12.引きこもり公爵
庭の蜜柑の木々が花を落とし実をつけ始めた頃、プリシラから一通の手紙が届いた。彼女の持ち帰った蛹から、蝶々が二匹も羽化したそうだ。
残念ながらガブリエラの蛹からは蝶々が羽化することはなかった。ガブリエラはその瞬間を見ていなかったが、目撃したメアリによれば、蛹からは蝶々ではなくて焦げ茶色をした蜂が出てきたそうだ。後から見たら、蛹には蜂が出てきたという穴がぽっかりと空いていた。
蜂の蛹を蝶々の蛹と間違えていたのかと思い、庭師に詳しい話を聞いてみると、別に間違えたわけではないらしい。果物が虫に食われるのと同じように、芋虫が虫に、この場合は蜂に食われた、ということのようだ。
この蜂、恐ろしいことに、芋虫の体に卵を産み付けるらしい。蜂の卵は芋虫の体の中で孵って、そのまま芋虫の体を食べて育つのだ。食べられている芋虫の方はそんなことに気づきもせず蛹になるけれど、蜂の幼虫はそのまま蛹の中も食べ続け、最後には空っぽになった蛹の中で羽化して、外に出てくるのだ。
「なんだか怖い話ね、その蜂、私たちに卵を産み付けることはないの?」
「はっはっは、それは大丈夫でさ。その蜂は人を絶対刺さないんで。」
刺さないなら安心だが、それでも何だかお尻がムズムズするような、なんとも気味が悪い話だった。
お針子さんたちの作業は思っていた以上にはかどったようで、ガブリエラの衣服は夏を迎える前には完全に整っていた。それどころか、作業はすでに秋服の本縫いに入っている。そしてさらにはメーガンの管理の元、冬服作成のスケジュール調整を行っているところだ。
怒涛の職人の嵐が吹き荒れた時とは違い、今ではメイド長のメーガンが奥向きの管理を任されている。たとえガブリエラであっても、そんなに我儘は通らないのだ。
メーガンに管理されているのは、もちろんスケジュールだけではない。予算もそうだし、納品物の品質もメーガンのチェックを受ける必要がある。まだ公爵家にやって来てそれほど経っていないというのに、今では彼女の厳しい目を通り抜けなければ何も購入できないくらい、メーガンは公爵家にどっしりと根を張っていたのだ。
冬服は新しく仕立てるだけでなく、既存の前王妃コレクションからの仕立て直しも行うことになる。仕立て直しではどうしても現物合わせが必要になる、つまりガブリエラの出番が多くなるのだが、そう何度も足を運んでもらうには公爵邸は辺鄙な場所にありすぎるのが問題だ。
そこで公爵邸の中に常設の作業場所を用意する方向で、メーガンと仕立て屋たちとの調整は進んでいった。
ちなみに最初に声を掛けた商会だが、リンシー公爵家の御用達商人として、食料品から何から、公爵家のすべての取引を引き受けていたのだが、すでに出入り禁止処分になっている。リンシー公爵本人の命令を無視したのだから、これは当然の措置だ。
命令無視もさることながら、盗難事件を起こした前任のメイド長とのつながりも問題だった。そして公爵家が購入していた食料も無駄に高値だったことも判明し、メーガンがメイド長に就任するやいなや、速攻で出入り禁止にしてしまったのだ。
ガブリエラもそれには反対しなかった。自分の商会があるというのに、わざわざ公爵家の顔を立てて任せたのだ。それなのにまったく対応しなかったのだから、許してやる理由などどこにもなかった。
そして執事のギャリソンも反対どころか大いに賛成するありさまだった。公爵家の顔が丸つぶれになったのだから、出入り禁止で許すだけ有難いと思え、と言い出すぐらいだった。
公爵本人がどう思っていたのかはわからない。あれだけの事件になったのに、彼が表に顔を出すことは最後まで無かったのだ。
あの事件から何十日も過ぎたというのに、公爵はいまだに引きこもったまま表に顔を出していなかった。
「ギャリソン、それで、公爵との対面はいつになりますの?」
「それは、旦那様と相談の上で改めて日程を……」
「その、日程というのはいつ教えていただけますの?」
「それは、その、旦那様と相談してみなければ何とも……」
ガブリエラは着衣の問題から、公爵への面会が断られた。少なくともガブリエラとギャリソンとの間では、そういう事になっていた。
衣服も靴の新調し、前王妃の宝飾品で飾っているガブリエラは、今ではどこからどうみても上級貴族の令嬢にしか見えない。つまり公爵との面会が許されない理由は、もうどこにもないはずだ。
しかしそれでもなお、公爵との面会は叶わなかった。
ギャリソンとの交渉に臨むガブリエラの傍らには、メイド長になったメーガンも控えている。彼女もまた、リンシー公爵との面会には至っていない。それだけではなく前任者とは異なり、公爵私室の鍵も渡されていないのだ。
このまま放置すれば公爵家の運営にも、屋敷の管理にも、支障をきたすことになる。メーガンにとっても、これは早急に解決して置かねばならない問題だ。
「顔合わせを引き延ばしたくて、商人を引き留めていたわけではないのでしょう?」
「はい、それはあり得ません。その件では旦那様も大層お怒りでございました。」
「対面が引き延ばされている理由は何なのか、貴方はご存知?」
