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能面令嬢の結婚  作者: 大沙かんな


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01.婚約破棄

「アーカンデ侯爵令嬢ガブリエラ、貴女との婚約はただ今この場をもって破棄する。」


 王国第二王子ヌケサークの一方的な婚約破棄の宣言を、婚約者である侯爵令嬢のガブリエラは一切表情を変えることなく聞いていた。


 今は王城内の庭園にて、王家主催の園遊会の真っ最中だ。衆人環視というほどではないけれど、それでもある程度の他人の眼というものがある。婚約破棄など、そんなところでして良い話題ではない。


 しかしそんな指摘をしたところで、この間抜けな王子が癇癪を起して喚き散らすだけであることを、ガブリエラは良く知っていた。貴族というものは喜怒哀楽を面に出さないものだと言うのに、まったくもって無能なことだ。


「ヌケサーク殿下、私は構いませんが、婚約は家同士の契約です。申し分けございませんが、私が勝手に了承するわけには参りません。」


 返答するガブリエラの感情は、その表情からはうかがい知れない。王家との婚約を破棄されるというのに、泣くような素振(そぶ)りさえ見せない。それが気に入らなかったのだろう、第二王子は目に見えて不機嫌になる。


 ヌケサーク王子は顔だけは良いので若い婦女子に人気があるのだが、我がままで自分勝手、その上に派手好きの癇癪持ちで、初めて会った時から好きになれない相手だった。


 王子の方も、ガブリエラの何があってもほとんど表情を変えない、能面のような顔が好きになれなかっただけでなく、化粧も宝飾品も最低限で、古臭く質素な身なりにもうんざりしていた。そして自分よりもはるかに豊富な知識や、数ヶ国語を自在に操る語学力に、劣等感を刺激されて憎悪の感情を持つに至っていた。


 それが嫌ならドレスでも宝石でも贈れば良いのに、ガブリエラが内心でそう思っていることなど、ヌケサーク王子は思いもつかない。徹頭徹尾、自分のことしか考えていない、水たまりよりも底の浅い男なのである。


「当然、国王陛下にも、貴女の父君である侯爵にも、すでに了承は得てある。」


 元はと言えば、いつまでもふらふらしている第二王子を支えるためには、しっかりした女性がどうしても必要だと、両陛下から是非にと請われての婚約だったというのに、まったく馬鹿げた話だ。



「それならば、私がここで反対する理由はございません。ところで、婚約破棄の理由を伺いたいのですが、ご説明をお願いできますか?」


 どうせ馬鹿げた理由なのだろうが、ガブリエラはその立場上、聞いておかなければならない。


「良かろう。ガブリエラ、貴女の妹君に対する酷いいじめの数々は、既に全て調べがついているのだ。貴族家の内情に干渉することを王家は好まないが、王家の一員に迎えるとなると別問題だからな。」

「いじめとやらには全く身に覚えがありませんが、おっしゃる言葉の意味は理解いたしました。」


 そのような家内の事情が理由ということは、この婚約破棄には侯爵も深くかかわっていることを意味する。ガブリエラはいじめなどは行っていない。どちらかと言えばガブリエラの方がいじめられているのだが、ここではそんなことは関係ない。


 侯爵家の跡継ぎとしての教育を受けてきたガブリエラだったが、王家の、それも第二王子からの婚姻の要請を、あの時の侯爵は喜々として受け取った。ガブリエラに侯爵家を継がせたくない、厄介払いしたい、その思いと、王家との縁組による利益から、この婚約を喜んで受けたはずだった。


 それを破棄するということは、第一王子の容態が良くないのではないか。そうガブリエラは考える。第一王子は立派な人格者なのだけれど、今は重い病気で臥せっているのだ。もしかするともう長くないのかも知れない。


 もしも第一王子の身に万が一のことがあると、次の王はこの無能な第二王子ということになる。そしてその妻は次の王妃だ。自分の嫌いなガブリエラが王妃になり、それに(かしづ)かなければならない、侯爵はそれを何としても避けたいのだろう。


「しかし我々王家にも、その年で婚約者がいなくなった令嬢への責任というものがある。そこでリンシー公爵家との婚姻を国王陛下が取り付けて下さった。有難く受けるが良い。」


 リンシー公爵と言えば、化け物侯爵とか、芋虫公爵などと噂されている家ではないか。そんな所に嫁ぐという話が有難いはずがない。ガブリエラはそんな訳のわからない話を受ける必要性を感じなかったが、どうせ父の侯爵とはすでに話がついていることだろう。


 第二王子との縁組よりも威力は落ちるが、リンシー公爵でも王家に大きな恩を売れる。リンシー公爵夫人であれば王妃になるわけでもないし、芋虫公爵が相手なら、ガブリエラに対する嫌がらせにもなる。あの嗜虐趣味な侯爵の考えそうなことだ。


 ガブリエラは喜びに歪んだ侯爵の顔を思い浮かべようとしたが、それはうまくいかなかった。考えてみればもう長い間、父である侯爵の顔をまともに見たことがなかったのを思い出す。


