15.蜜柑と蝶と芋虫
ガブリエラから処分するようにと言われた蜜柑と蝶の網かけのレース織りだが、捨てられたり焼かれたりすることはなく、メアリの手によってそのままの形で戸棚の奥に仕舞い込まれた。
あの日以来、ガブリエラは何をするでもなく、ぼーっと過ごすことが多くなった。あれだけ毎日続けていた編み物も、完全にやる気を失ってしまったのか、今は全く手に取ることが無くなっていた。
レダは何回か菓子折り持参でガブリエラを訪ねたのだが、面会を断られてしまって会う事が出来ないでいる。
「お嬢様は体調が芳しくなく、お会いしたくないそうです。あ、菓子折りはいただきます。」
「あの、編みかけだった蝶はどうなりましたか?」
「お嬢様はあの日以来、もう編み物は止めてしまったようで。」
そんなメアリの言葉にレダは衝撃を受けた。確かにあの日のレダはおかしかった。それは自分でもそう思っている。しかしガブリエラに編み物を止めさせてしまうほどだったとはとても思えなかった。
給料からお菓子代は引かれていなかったし、もちろん解雇もされていないので、そこまでの怒りを受けているわけではないと思いたかった。しかしそれも怪しくなってくる。
何より、金の卵を産むガチョウを自分の手で絞め殺してしまったと思うと、レダには何とも心のやり場が見つからなかった。
「本日は例のストールの納品なのですが。それでも面会は厳しいでしょうか?」
「はい、お嬢様は本当にお加減が悪くて。納品物や言付けならば、私がお預かりいたします。あと、菓子折りはもっと大きめでお願いしますね。」
レダはメアリにストールと菓子折りを手渡すと、トボトボと閉ざされたまま開かれることのない扉の前から立ち去った。
「お嬢様、そろそろ機嫌を直してはいかがですか? ほら、今回のお菓子はとっても美味しそうですよ!」
「別にお菓子を食べつくされたから怒っているわけじゃないわよ?」
ソファーに寝転がって、メアリに無理やり口の中に突っ込まれたお菓子をモグモグしながら、ガブリエラが反論する。
「ただ何というかこう、いろいろ、やる気が起きないのよ。」
「でも、そろそろ動き出さないと、体が腐ってしまいますよ? プリシラ様への贈り物もこうして完成しましたし、ご訪問の準備を始めてもよろしいのではないでしょうか?」
メアリが完成した雪の結晶のストールをガブリエラの前に広げて見せた。さすがの職人技、素晴らしい完成度だ。これならきっとプリシラにも喜んでもらえるだろう。
「こうして見比べると、やっぱり私が編んだ物の出来の悪さが目立つわね。」
「それはもう、その通りですよ? お嬢様が腕の良い職人よりも上の完成度を目指しても、どうにもならないのは分かり切ったことです。」
メアリの言葉には全く忖度がない。幼い時からガブリエラのことを見てきた彼女は、こういう時は下手に褒めない方が良い事を良く知っていた。
「ああもう、駄目だわ。なんだか腹が立ってきた。」
「作品の出来……ではなさそうですね。それなら何に腹を立てておられるのでしょうか。」
「メアリにはわかっているでしょう? それはもちろん、自分の駄目さ加減によ!」
だらしなく寝転がっていたガブリエラだったが、その言葉と同時に急にしっかりと立ち上がった。口はまだもぐもぐ動かしたままだったが、その背筋はしっかりと伸びている。
「編み物はもうお続けにならないのですか? 面白い作品が多くて、わくわくしていましたのに。」
「そうね……、ちょっと面白いことを思いついたわ。」
ガブリエラはそう言うと、メアリに命じるのではなく自分の足で戸棚に向かい、その中に片づけてあった大量の刺繍糸の束を持ち出してきた。そしてその中から黄緑や緑、黄色などの糸を取り出して、細めのかぎ針を手に取ると、おもむろに何かを編み出した。
しばらくして出来上がったのは、ぬいぐるみ、いや、縫われたのではなく編まれて作られているので、『編みぐるみ』と呼んだ方が良いのだろう、やけに立体的で写実的な一匹の芋虫だった。黒い眼玉模様や黄色い角までしっかり再現されている。
「何かを作ろうと思っても、今からだととてもじゃないけど間に合わないし、パーティにはこの芋虫を連れていくことにするわ。」
「お嬢様、あの続きからであれば、今からでも間に合うと思いますよ?」
「だってあれは処分してしまったでしょ? って、メアリ、貴女、捨てずに残していたのね。命令違反だわ!」
「いいえ、処分しろとは言われましたけれど、捨てろとは言われておりませんので。」
メアリの言い分では、解いて糸に戻す予定で片づけておいた、ということになるらしい。たしかに、立派な糸なので捨ててしまうのは勿体ないと言われれば、まったくその通りだった。
「自分でも何故なのかよくわからないけれど、あの時はもう、これを編み続けたくは無かったのよ。」
「お嬢様の細かいお気持ちまでは私にはわかりません。でも誰だってそういう時はございますよ。」
「また適当なことを言って。」
ガブリエラは軽く悪態をついたが、メアリに対して何かを含んでいるわけではない。それにこうして少し時間を置いてから見てみると、この蜜柑と蝶のレース編みもそこまで悪い物ではない気がしてきた。
そうして完成した蜜柑と蝶のショールには、緑色の小さな芋虫が一匹、軽く縫い付けられていた。
あれだけ強かった日差しが鳴りを潜め、日増しに秋の気配が強くなり始めた。庭の蜜柑の木々に生っている実も、濃い緑色だったものから少しづつ黄緑色へ、そして黄色へと変わりつつあった。
