08.芋虫公爵家と能面令嬢との関係
リンシー公爵家の執事であるギャリソンは、未来の公爵夫人である侯爵令嬢ガブリエラに対するメイドたちの態度が日増しに悪化していくのを感じ、忸怩たる思いを持っていた。
ガブリエラに対する自分の応対は、それほど間違っていたとは思わない。しかしガブリエラの自分への態度も、日を追うにつれて悪くなっていくような気がしていた。
メイド長のマイヤー女史がガブリエラのことを気に入らない様子だったので、それが原因だとアタリはつけていたが、職制の問題でマイヤーにはあまり強くは言えないまま、ずるずると時が過ぎていた。
そしてこの問題が決定的になったのは数日前、ガブリエラからギャリソンとマイヤーとの三者面談を要求された事だ。ギャリソンとてこの要求を握りつぶすつもりは無かった。しかしマイヤーがなんだかんだと理由をつけては受けようとしなかったため、まだ日程すら決められずにいたのである。
手配したはずの商人たちも未だにやって来ない。これはギャリソンが思っていた以上に大きな問題に発展しているのは確実だった。
そして今、ガブリエラを訪ねて来た客人が彼女に内緒で追い返されていたり、ガブリエラ宛の手紙が彼女の手に渡っていなかったりしたことを知らされた。そんなことは前代未聞だったし、ギャリソンの管理の目が行き届いていなかったことを意味していた。
「ここにいるメアリと、あと四名のメイドを新たに雇います。よろしいですね?」
「メイドを雇うとなると、私ではなく、メイド長のマイヤーの管轄になりますが……。」
「この私が雇うと言っているのよ? 問題があって?」
「いえ、何も問題はございません。」
「それでお給金は公爵家が支払う? それとも私が個人的に支払う? どちらを選ぶの?」
そう問いかけられて、ギャリソンは大いに返答に詰まってしまった。
ガブリエラの質問は簡単に見えて実は難問である。
ガブリエラが個人的に雇うのであれば、公爵家の管轄ではない。だからメイド長の許可は必要ない。そういう理屈は成り立つ。しかし公爵家が雇うのであれば、メイド長の許可を得て、その配下として雇うのが筋だ。
しかしガブリエラは、新たに雇うメイドたちをマイヤーの配下にすることは許さないだろう。ならばガブリエラが個人的に給金を払う、そう答えるのが正しいと言える。
しかし物事はそう簡単ではない。ガブリエラは近い将来、公爵夫人になる女性なのだ。そして今、彼女は公爵家に対して敵対の意思を表そうとしている。
いや、そうではない。彼女が敵対すると決めたのは、公爵家ではなく、公爵家のメイド長であるマイヤー女史だ。そして公爵家自体はガブリエラの敵としてマイヤーにつくか、それとも味方になるか、踏み絵を試そうとしているのだ。
問題の根本は、ガブリエラを正式な公爵夫人とは認めておらず、客人扱いして
いることにあった。こればかりはギャリソンにはどうしようもないので、公爵に何とかしてもらうしかない。
そのためにはガブリエラの衣装改めが必要だが、そのための商人はなぜか未だにやって来ない。そこでギャリソンは気づいた。商人が来ないのは、マイヤーの策謀によるのではないかと。
「いえ、私が支払っても良いのよ? でも考えてみて欲しいの。私って一ヶ月もたつのに未だに客人扱いでしょ? 公爵家はそんな客人のベッドメイクも、食事の用意も出来ないのよ。客人の対応をしない、客人の部屋の掃除や整頓も満足にできない、公爵家がそんなことでどうするのかしら?」
「あら、ガブリエラ、王命での結婚だったというのに、あなたそんな酷いことになっていたのね。」
これは茶番だ。というよりも脅迫に近い。あまり良い噂は聞かれないリンシー公爵家だ。悪い噂が増えたところで今更な話ではある。
しかし領地を持たず、王国からの年金暮らしな公爵家にとっては、王家は絶対に敵に回すことは出来ないのだ。そんな公爵家が、王命の結婚相手を粗略に扱っていたなどという噂が流れると、それは間違いなく致命傷になり得る。
「ベッドメイクや食事の話は初耳なのですが……。」
「あら、あなた、思っていたよりもうっかり者なのね。疑うなら厨房で確認してみるといいわよ。」
部屋の隅で震えながら控えているメイドの表情を見ても、ガブリエラの言葉が真実であることが伝わってくる。そしてギャリソンは自分が思っていたよりもはるかに、事態が深刻だったことを悟った。
「私の一存では絶対に、とは申せませんが、旦那様にも進言して、公爵家にてお給金が出せるように手配いたします。」
もうギャリソンには、そう返答するより他はない。
「公爵様と言えば、お返事がまだなのだけれど、私の手紙をご覧いただけたのかしら?」
