16.デコボコ道
公爵邸から出た二台の馬車は、王都を目指して街道を進んで行く。まだまだ気温は高いものの、ギラギラするような照りつけは収まりを見せ始めており、暑いなりに過ごしやすい気候になってきている。
「メーガン様、かなりお怒りのご様子でしたが、このままで大丈夫でしょうか。」
「そうね、リクロールのチーズケーキでもお土産にしましょうか。」
「うわ! やったぁ! 後からあれは無かったこと、って言うのは無しですよ?」
「ええ、ちゃんと手配しておいてね。全員分となると三ホールは必要ね。」
公爵邸に戻るのは、二週間は先のことだ。そういつまでもお説教モードが続くとも思えないが、ガブリエラは流れを読んでお菓子で釣っておくことにする。メイドたちの分だけではなく、もちろん男性使用人たちや引きこもり公爵の分もある。
「王都に先行してくれたみんなの分も必要ですね。」
「もう、わかったわよ。王都についたら、先に一つ注文してもいいわ。」
ガブリエラはすぐに了承したが、先行組もガブリエラと一緒に公爵邸に戻ることになっているのだから、別途必要なわけがない。そんなものぐらいでやる気になってくれるのならば安い物だ、という考えももちろんあったが、それよりも出発時に流れた妙な雰囲気を消し去っておきたかったのだ。
折角、久しぶり友人たちと会うのだ。嫌なことは全て忘れて、楽しい時を過ごしたいとガブリエラは思っていた。
実は今回の王都への旅路には、ガブリエラが消しておきたいと思うような、妙な雰囲気を醸し出す要素がもう一つあった。
馬車というものは、道のでこぼこに合わせてガタゴト揺れるものなのだが、今乗っている馬車はガタゴトではなく、ギシギシと軋むような音を立てながら、ゆらゆらと揺れている。
ガブリエラたちが乗っている馬車は、元から公爵家にあったものではなく、新しく作ったばかりのガブリエラ専用の物だ。二頭立ての四人乗り、詰めれば六人乗れる横幅で、外に御者台がある普通の構成をしている。
ただ、客室が板張りではなく座席や床まで含めて編み籠になっており、壁や天井は布の幌になっているなど、かなり普通の物とは形が違っていた。
公爵家には公爵用のきらびやかな馬車が一台あったし、引きこもりの公爵が馬車など使うわけがなかったので、それをそのままガブリエラ用にしても問題は無かった。
しかし予算には王宮から支払われる結婚準備金がそのまま使えることもあって、丁度良い機会だということで、ガブリエラはこの馬車を新造することに決めたのだった。
今日は天気も良くて風もあまり吹かないので、幌を巻き上げて解放状態で走っているのだが、普通の馬車とは違って幌の柱は取り外すことができず、しっかり頑丈に作りつけられているので、四角い枠がそのまま残っているのが何とも不格好だ。
装飾なども施されていないので、その見た目には全く高級感は無く、まさか公爵夫人が乗っているなどと誰も思わないような造りだ。その姿は出来損ないの荷馬車か、またはまだ作りかけの馬車のようにしか見えなかった。
「この馬車はギシギシうるさいですが、途中でばらばらに壊れてしまったりしないでしょうか。」
「さあ、もしかしたらそうなるかも知れないわね。何しろまだ初めて試してみたばかりで、実験を兼ねているのですもの。どうなるかなんて誰にもわからないわよ。」
ガブリエラはまったく安心できそうにないことを言っているが、ギシギシいう音はそういう風に作られているからそうなっているだけで、別に分解しそうだからとか、そういう理由からではない。
それはこの馬車が『吊り下げ式』を採用しているのが主な理由だった。
商会の番頭の一人が、吊り下げ式馬車というものが東の遠国で流行し始めている、という噂を聞きつけたのが事の発端だ。
