伯爵令嬢、嫌味な青年が訪れる
午後の陽が傾き始める頃、ティーツリーの店内は珍しく静まり返っていた。
常連客たちの姿もまばらで、私とマリアはカウンターの中で薄暗い空気を持て余していた。
「……静かね」
「ええ。今日で三日連続。昼を過ぎてもこの調子じゃ、そろそろ仕入れも減らすべきかもしれない」
マリアの言葉に私は小さく頷いた。
バイン・ティーサロンの開店以降、確かに客足は減っていたが、ここ数日はさらに露骨だった。
特に昨日はティーツリーの開店時間に合わせて近所の貴婦人たちがティーサロンへ吸い寄せられていく様子を、私は見てしまっていたのだ。
そんな時、ドアがからん、と乾いた音を立てて開いた。
「やあ、これはこれは。意外と長く続いてるんだね、君のごっこ遊びも」
艶やかなブロンドに派手な刺繍の入った上着を纏った青年が、余裕たっぷりの笑みを浮かべてカウンターに歩み寄ってきた。
「……レオポルド・ド・グレイ、さん。何の用かしら」
「ふふ、ただの冷やかしだよ。ティーサロンが盛況で、こちらが閑古鳥って聞いたから、どれほど寂れているか見に来たのさ」
あからさまな嫌味に私は堪らずムッとしてしまった。
文句のひとつでも言い返してやろうと構える。
しかし、それよりも先にマリアがすっと前に出た。
「それだけのために? ずいぶんと暇なのね、公爵家のご子息っていうのは」
「おや、失礼。そちらの方は……ああ、元メイドだったか。平民の躾はなっていないね」
皮肉を含んだ笑みのまま、レオポルドさんの視線は私に戻る。
「だがまあ、そろそろ潮時じゃないか? まさか本当に庶民になりきるつもりじゃないだろう。君の素性なんて、もうみんな知ってるさ。アシュフォード伯爵家のご令嬢、エレノア・アシュフォード嬢」
店内の空気が一瞬止まった。
私は黙ったまま、視線を逸らさなかった。
「なぜ、その名前をここでわざわざ出すのかしら」
低く絞るような声。
マリアはその気配を感じ取り、間を置かずに畳みかけた。
「あなた、貴族界に告げ口したのね。エリーがここで店をやってるって」
「……証拠でもあるのかい?」
「グレイ公爵家のご子息からの申告ともなれば、バイン商会がこんなに早く圧力をかけてくるのも納得できる話だわ」
マリアの瞳が鋭く光った。
レオポルドさんの眉がわずかに跳ね上がる。
「しかも、バインの店にはレオノーラ・ファルメール以外にウィリアムさんがいた。アシュフォード家の執事がなぜ、あんな場所に?」
問い詰めるマリアの圧に、押されるレオポルドさん。
「エリーがこの店を経営してる、その告げ口だけじゃアシュフォード家がバイン商会に協力してる理由として足りないわよね。黙るつもりかしら? でもね、あなた、喋りすぎなのよ。口が軽いって、メイドの中じゃ昔から評判だったもの」
マリアの皮肉に、レオポルドさんはわずかに動揺を見せる。
だが、それでも強がるように鼻で笑った。
「……ふん。そんなに知りたいなら教えてあげようか。君たちの可愛らしいティーサロンごっこを潰そうとしているのは、他でもない。君の逃げ出した相手——ギルバート・ラングフォード侯爵だよ」
その名が出た瞬間、空気が変わった。
私の背筋は凍ったように伸び、マリアの目が見開かれる。
「ラングフォード家……彼が?」
「そう、君が婚約破棄を望んで逃げ出したあの方が、今のバイン商会の後ろ盾だ。ティーサロンの実質的な出資者、と言っても過言じゃない。……ま、君が逃げたせいで恥をかいたと、お怒りのようだよ」
レオポルドさんは笑みを浮かべたまま、くるりと背を向けた。
「ま、せいぜい気をつけたまえ。次はこの店ごと、跡形もなく消されるかもしれないよ」
からん、と軽やかな音が再び店の空気を破る。
扉が閉まると同時に、重苦しい沈黙が降りた。
「……ギルバート様が、バイン商会を?」
「ええ。ラングフォード侯爵なら、そういう手を使うのは平然としてるわ。……貴族の中でも特にプライドが高い、とはよく聞くけどここまでするとはね」
マリアがそう言うも、実のところ私は元婚約者についてほとんど知らないので悪評に驚いた。
金髪碧眼、容姿端麗、剣術も嗜み、さらに政治の才能もあり、貴族社会において、理想的な結婚相手とされる。
何処かの社交場でお見かけしたが、そもそも彼とまともに会話を交わしたことすらなかった私が知り得るのはそんな噂レベルの評判だけ。
「……これは偶然じゃない。貴族社会が、私をこの場所から追い出そうとしている」
「なら、あたしたちはどうする?」
マリアに問われ、私はカウンターの奥にあるメニュー表を見つめた。
「……立ち向かうしかないわ。やれることは、きっとあるはず」




