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IMAGINARY BLADE  作者: あかなす
Beginning Night
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Beginning Night Ⅱ

 夜の帳が完全に下りた路地裏は、張り詰めたような静寂が支配していた。私の右手には依然として、握られたままのイマジナリ・ブレイドが淡い光を放っている。

 それは具現化された、私の心の形。ほとんど透明に近い白銀の刀身、その直剣は光源すら必要なく、ひとりでに輝き闇夜を照らす。それが今こうして、手元にあること自体がまさしく――弦木真琴、彼女の心を許可なく暴いた、言い逃れできぬ証拠だった。


 じわりと、手のひらに汗が滲む。自分のしでかしたことの重大さが、遅ればせながら現実味を帯びて迫ってきた。他人に心の刃を向け、その能力を行使した。それはこの現代社会において、重大な犯罪行為にあたる。


「…………」


 弦木は無言のまま、私の手の中にあるイマジナリ・ブレイドに視線を注いでいる。街灯の頼りない光が、彼女の感情を削ぎ落としたようなその表情を青白く照らし出している。その目はやはり、どこか値踏みするような不躾さで。私という犯罪者が脅威足り得るか、注意深く冷静に観察しているようだった。


 そうして獲物を見定めた次、彼女は刃に貫かれた自身の状態を確かめるためにその胸元へ視線を落とす。彼女の胸を穿った『心の傷』は既に閉じていて、心の声はもう漏れていない。それどころか、肉体に物理的な損傷は一切残っていない。彼女はそれを確かめると、すぐにその視線を私の方へと持ち上げる。


「貴様……『ホルダー』だったか」


 やがて低く冷たいその声が、私との間の沈黙を破る。彼女は私から決して視線を外すことなく、その身に纏うチェスターコートの内ポケットから薄型の携帯端末を取り出していた。


「名前は」


 その問いかけに一瞬、素直に答えるべきか思わず躊躇ったが――ここで答えないほうが問題をより悪化させるだろう。私は観念して、重い口を開く。


「……真加理、冴矢です」


 私の名前を聞いた直後、弦木は手元の携帯端末を片手で操作し始める。


「……確かに、ホルダーとして登録されているな。国には申告済みか。前科も『ネームド』も無し。年齢は、今年で十七歳。初めての擬刃化は三年前。その際に、イマジナリ・ブレイドを暴走させた記録がある……」


 端末の画面に表示されているのであろう私の個人情報を、彼女は特に何の感慨もなく読み上げていく。


「真加理冴矢。貴様の行動が、何を意味するか。理解しているな」


「…………」


 私は何も答えられなかった。理解しているかと問われれば、している……としか言いようがない。

 ホルダーが特別な許可なく公共の場でイマジナリ・ブレイドを抜刀すること、ましてや他人に向けてその能力を行使すること。それが法律で厳しく罰せられる行為であることなど、ホルダーである私が知らないはずもない。


「貴様の先ほど犯した行為は公務執行妨害、並びに空想法違反に該当する。私は『S.W.O.R.D』の捜査官として、貴様を現行犯で拘束する権限と義務がある」


 言いながら、弦木は手元のデバイスの画面を私の方へと向ける。照射されたホログラムの画面には、彼女の顔写真と名前、そして――空想犯罪対応局『S.W.O.R.D』の所属であることを示す証明書が表示されていた。


「三年前の暴走は執行猶予で済んだようだが……今回で二度目だ。拘禁刑は避けられないだろうな」


 彼女の言葉は、教科書を読み上げるような平坦さで――しかしその内容は、私の未来を真っ暗にするのに充分すぎるほどの重みを伴っている。

 拘禁刑。その言葉が、私の頭の中で重く響く。目の前が暗くなるような感覚に襲われ、目眩さえ覚えた。


 ……またやってしまった。あの時も……私は自分の力を制御できず、たくさんの人を傷つけてしまった。そして今回も……私は何度、同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろう――


