表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢のカフェ開業計画~冷徹公爵様、貴族らしからぬ店に入り浸る~  作者: 清泪(せいな)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/53

伯爵令嬢、後ろ盾が現れる

 誰もいない店内に、時計の音が静かに響いている。

 客足は……今日も戻らなかった。


「……静かだね」


 マリアがそう呟いたのは、午後の陽が傾き始めた頃だった。

 いつもならこの時間、二番茶を楽しみに来る常連の奥様方でざわついているはずなのに。


「まるで開店前みたい」


 私は黙ってカップを拭いていた。

 磨いたところで、誰の手にも渡らないまま閉店時間を迎える。

 意味のない作業だって分かってる。

 だけど、手を止めてしまったら、不安が押し寄せてきてしまいそうで。


「ねえ、本当にこのままカフェ閉めちゃうの?」


「……閉めたくなんて、ないよ」


 正直な気持ちだった。

 だけど、このままじゃ仕入れも支払いもできなくなるのは目に見えていた。


「ラングフォードの名前が出たのがまずかったのよ」


 マリアの言葉に、胸がズキリと痛んだ。


 あの日、レオポルドさんがティーツリーにやって来て、あのふざけた態度でラングフォード侯爵の名前を出していった。

 誰かがその話を持ち帰り、面白おかしく噂にしたのだろう。


「アシュフォードの令嬢が逃げたのは、あのラングフォードからだったって?」


「侯爵家の婚約破棄だなんて……」


「ラングフォード様を差し置いて庶民の店だなんて、身の程知らずもいいところよ」


 そんな声が、私の耳に届くようになったのは、ほんの数日前からだった。


 やがて、それは足を遠のかせる理由になった。


 誰もが、うちの紅茶の味よりも、そこにある“話題”の方を恐れていた。


 そんな空気が張り詰めていたティーツリーに、控えめなノックの音が響いた。


「……?」


 営業時間中にわざわざノックして来るお客さんなんていない。

 訝しみながら扉を開けると、そこに立っていたのは――


「公爵様……」


「少し、話がある」


 ヴィクトル・フォン・シュトラウス。

 その名を知らぬ者はいない、冷徹公爵。

 いつも通り整った姿で、けれど今日はどこか表情が違っていた。


「中に、どうぞ」


 彼は無言でうなずき、いつもとは違い真ん中の席にゆっくりと着いた。

 無言のままヴィクトル公爵は、私に向かいの席に座るよう手で促す。

 私は驚きつつもその指示に従い、席へと座った。


「……聞いたよ。あの放蕩貴族が、ここで余計なことを言ったそうだな」


「……レオポルド、さんのことですか」


 嫌でも頷くしかなかった。

 あの男の軽薄な笑みが思い出されて、思わず眉をひそめる。


「ラングフォードの名が広がったのは、彼の口からだ。そしてお前が“逃げた令嬢”だと確定的に扱われるようになったのも、な」


「……」


 ヴィクトル公爵は、わたしの顔をじっと見つめたまま、ゆっくりと言葉を続けた。


「バイン商会の動きも、あからさまになってきている。背後にはラングフォードがいる。……アシュフォード家も、彼に圧をかけられていると聞いた」


「うちの家が……?」


「アシュフォードは、お前を連れ戻したいのだろう。だがそれとは別に、ラングフォードに婚約破棄という失態の代償として、何らかの協力を強いられている。だが、積極的に動いているわけではない。むしろ、できる限り距離を取りたがっているように見えるな」


 少し、安心したような、でも胸の奥が締めつけられるような感覚だった。


 決められた人生が嫌だったとはいえ、勝手に飛び出した私のせいで家に迷惑がかかっている。

 わかりきっていた話だけれど、実際に直面すると申し訳なさが込み上げてくる。

 それに、家を出た私が、家の重みによって追い詰められている――皮肉な話でもあった。


「……怖い、です。とても。でも」


 私は、まっすぐヴィクトル公爵を見る。


「それでも、ここを続けたいんです。ティーツリーは、私の“今”なんです。逃げた場所なんかじゃなくて――自分で選んだ場所なんです」


 ヴィクトル公爵は、何も言わずにしばらく黙っていた。

 けれど、やがてその口元がゆっくりと持ち上がる。


「ならば――」


 静かな声だったけれど、その響きは深く、力強かった。


「私が、ここを守ろう」


 時が止まったように感じた。


 私も、マリアも、言葉が出なかった。


「どういう、意味ですか……?」


 ようやく絞り出した問いに、ヴィクトル公爵は淡々と応える。


「このままラングフォード侯爵に好き勝手させておくわけにはいかない。お前がただの平民ならともかく、“令嬢”として狙われているのなら、対抗するにはそれなりの後ろ盾が要る」


「……公爵様が、それを?」


「ああ。私がその“盾”になる。……もちろん、正式な形はまだだ。だが」


 そこで彼はわたしの目を見据えて言った。


「お前の決意がある限り、私は退かない。お前が、ここで踏みとどまろうとする限り――私が支えよう」


 私の胸の奥に、ぽつんと火が灯るような気がした。


「……それって、公爵様のお気に入りの紅茶を守るため、とかじゃないんですか?」


 そう冗談めかして言うと、ヴィクトル公爵はすっと笑って頷いた。


「それもある。……あのサロンの、高値であることをありがたがるだけの、輸入物の量産ティーバッグには我慢ならない」


 私は――思わず笑ってしまった。

 マリアも、苦笑しながらそばにやってきて「やっと笑ったじゃん」と肩をすくめた。


 でも、本当に。

 久しぶりに、心から笑えた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