伯爵令嬢、ライバル店を偵察する
晴れた午後、マリアに誘われて、私はティーサロンへと足を運んだ。
街の中心部、かつては貴族たちの社交場だった建物を改装したというその店は、遠目にもわかるほど気品に溢れていた。
白と金を基調とした外観には、品の良い花が飾られ、入り口には黒服の給仕が二人。
目線だけで客を値踏みしているような雰囲気すらあった。
「……やっぱり気が引けるわね」
「だからこそ、行く価値があるのよ」
マリアの笑顔には、使用人時代に培った根性と観察眼が宿っている。
店内に入ると、鼻腔をくすぐる上質な紅茶と焼き菓子の香り。
シャンデリアが煌めく天井、金糸の織り込まれた椅子、磨き上げられた銀器。
場違いな自分を自覚して、背筋が自然と伸びた。
席に案内されて間もなく、彼女が現れた。
「まあ……これは驚いたわ。まさか、あなたがここに足を運ぶなんて」
レオノーラ・ファルメール。
かつての貴族学校の同級生。
黒に近い濃い栗色の髪はきっちりまとめられ、翡翠色の瞳がまっすぐに私を射抜いてくる。
痩身で長身。
貴族然とした立ち居振る舞いに、周囲の視線が自然と集まっていた。
「こんにちは、レオノーラ。素敵なお店ね」
「まあ。覚えていてくださったのね、光栄だわ」
その笑みは柔らかく、それでいて明らかに探りを入れてくる。
「ティーサロンにおいでとは、興味を持っていただけたのかしら? 庶民向けの店をされてると伺っていたけれど」
「ええ、勉強のために。あなたこそ”ここ”にいるなんて意外だわ」
「ふふ。貴族社会で学んだことが、庶民相手の商売にどう役立つのかしら。少し気になって」
彼女の言葉はとげとげしいが、表情はにこやかで、まさに“貴族的な嫌味”の模範だった。
私は苦笑いで返す。
マリアが横で腕を組んで小さく唸っていた。
そこへ、店の奥からもうひとつの影が近づいてくる。
その姿を見た瞬間、私の鼓動が跳ねた。
「……ウィル?」
変わらない漆黒の髪、端整な顔立ち。
細身のスーツに身を包み、変わらぬ落ち着いた仕草で私の前に立った。
「お久しぶりでございます、お嬢様」
ああ、駄目だ。
そんな風に呼ばないで。
もう、私はあなたの“お嬢様”じゃない。
「ウィル……ここで何をしているの?」
「このティーサロンの運営責任者として、バイン商会よりお声がかかりました。ご迷惑をおかけしないよう、誠心誠意、努めております」
静かに、しかし芯のある声。
貴族として生きてきた私を全て知っている存在が、今は私の店の敵として立っている。
「偶然なの?」
尋ねると、彼は視線を伏せてほんの少しだけ目元を緩めた。
「運命と呼ぶには出来すぎておりますが、そう思っていただいても差し支えないかと」
心が波打つ。
どうしても彼を責める気にはなれなかった。
「ご忠告申し上げます。お嬢様のご実家……いえ、アシュフォード伯爵家にとって、今の状況は決して望ましいものではありません。公の場での活動は、どうかご慎重に」
「……それって、脅し?」
そう問い返すと、彼は首を横に振る。
「いえ、忠告です。私は今も、あなたの幸せを願っております。その思いに嘘はありません」
それは、昔と変わらない“ウィル”の声だった。
「私の、味方にはなってくれないの?」
ウィルと久しぶりに会えたことで、私は弱さ──幼き頃の甘えが出てきてしまった。
両親の厳しい教育に耐えられず泣いてしまった私は、こうして幼き頃から仕えてくれた執事に甘えていた。
彼は、彼だけはずっと私の味方で、それに今もきっと──。
ぽろりとこぼれた言葉に、彼は沈黙を返した。
けれど、その沈黙がすべてを語っていた。
執事としての彼、そして今の立場では、きっとそれが精一杯。
「本日はご来店、誠にありがとうございました」
完璧な所作で頭を下げるウィルの隣で、レオノーラがふっと微笑んだ。
「面白いわね。昔はあなたがウィリアムに従っていたのに、今は逆になったのかしら?」
その皮肉を振り切るように、私はマリアと共に店を後にした。
その夜、ティーツリーの閉店後、私は一人、カウンターで紅茶を入れながら考えていた。
レオノーラの姿、ウィリアムの落ち着いた態度――あれは、ただのライバル店のスタッフではなかった。
ウィルの目の奥に、一瞬だけ浮かんだ迷いのようなもの。
アシュフォード家が、私を庶民の世界から連れ戻そうとしているのだとしたら?
あのティーサロンは、単なる商売の競争相手ではなく、“手段”なのかもしれない。
私は湯気の向こうを睨みつけた。
どこまで行っても、逃げ場なんてないのかもしれない。
だけど――それでも、私はこの店を守りたい。
ここで、出会った人たちと築いた毎日を。
ティーカップの中で、月の光が静かに揺れていた。




