愛しい背中の名前をなぞる
目の前を通りかかり、足を止めた。
目まぐるしい人生の忙しさに、神様が休息を与えるように。導かれるようにそこは変わらない場所のままだった。寂れた電光看板がまばらに点滅する様は、モールス信号のようにも見える。歓迎を意味するわけでもないのに、私は息を潜めてただじっと眺めていた。
忘れていても、通いつめていた頃の思い出がじんわりと浮かび、触れて愛していた日々を蘇らせる。
指先をなめらかに伝う感触。奥の方に潜む微かな苦々しい匂い。手に程よく馴染むずっしりとした重み。
煌々と光る看板の先に並ぶのは、かつて誰よりも傍にいた存在だ。
誰かに選んでもらう時をじっと待っている。私でも、私ではない誰かでも。背中を撫でる人の手を、待っている。
足が遠のいてから随分と月日が流れてしまった。踏み入れたとして、心が惹かれるままに選んだとして、最後まで楽しめる自信はない。向き合う気力もなければ、新たに発掘する高揚感もない。
だというのに私は店をくぐり、並べられた背中へ視線を巡らせている。懐かしい名前を見つけてはその度になぞり、時間を忘れて楽しんだ日々を思い返した。新しく並べられた名前をなぞっては、品定めるように顔などを眺めた。
指が震える。一度、その身体に触れただけで、今でも愛していると分からされてしまう。生活の必要ないと忘れていても、呪いのように私の心を掴んで離さない。その先に眠る全てを指で暴いてやりたいと、暴いたあとの快感と爽快さを得たいと脳が求めて仕方がない。
本能が本を求めてしまう。どんなに私が老いて時代が変わっても、不変の欲望だ。
一つ、二つ。三つと腕に抱える本が増えていく。安くはない。場所も取る。長時間文字を追えば目は霞むし、支える腕は疲れる。手のかかる存在だ。
「すみません、カバーをつけていただけますか?」
それでも傷をつけないように大切に扱いたい特別な存在だ。
残りの人生で覗ける物語を、忙しい人生に添えたいほどに。