この世の中、大都会の一部や、石橋の上などを除けば、ほとんどの道が舗装などされていない土の道だ。そこを多くの荷馬車が通行するのだから、道には何重にも轍が掘れて、平らな道などどこにもなく、どこもかしこもデコボコになっている。
そんなデコボコなところを馬車で通るものだから、当然ながらガタゴトと揺れるし、揺れるたびにお尻が痛くなるのだ。雨が降るとそこら中がぬかるみになるので、揺れ自体は非常に緩やかになって良いのだけれど、もちろん泥だらけにもなるのであまり嬉しいものではなかった。
噂としては『吊り下げ式』という名前と、軽くて速い、そして揺れてもお尻が痛くならないという話が伝わって来ただけで、構造など詳しいことは何もわからなかった。
それでも『速い』ということ、そして『お尻が痛くならない』ということは、年がら年中旅をしている商人たちにとって非常に魅力的な話だった。だからこの噂はすごい勢いで国をまたいで広まっていったのである。
そんな噂を聞きつけた番頭は、個人的に知り合いの馬車大工と色々と研究を進めていたらしい。そして商会オーナーのガブリエラが王都から一日の遠距離に輿入れしたので、ちょうど良いこの機会に新しい馬車をその『吊り下げ式』で製造することになったのだった。
東国で流行している本物の『吊り下げ式』がどんな構造なのかはわからないが、ガブリエラが乗っている物は、丈夫な柳の木で四角い枠を組み、そこから丈夫な短い紐で、同じく柳で編まれた客室を吊り下げた造りになっている。四つの座席もまた柳で編まれた物だ。
直接車輪の上に客室を乗せるのではなく、しなりやすい柳で組んだ木枠に吊り下げる事で、車輪の衝撃が座席に伝わりにくくなっているのだ。
「ギシギシいう音もそうだけれど、かなり揺れるのが恐いわね。」
「紐がちぎれて飛んで行ってしまいそうですね。」
客室は紐で吊るされているだけで、しっかり固定されているわけではない。馬車には内装などは何もなく、その構造が座席からは良く見えるので、それも不安を感じさせる材料だった。
さすがに吊り紐が切れたからといって、飛んで行ってしまうような造りではないのだが、恐怖心と言うのは理性ではない。揺れる吊り橋は切れそうで怖いと感じるものだが、これはそんな心理に似ている。
「お尻はやっぱり痛いですし、普通の馬車より良く揺れる気がします。恐いですよ、これ。」
「手すりか何か、掴まっておけるようなものが欲しいわね。」
衝撃は吸収できているような気がしないでもないのだが、それでもお尻はそれなりに痛い。そして普通の馬車よりも大きく揺れるので、安心して乗っていることは難しい。
ちょうど座席の横には、ちょっと掴まるには太すぎるが、客室を吊り下げるための柱が立っている。ここに手すりがついていれば、ちょっとは不安がまぎれるような気がする。
馬車はそんな主従の会話を気持ちも知らず、途中で数回の短い休憩を挟んだだけで、ずんずんと首都に向かって進んで行く。そして王都についたのは、お昼を過ぎた頃合いの、まだ陽が高く夕方までは間があるような時間帯だった。
馬車はそのまま王都に入り、そして貴族街の端にある別邸の玄関前で止まった。
「お嬢さま、もう到着してしまいましたよ!」
「早かったわね。到着は夕方になると思っていたのに。」
乗っていた二人がびっくりするほどの速度である。二人とも馬車に乗り慣れているわけではないので気が付かなかったが、実は物凄い速度で駆け抜けてきたのだった。
この馬車、実は普通の馬車とそれほど重さは変わらない。速度だけで良いのなら、普通の馬車でもこれぐらいの速度は軽く出せるのだ。ただし速度が速くなれば速くなるほど、揺れは大きく酷くなるし、お尻が痛くなるような衝撃も強くなる。だから普通は速度を抑える必要があるのだ。