「いえ、申し訳ございません。私にも何が何やらさっぱりわかりません。」
これは嘘だ。ギャリソンはうまく感情を隠しているが、ガブリエラにはわかる。彼は事情を熟知しているのだ。そしてそれを口に出すことは絶対にないということもガブリエラは理解した。
それにしてもわからないのが、公爵が対面しようとしない理由だ。もしもガブリエラを遠ざけたかったのならば、宝石盗難事件は格好の材料だったはずだ。マチルダを上手く利用してガブリエラに窃盗の嫌疑をかけてしまえば、それだけでガブリエラを追い払うことができたのだ。たとえ王命の結婚であったとしても関係ない。
それなのにそうはしなかった。それはガブリエラと敵対することを避けた、ということでもある。ガブリエラが推薦したメーガンをメイド長にしたことからも、公爵には敵対する意思がないことは明らかだ。
ガブリエラ配下のメーガンがメイド長になったことで、ガブリエラが実質的にリンシー公爵家の女主人になったと言ってよい。それは公爵が、この結婚を受け入れているという意味でもある。
それなのに対面は絶対に避けようとする、そこに一体どんな理由があるというのだろうか。
実はこの屋敷には、メイド長となったメーガンの配下とは言い切れない女性が一人いた。公爵の乳母だった女性である。今はもちろん乳母としては雇われていないが、それでも「お客様」としてこの屋敷に滞在を続けているそうだ。
そしてこの乳母は、公爵の身の回りの世話を一手に引き受けているらしい。他のメイドたちは、メイド長のメーガンも含めて、誰も公爵の私室に入ることは許されていないのである。
恐らくそれも、ガブリエラとの面会を拒絶していることと何か関係があるのだろう。
魔女。
なぜかそんな単語が、まったく脈絡もなくガブリエラの頭をよぎる。
ほとんど公爵の私室で過ごしているらしく、ガブリエラは一度もこの乳母の姿を見かけたことはない。メイドたちに聞いてみると、流石に見かけた事ぐらいはあるようだが、それでもまともに会話したことがないという謎の人物。
「三日待ちます。それまでに対面はいつになるのか、教えてくださいね。」
「そのように努力いたします。」
「努力は必要ないわ、結果を示しなさい。」
「私には確約いたしかねます。」
対面日そのものを教えろと言うのではなく、対面日をいつ教えてくれるのかを教えろと言っているのに、それさえも断られたのでは、もうガブリエラの方から日限を切るしかない。
「顔合わせではなく、手紙のやり取りも駄目なのよね?」
「はい、申し訳ございませんが、今はお待ちいただくしかございません。」
「私に公爵の執務室に突入させるおつもりなの?」
「それは……おやめください。」
最初の手紙はメイド長だったマチルダが勝手に処分していたらしいが、新しい手紙を渡しても公爵がその封を切ることは無かったのだ。それならもう公爵と交流するには、強行突破するしかないではないか。
ガブリエラだってそんなことはしたくない。それでもやるしかないとなれば、ガブリエラは止まるつもりはない。
そして、それは執事のギャリソンにも完全に伝わっていた。
彼女はやると言えば必ずやる。拘束して止める? 殺して止める? 馬鹿な。相手は妻として当然のことを言っているだけだ。それにまったく応えようとしていないのが、夫である公爵ではないか。
ギャリソンは別にガブリエラを排除したいわけではない。それに個人的にはガブリエラを女主人として迎えることは、決して悪い選択ではないと思っている。しかしそれでも、彼には主人を裏切ることは出来なかった。
「旦那様をなんとか説得いたします。申し訳ございませんが、それ以上のことは私には確約できません。お許しください。」
これ以上ギャリソンを押しても何も得る物はない。
「努力でも何でもなさって、結果をお示しなさい。では三日後、楽しみにしていますからね?」
ガブリエラはダメ押ししたものの、それ以上の追及はせずに執事を解放するしかなかった。
もしも三日後までに何の進捗も得られなければ、公爵とは、そして執事とも敵対することになるのだろうか。
芋虫公爵だの、化け物公爵だの、何かと悪い噂のある公爵のことだ。もしかしたら見た目の問題で顔合わせをしたくない、そんな可能性があることは頭の隅にあった。しかし手紙まで拒否されるとなると、容姿の問題ではないだろう。伝染性の病気なども考えられるが、それなら理由を隠す必要がない。
「まったく意味が分からないわね。メーガン、貴女なら何か予想がつかない?」
「いえ、私にも何なのかはわかりません。ただガブリエラ様が嫌われているわけでは無さそうですので、あまり焦らない方がよろしいのかも知れません。」
「だけど放っておくと、そのまま五年、十年と、どんどん無駄に時間が過ぎてしまいそうよ?」
本当に何なのだろう。
公爵は本当に実在しているのだろうか。実は公爵なんていなかった。そう考えた方が辻褄が合いそうだ。
おそらくそうなるだろうと、ガブリエラたちが半ば予測していた通り、公爵からの返事は、三日どころか十日、さらには一ヶ月経っても得られることはなかった。




