伯爵令嬢、元執事と偶然出会う
“お茶会”まで、あと一日。
昨夜も遅くまでキッチンに籠もり、試行錯誤を繰り返した。
結果は――惨敗。
頭の中で味の断片がこだまするだけで、ひとつの形にまとまらない。
フェイから何度か”惜しい”とまでは評価を得ているので、あとは何か噛み合えば、とは思うのだけどその噛み合いが起こらず昨夜は休むことにした。
「今日はあたしが店を回すから、エリーは休んで」
マリアが、開店準備を終えた後にそう言ってくれた。
断ろうとしたけれど、や・す・ん・で、と口を大きく動かして念を押すマリアの圧がすごい。
「……ありがとう。じゃあ、半日だけ」
ついこの間もマリアにお店を任せたばかりなので、気が引けてしまう。
言葉通りに休む気にはなれず、私はグリンフォードの市場へ足を運んでいた。
日曜の昼、市場はいつにも増して賑わっていて、道行く人の声と香りがごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。
新しいヒントがないか、茶葉やハーブの店を覗いて回る。
でも、心のどこかでわかっていた。
足りないのは素材じゃない。
足りないのは――。
「……やはり、お嬢様ですね」
背後から声がして、思わず振り返る。
そこには、深い緑のジャケットに落ち着いたベージュのスカーフを巻いた青年が立っていた。
「ウィル……」
懐かしい顔。
でも、胸の奥にわずかな緊張が走る。
彼はもう私の執事ではなく、バイン商会のサロンを任された人。
今は“よその人”だ。
「たまたま、こちらに。今日は市場の視察でして」
言いながら、ウィルはほんのわずかに視線を逸らした。
……たまたま、ね。
けれど、私はその突っ込みを飲み込んだ。
「私も……新しく扱う茶葉のことで、少し悩んでいて。何かヒントになればと思って」
「……やはり、お困りなのですね」
ウィルの目が、ふっと陰を帯びる。
だけど私はその意味を掴みきれないまま、思わず口にしていた。
「でも、少し光が見えてきたの。ヴィクト……フェイさんにアドバイスをもらって」
その瞬間、ウィルのまなじりがわずかに上がった。
彼は一瞬だけ目を伏せ、そして、まるで感情を打ち消すように整った声で言った。
「……なるほど。あの方が」
私は首を傾げた。
ウィルはフェイのことを知ってるのかしら?
けれど彼は一拍の間のあと、ぐっと一歩だけ距離を詰めて口を開いた。
「でしたら、僭越ながら。エグランティーヌの香りは、高温では逃げやすい傾向があります。抽出温度を低めに、蒸らし時間をほんの少し長めにしてみてください」
「え……それって、そんな情報どこに……?」
「たまたま、ですね」
口元に笑みを浮かべながらも、その目はほんの少しだけ拗ねていた。
どうしてだろう。
まるで、ウィルが――子どもみたいに焼きもちを焼いているみたいで。
……そんなわけ、ないのに。
「ありがとう、ウィル。助かったわ。……昔みたいに、なんでも頼れるってわけにはいかないけど」
私がそう言うと、彼はほんの一瞬、足を止めた。
けれどすぐに、柔らかな笑みで返してくれる。
「いえ、昔も今も、私の立場は変わりません。お嬢様を支えることが――」
そこで、彼は言葉を切った。
まるで、それ以上踏み出すことを自分に禁じるかのように。
「……お役に立てて光栄です。それでは、私はこれで」
そう言って踵を返した背中は、どこか寂しげで、それでも真っ直ぐだった。
私は何も言えず、ただその背を見送った。
助けてもらったのに、ちゃんと向き合えなかった。
それが心に残って、余計にエグランティーヌの味を完璧にしなければという焦りだけが膨らんでいった。




