。
この“お茶会”がただの趣味や偶然ではないことに。
サヴォワ商会の女主人が、わざわざレンバーの店主たちを一堂に呼び集め、言葉を重ねたのだ。
――何か裏があるに決まっている、と。
ジュヌヴィエーヴさんは、紅茶の入ったカップを静かに置いた。
「いいえ、私は皆さんに何かを“今すぐ”求めるつもりはありません。そんなに性急な商売はしませんの」
言い切った彼女の声には、余裕と、鋭さがあった。
相手の読みを、少しだけ外すような――そんな呼吸。
「対立しているのは、あくまでティーツリー。バイン商会のティーサロンに対して、店としての理念と香りで向き合っているだけです。レンバーの皆さんに火中の栗を拾えとは言いません」
老舗店主たちが少しだけ表情を緩める。
けれど、それは決して安堵ではなかった。
むしろ、“ならば何を?”という疑念に向けられた視線。
ジュヌヴィエーヴさんは、ゆったりと身を寄せて言った。
「私はただ、お願いしたいの。ティーツリーという店が、真摯にグリンフォードの茶葉と向き合い、街の香りを守ろうとしているなら――皆さんは、それを無視しないでほしい。手を差し伸べる必要があるときは、惜しまないでほしいのよ」
その言葉に、胸が熱くなった。
それはつまり――
サヴォワ商会が、私たちティーツリーの在り方を認めたということ。
この街の“味”を守る店として、背を預ける覚悟を決めてくれたということ。
私は立ち上がり、まっすぐジュヌヴィエーヴさんに向き直った。
「……はい。私たちティーツリーは、エグランティーヌの香りを、今の街の味として大事にしていきます。どれだけささやかな商いでも、ここでしか出せない一杯があると信じて――それを、必ずお届けします」
ジュヌヴィエーヴさんは、ゆっくりと微笑んだ。
「それでいいの。香りは、いつも言葉より雄弁なのだから」
その瞬間、私は会館での交渉を思い出し、このお茶会の意味を理解した気がした。
説得でもなく、命令でもなく。
実地の価値で伝え合う――
それこそが、この街で商売をする者たちのやり方なのだと。