「あのお手紙ならば、私が旦那様の文箱に確かに……。」
「それを公爵様の目に留まる前に誰かが隠した、そんなことは無くて?」
「なんと……、それは……旦那様に再度確認いたします。」
確かに言われてみれば、ギャリソンは公爵に読んだかどうかの確認は取っていなかった。少し前までのギャリソンであれば、主人宛の手紙を隠すなど、そんなことをする使用人は公爵家にはいない、そう力強く否定できただろう。しかし今となってはそれは無理だ。
「それでは、お仕事の話をしましょうか。レダ、こちらに来て頂戴。ギャリソン、あなたにも紹介しておくわ。彼女の名前はレダ、私の商会で働いて貰っているの。」
「なんと、ガブリエラ様はご自分の商会をお持ちなのですか?」
「ええ、ワスプ商会というのだけれど、もしかしたらご存知かしら?」
「ワスプ商会と言えば、アーカンデ侯爵家の商会だと思っておりましたが、ガブリエラ様の商会でしたか。」
ワスプ商会の名前はギャリソンでなくても知っている、とても有名で大きな商会だ。アーカンデ侯爵家の商会として知られているが、実際はそうではなくてガブリエラ自身の商会なのだとしたら、ガブリエラは個人でかなり大きな経済力を持っていることになる。
いや、大きな経済力どころの話ではない。年金だけが収入源のリンシー公爵家よりも、はるかに豊かな財力を持っているということになるのだ。
「ええ、元はアーカンデ侯爵家の商会だったのよ。祖母が亡くなった時に、父の侯爵ではなくて私の物になったのだけれど、侯爵家からの出資金を返却して独立させたの。」
出資金を返却した時、侯爵は大量の現金が手に入ったと非常に喜んでいたのを、ガブリエラは思い出した。何かに再投資したのか、それとも贅沢に使っているのか、ガブリエラは知らない。もしも消費しているのだとしたら、使い果たした時が公爵家が傾く時になるだろうことは誰にでも予想できる。
「あなたにお願いした公爵家出入りの商会は、いつまで待っても現れないことですし、キャンセルしてワスプ商会に任せる事にするわ。王家からの結婚支度金の金額を教えて下さるかしら?」
これはもう、抵抗するだけ無駄なようだ。未だに商会が訪ねてこない以上、ギャリソンはただ受け入れるしかないのだ。
「発注も支払いも、ギャリソン、あなたに任せるから頼みましたよ?」
「はい、仰せのままに。」
ギャリソンはこれでやっと終わりかと思ったが、ガブリエラの話にはまだ続きがあった。
「仕立ての内容についてなのだけれど、前王妃様の遺品を仕立て直そうと思っていたの。なんといっても布地は良い物ばかりですもの。たしかにデザインは少し古いいけれど、それは仕立て直しでどうとでもなりますからね。でも、どうやらそれが許せないという雰囲気があるの。公爵様からは何か聞いていないかしら?」
「はい、それについては旦那様よりはっきりと命じられております。前の奥様の遺品はお好きに処分いただいて結構でございます。衣装についても同様で、古い物を仕立て直すのも、新しく仕立てるのも、どちらでもお嬢様のお好みに合った方を選ぶように、とのご命令でございます。」
「そう、それは良かったわ。」
ガブリエラはギャリソンの返答に満足して頷くと、少し席を外して隣室から布に包まれた何かを持ってきた。
「みんなにこれを見て欲しいのだけれど、どう思うかしら?」
それは銀色の装飾の上に青く光る大きな石がはめ込まれたブローチだった。
「出来の悪い模造品ね。さすがにこんなものに騙される人はどこにもいないでしょう。子供のおもちゃにしては凝り過ぎているし、これは一体何なのかしら?」
「石は青いガラス玉でしょうか。土台は銀ではなくて白銅ですね。細工も甘いです。」
上級貴族の令嬢であるプリシラ、そして宝飾品も取り扱っているレダが、それぞれ容赦ない評価を下していく。
「お嬢様、こんな下劣な物をどこで手に入れられたのでしょうか?」
「前王妃様の宝石箱の中に入っていた物よ。」
「イライザ様の? まさか!」
もしも王妃がこんな不格好なおもちゃを身に着けつていたとしたら、それが大きな噂になっていないはずがない。いくら昔のこととはいえ、今でも語り継がれて当然なぐらいの大問題になっているはずだ。
「私にも少々拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
「構わないわ、ギャリソン。存分に確認して頂戴。」
ギャリソンがそのブローチを手に取って、険しい表情を浮かべながら観察を始める。そうしてしばらく確認を続け、しずかに一度目を瞑ると、悲しそうな声ではっきりと告げた。
「間違いございません。これは前王妃イライザ様のブローチ、その模造品でございます。」