「……ごめんなさい」


 胸の奥底から絞り出して、辛うじて出てきたのは、そんな謝罪の言葉。けれど、そんな言葉が何の役にも立たないことは分かっていた。

 いつもそうなのだ。私はいつも土壇場で、自分の感情が抑えられない。衝動に身を任せ、短絡的な行動を取ってしまう。どうしてあんな事をしてしまったのだろう――今更しても遅い後悔の念が、ただただ胸を締め付けた。


「…………」


 しかし弦木は、私の謝罪に何の反応も示さない。彼女はただ値踏みするようなその視線を、絶えず私に向け続けている。


「だが」


 そして、ややあってから――彼女は静かに口を開いた。


「貴様のブレイド、他人の心の声を暴く力……――面白い」


 その言葉に、私は思わず顔を上げる。彼女の口調は相変わらず冷徹なものだったが、その瞳の奥に、どこか好奇心のようなものが宿っている様子を、私は見逃さなかった。


「……面白い?」


「ああ。使い方によっては、非常に有用なツールとなるだろう。このまま牢屋にぶち込むには、些か惜しい」


 ツール。その言い方に、私は反感を覚えた。この刃は私の心そのもの。他人にそんな風に揶揄される謂れはない。


「真加理冴矢。私の捜査に協力しろ」


 しかし、私の気持ちなど意にも介さぬ様子で――この女は単刀直入、そんなことを言い出したのである。


「は……え……?」


「通り魔事件の犯人、その確保のために貴様の力を貸せ」


 言葉を変えて言い直されたところで、私には理解できなかった。なぜ私がそんなことをしなければならないのか。この女は一体何を考えているのか――呆然とする私に対し、彼女はこれ見よがしに眉をひそめる。その態度は私の心をいちいち逆撫でするようで、私の眉間にも自然と皺が集まっていく。


「これは取引だ。協力すれば、今回の件は不問にしてやる。だが、断るというのなら――今ここで、貴様を拘束するまでだ」


「なっ……!?」


 それは紛れもない脅迫。逮捕をちらつかせ、私に協力を強要している。あまりにも一方的で理不尽な要求――私の口は、ほとんど反射的に動き出していた。


「ど、どうして私がっ、そんなこと……!」


「貴様に選択肢はない」


 有無を言わせぬ、冷たい宣告。彼女の瞳には、一片の情も迷いも見られない。


「協力するか、逮捕されるか。どちらかだ」


 この時。私は目の前の、この弦木という女について、心の底から思い知らされていた。本気だ。彼女はきっと、目的を達成するためならばどんな手段も厭わない。相手が一般人だろうが、未成年だろうが、使えるものは何でも使う。そういう人間なのだ。


 ――許せない。私は静かに唇を噛み締める。悔しさと、恐怖と、そして言いようのない怒りが、胸の中で渦巻く。

 私は確かに犯罪者だ。言い訳のしようもない。だが、こんなやり方は間違っている。到底受け入れられるはずがない。

 しかし彼女の要求を断れば、私はここで逮捕される。ホルダーとしての前科に、犯罪歴が加わることになる。そうなれば、私の未来はいよいよ閉ざされてしまうだろう――


「……逮捕するなら、すればいいじゃないですか……!」


 分かっていて、それでも私の口からは反抗の言葉が飛び出していた。直面した理不尽に、衝動的に抗ってしまう。普段なら抑え込める感情も、土壇場になると制御が効かなくなる。私はそういう人間だった。

 この気性の荒さのせいで、幾度となく苦汁を舐めさせられてきた。どんなに気をつけていても、結局こうなってしまう。もはやそういう性分なのだと、諦めるしかないのかもしれない。


「あなたなんかに協力するくらいなら、捕まったほうがマシです……!」


 止めておけばいいのに、と自分自身、心のどこかで呆れながらも――反抗的な言葉が、止め処なく溢れてくる。どうしても、言ってやらねば気が済まなかった。


「ほう。つまり貴様は、このまま通り魔を野放しにしておいても構わないと。そう言いたいのか」


 しかし熱くなる私とは対照的に、弦木はどこまでも冷たい視線で私を射抜く。


「私は一日でも早く犯人を捕まえたい。貴様が協力すれば、犯人の逮捕が早まるかもしれん。そうなれば被害者も、これ以上出さずに済むだろう」


「そ、それは……! でも、そんなの……あなたたちの仕事でしょ!? 私には……!」


「ああ、そうだな。どこで誰が傷つこうと、貴様には関係のないことだ。このまま通り魔の被害者が増え続けることになっても、貴様は何も悪くない。見て見ぬふりをしていればいい」