「乗っている時はお尻が痛かったのですが、降りてみるとそうでもない気がしますね。」
「早く着いたから、かしら?」
旅の後で馬車から降りた時には、歩くのが辛くなるぐらいの痛みが残るものなのだが、今回はそこまでの痛みは残っていなかった。ずっと緊張していたことや、乗っていた時間が短かったのもあるだろうが、思った以上に体への影響は少なくて済んだようだ。
そんな主従の様子を見て、馬車の御者を務めていた若い男がクスクスと笑っている。
「乗っている時は分かりにくいけれど、降りてみたらちょっと楽でしょ? 道中いろいろ改良点をお聞かせいただいたんで、親方にも伝えておきますよ。」
この青年、専門の御者ではなく、この馬車を製作した馬車大工の弟子だ。今回は試運転ということもあって、特別に御者を務めてもらっていたのである。
「ええ、是非ともお願いするわ。」
迎えに出てきたメイドたちだけでなく、御者をしてきた青年にも手伝って貰って、馬車から荷物を降ろして屋敷に運び込む作業が終わるやいなや、ガブリエラは居間のソファーにドサっと座り込むように腰を下ろした。どうやら自分で思っていたよりも疲労がたまっていたようだった。
到着の翌日は丸一日休養にあてて、その次の日からガブリエラは友人たちに会うために、毎日のように出かけることになっている。何しろ半年ぶりの王都だし、遠方に嫁ぐことになっている友人には、この機会を逃せば二度と会えなくなるかも知れないのだ。
「ガブリエラ、装いがびっくりするほど良くなったわね。あの家から脱出できて本当に良かったわ。」
「ええ、本当に。まるで見違えるようよ。でもその代わりにあの馬車……あの変てこなのが公爵家の馬車なの?」
どこに行っても、友人たちの反応はだいたい決まっている。出で立ちが良くなったこと、そして代わりに馬車が貧相になったこと、この二点に尽きる。
「これは我がまま王家から結婚準備金を毟りとって、それで仕立てたの。公爵家自体は領地もないし貧乏だから、こうした装いで身を包めるのも今だけかもしれないわ。あと、あの馬車はまだ作りかけの物を使っているのよね。」
ガブリエラは一つも嘘は言っていないが、王家と公爵家への悪意は満々である。友人たちは、実家のアーカンデ侯爵家のことも、第二王子との婚約生活のことも、すべて知っているので、今更隠し立てすることは何もない。
彼女たちが何故すべてを知っているかと言えば、それは当然、ガブリエラが何も隠さずに、すべて喋ってしまっているからに他ならなかった。
「公爵邸は田舎だから、お庭はそれなりに広いのよ。でも何故かお庭が全部、蜜柑畑みたいになっているの。それでジャムを作ってみたのだけれど、もしよろしかったら試してみて?」
ガブリエラの言葉に合わせて、お土産に持ってきた、摘果、つまり間引きで摘んだ青い蜜柑で作ったジャムの瓶が、控えていたメイドによってテーブルの上に配膳されてきた。
「妖精のジャムね? プリシラから聞いたわよ。蜜柑の森に蝶が乱舞していて、まるで妖精たちのお祭りのようだったって。」
「なになに? どういうことなの? 詳しく教えて欲しいわ!」
蝶の乱舞は見物だと言えるが、妖精のジャムはさすがに言いすぎだ。ガブリエラは小さなスプーンを手に取ると、瓶からジャムを一掬いしてクッキーの上に乗せ、それを口に入れる。ガブリエラに続いて、他の令嬢たちも同じようにして、蜜柑のジャムを口にした。
お土産なのに自分が先に食べるのは、それが上級貴族のマナーだからだ。元を正せば毒見という意味で始まったことなのかも知れない。
「良い香りね。」
「とても素朴な感じがするわ。」
小さな瓶だったとはいえ、すぐに空っぽになったのだから、妖精のジャムは名前だけではなく、その評価も上々だったと言っていいだろう。