「かしこまりました。正式には父の侯爵より、お返事させていただきます。」


 ガブリエラは先ほどまで婚約者だった第二王子にそう返事をすると、優雅に挨拶をして園遊会の場を離れた。



「まったく面倒なことになったわね。」


 王子との婚約破棄も、芋虫公爵への輿入れも、面倒臭い話だとは思うものの、悲しいとか寂しいとか、そんな気持ちはガブリエラには湧いてこなかった。


 喜怒哀楽の感情を顔に出さないと言うよりも、そんな感情は遥か昔に擦り切れて無くなった、そう言った方が正しいだろう。ガブリエラにも感情はあるのだが、悪意を持って接してくる相手に対して、感情的になるのもばかばかしい。


 ガブリエラはその両親にではなく、その祖母に育てられた。それが今の彼女に大きく影響しているのは間違いない。


 ガブリエラの祖母は前アーカンデ侯爵、現在のアーカンデ侯爵の母親だった。彼女は自分にとても厳しく、そして他人にはそれ以上にもっと激しく厳しい人で、まるで人情味のない、人前だけではなく私生活においても、表情をまったく面に出さない人だった。


 祖母の教育方針は苛烈を極めていた。よっぽど博識で有能な大人でも困難な課題を幼女に与え、それがこなせないとなると平気で鞭が飛んだ。少しでも出来が悪ければ、無能、低能、出来損ないと容赦なく罵声を浴びせかけた。


 『飴と鞭』という言葉があるが、祖母のやり方は『剣と鞭』とでも呼べるものだった。たまに優しく振るわれる鞭を飴だと感じるほどに、それは凄まじいものだったのだ。それは教育とは名ばかりの、ただ激しいだけの虐待に過ぎなかった。



 祖母が亡くなった時、「ああ、これで少しは楽になるかな」とガブリエラはほっとした表情を浮かべた。そのとき彼女の心はすでに擦り切れていたけれど、それでも感情を浮かべるほどには、彼女にとって祖母の死は幸せを感じる出来事だったのだ。


 しかしガブリエラは幸せになることはなかった。祖母に酷く押さえつけられていた両親が、そして妹が、ガブリエラに憎しみをぶつけるようになったのが原因だった。


 ガブリエラの容姿は祖母によく似ていた。そしてその苛烈な教育によって面から失われた表情が、より強く祖母の姿を思い起こさせた。家族はそんなガブリエラに対して、まるで祖母への恨みを晴らすように厳しく接したのだ。


 ガブリエラは家族に何をされても泣くことも喚くこともなく、まるで祖母と同じような眼で相手を見つめ返すだけだった。それが余計に相手を苛立たせ、いじめはより激しさを増していく。


 ガブリエラはそれまで過ごしていた立派な部屋から屋根裏へと押しやられ、ふかふかだったベッドは硬い板張りのものに置き換えられた。祖母から譲られた宝石類もほとんどすべてが奪われた。そして当然のように次期当主の座から外され、出来の悪い第二王子に嫁ぐことになった。


 彼女のクローゼットには、外出時のために古臭い祖母の若いころのドレスだけは残されたが、それまでの衣服の代わりに使用人のような粗末なものが吊るされた。食事も家族と共にすることは許されなくなり、口にできるのは使用人以下の粗末なものだけだ。そしてそれは何かあるたびに罰として、頻繁に抜かれることになる。



 ガブリエラは一人で屋敷に帰りつくと、そのまま一人で屋根裏の自室に戻り、誰の助けもなく祖母の残したドレスを脱いで普段着に着替えた。


「あの人は死んでも迷惑をかけ続けるのだから、無能どころか、悪い意味でとても有能だったのよね。両親は私と祖母の区別もつかないのだから、やはり祖母の言った通り優秀ではないのだわ、残念だけれども。」


 祖母にもおそらく言い分はあったのだろう。彼女には三人の息子がいたが、最も期待をかけていた優秀な跡継ぎの長男、そして予備の次男を相次いで事故と病気で失い、どうせ家を出ることになるからと、放任していた三男に侯爵家を継がせなければならなくなったのだから。


 だからと言って、その三男に罵詈雑言を浴びせかけた上、落第の烙印を押し付けるなど、出来の良い女のすることではない。そうガブリエラは思う。ましてや年端のいかない幼女が、何十年も領主を務めてきた自分と同じことが出来ないからといって折檻するなど、常軌を逸していたとしか考えられない。


「女なのだから、裁縫や料理が出来ないのは恥、などと言われて無理やり鍛えられたけれど、あの人自身は裁縫も料理もまったくできなかったのよね。」


 結局のところ、祖母もまた無能だったのだとガブリエラは結論付けた。無能な母親から生まれたのだから、父の侯爵が無能なのも仕方がない。そして無能の血を引き、無能に教育された自分も同じく無能なのだろう。


 そう考えたガブリエラの顔に、ほんの少しだけ、本人すら気づかない、もしかしたら誰も気づかないかも知れないぐらい極わずかに、笑みがこぼれていた。



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