そんな蜜柑の実を突っつきに来るのだろう、少し前に比べて小鳥の姿が増えている印象だ。特に早朝は小鳥がたくさん飛来していて、その鳴き声で目覚めることも増えてきている。
「ここ最近は小鳥さんたちのお陰で、お嬢様をお起こしする手間が減って助かっていますよ。」
「本当にそうね。実家にいた時は日の出前に起きるのが当たり前だったというのに、ここに来てからは寝坊することが多くなってしまったわ。」
嫁いでいくプリシラの家であるマール侯爵家のパーティに出席するため、今日は朝から王都に向けて出発することになっている。荷物の準備は昨日のうちに終わっているが、実際のところ、あまり時間に余裕があるわけではない。
公爵邸から王都までは馬車で一日の距離なのだが、ガブリエラはここから直接マール侯爵邸に乗り付けるわけではない。王都にはガブリエラの祖父が使っていた別邸があって、今はガブリエラの名義になっているので、そこを拠点にする予定になっているのだ。
王都からは近くて遠い公爵家のことだ。この機会にプリシラのマール侯爵家だけでなく、他の友人知人との交流を行うべきである。ガブリエラはそのためにも、祖父の残してくれた別邸を利用する腹積もりであった。
マール侯爵夫人は滞在しても構わないと言ってくれたものの、さすがにプリシラの輿入れを前にして、忙しさを極めているマール侯爵邸にお邪魔することは避けるべきだった。他の友人たちも同じく適齢期で、次の春から秋にかけて婚姻を控えている。どうせ必要になるのだからこの機会にと、王都滞在用にこの別邸の準備を進めていたのである。
王都の別邸は、はるか昔に曾祖父が愛人を囲うのに用意した屋敷らしい。今は老夫婦が管理しているものの、長らく使われていなかった建物である。そのため今回のガブリエラ受け入れ準備のために、メイド二人を前乗りさせている。
準備にはメイドたちだけでなく、ワスプ商会にも声が掛けられていた。今回ガブリエラは、王都に二週間ほど滞在する予定にしている。半月ほど公爵邸を留守にするため、出張工房に詰めている職人の面々も、一緒に王都に移動することになっているので、その受け入れ準備のためだ。
別邸は実家の侯爵家の持ち物ではないし、リンシー公爵家の別邸でもない。ガブリエラ自身の持ち家なので、臨時工房を用意するのにも都合が良かった。それにリンシー公爵の息のかかっていない場所にしばらく滞在することが、今のガブリエラには必要なことだった。
ガブリエラの出発に際しては、執事のギャリソンとメイド長のメーガンが玄関先まで挨拶に出てきていた。もちろん公爵は顔を見せなかったが、誰もが予想していた通りなので文句を言うものはいない。
職人たちの準備は既に整っており、あとはガブリエラと、そのお付きのメアリが専用の馬車に乗り込むだけだ。
「それでは、メーガン、それにギャリソンも、後のことはお願いね。」
「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
メーガンに続いて、ギャリソンがガブリエラに挨拶の言葉をかけようと一歩前に出ようとしたところで、彼はある物に気づいて足を止めて顔をしかめた。
「ガブリエラ様、失礼ですがお肩のところに、何やらむさい物が止まっておるようです。」
「ああ、これ? 貴方が気にするようなことではないわ。」
ガブリエラは白い手編みレースの肩の所に縫い付けてある緑色の芋虫を、作り物であることがわかるように指ではじいた。
ギャリソンは咄嗟のことにかける言葉を思いつかず、まるで助けを求めるかのようにメイド長のメーガンに視線を送った。しかし彼女はそれに気づいてい肩をすくめるだけで、何も口に出そうとはしない。
メーガンとは、もちろんメアリとも、このやり取りは昨日までに十分済ませてある。メーガンにはまだまだ言いたいことが山ほどあるようだったが、それは出発前の玄関先で話すようなことではなかった。
どうやらギャリソンには、今この場には味方がいないようだ。ギャリソンは仕方なく、自分の口から問題点を指摘した。
「ガブリエラ様、差し出がましいようですが、そのような物はお片付けくださいませ。公爵家の品位にも関わります。」
「執事の身でお嬢様のお召し物に意見するなど、僭越に過ぎますよ?」
「メーガン、良いのよ、言うだけ無駄だから。」
ガブリエラはメーガンの言葉を押しとめ、ギャリソンに向き合った。
「公爵家の品位だなんて、何を今更なことを言っているのかしら。それに貴方が身分もわきまえず、私の服装に指図するのはこれで二度目ね。三度目はありませんよ?」
ギャリソンは苦い顔を浮かべながらも、腰を折って謝罪を口にした。
マール侯爵家令嬢の結婚披露のパーティに、夫である公爵を連れず、その夫人だけで参加するなど、上位貴族としてあり得ない行為だ。そこには品格も何もない、ただ我がままなダメ貴族がいるだけだ。少なくともガブリエラやメイドたちはそう考えている。
だからガブリエラは、芋虫公爵と噂される夫の代わりに、手編みの芋虫を連れていくのだ。彼女ははっきり口に出してそう言わないが、これはそう考えての行動だとギャリソンは感じ取った。
ガブリエラだけでなく、メーガンやメアリのギャリソンを見る目は酷く冷たい。彼女たちはガブリエラが実家の侯爵家から酷い仕打ちを受けていたのを知っている。そして、ガブリエラにはリンシー公爵家で幸せを掴んで欲しい、と強く願っていた。
そんな彼女たちの願いは、引きこもり体質の公爵によって潰えようとしているのだから、ギャリソンに味方をする者がいないのは当然のことだった。