「っ……!?」


 詭弁だと分かっていても、私は思わず言葉を喉に詰まらせていた。なんて卑怯な大人だろう。そんな言い方、私のほうが悪いみたいじゃないか。


「私は……見て見ぬふりなんかしない……!」


「そうか。だったらどうする」


 私の葛藤を、その心の声を、弦木は私以上に見透かしているようだった。その的確で冷静な言葉の刃が、私をさらに追い詰める。


「真加理冴矢。貴様はなぜ私に刃を向けた」


 弦木の問いかけに、私の心は想起する。当時、クラスに孤立していた自分自身の姿。私の噂を小声で囁くクラスメイトたち。遠巻きに好奇の視線を向けてくるクラスメイトたち。私という存在を異質なものとして扱うクラスメイトたち――


「私は、ただ……本当のことが、知りたくて……」


「知ってどうする。貴様は何がしたい」


 分かっている。みんな必死に折り合いをつけて、本当の自分を押し殺して、この社会を生きている。それが普通。それが当たり前。だから私も、みんなに迷惑をかけないよう、息を潜めて生きていくべきなのだ。分かっている。そんなことは分かっている――


「……私は、正しいことがしたい。間違っていることが、許せないんです……」


 そう。分かっていても、許せない。納得なんかできっこない。私の内側で鎌首をもたげているこれは、未熟で稚拙な正義感。私を衝き動かすきっかけは、いつも決まってそれなのだ。


「そのためなら……私は何だってやってやる……! だから……!」


 自分を曲げたくなんかない。学校では無理でも、せめてこの場では――この女の前でだけでも――私は、私の本当の気持ちから目を逸らしたくはなかった。


「だから……あなたに、協力します。でも……勘違いしないでください! 逮捕されるのが怖いからじゃない……何もかもが終わったその後は、牢屋にでもぶち込めばいい! その代わり、全部教えてください! 通り魔のこと……あなたのこと! 全部ッ!」


 短い沈黙の後、私は意を決して声を張り上げる。その言葉に、この先の未来すらも擲った覚悟を込めて。


「それでいい」


 しかし弦木の反応は、こちらが拍子抜けしてしまうほど、極めて淡白なものだった。彼女は私の返事に浅く頷くと、手元のデバイスを素早く操作し始める。


「連絡先を教えろ。明日、改めてこちらから連絡する」


「は……? えっと……はい……」


 事務的な口調で、淡々と私に指示する。今更文句を言っても仕方がないので、私は言われるがままに自分の端末を取り出し、彼女と連絡先を交換する。

 漢字でどう書けばいいのか分からなかったので、片仮名で――ツルギマコト。連絡先にその名前を登録する。思えば他人と連絡先を交換するなんて、随分久しぶりのことだった。


「今日はもう帰れ」


「え、ちょっ……」


 用件は済んだとばかりに、弦木は早々に私に背を向ける。呼び止める私の声にも構わず、彼女の黒いコートは夜の闇にゆっくりと溶けていった。


 一人残された路地裏に、冷たい夜風が吹き抜ける。張り詰めていた空気がようやく瓦解して、気の抜けた私は思わずその場にへたり込んでいた。その手に握り締めていたイマジナリ・ブレイドも、水泡のように弾けて消えていく。


「……やっちゃった……」


 熱くなっていた頭が、冷静さを取り戻していくにつれて――今度は不安と後悔が、たちまち私の心を掻き乱す。

 忘れていた。自分の心に従って行動するのが、こんなにも恐ろしいことだったなんて。しかしその恐ろしさは、どこか心地よくもある。


 夜空にはいつの間にか、数えきれないほどの星が瞬いていた。今はとにかく、家に帰らなければ――そう思いながらも、私の足はしばらくの間、その場から動くことができなかった。

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