表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IMAGINARY BLADE  作者: あかなす
Beyond the Rain
6/14

Beyond the Rain Ⅵ

 アスファルトを叩きつけるように激しく降り続いていた雨は、夜明けを待たずしてその勢いを潜め、いつの間にか細やかな霧雨へと姿を変えていた。

 倒壊した廃ビル群が黒々と横たわる事件現場に駆けつけてきたS.W.O.R.Dの隊員たち。現行犯逮捕された井狩森司の身柄は、彼らの厳重な警備体制の下、専用車両へと無事収容されていた。併せて広範囲に及んだ事件現場の保全作業と、今回の事件によって発生した甚大な被害状況の詳細な確認、その事務的な作業を彼らは黙々と進めていく。

 そこに困難な事件を解決したという達成感や、勝利の余韻のようなものはやはり、微塵も感じられない。大きな災害の後に残された無力感にも似た空気が、現場全体をただ静かに支配していた。


 やがて日が完全に落ちた頃。現場の後処理にも一定の目途が立ち、私たちはS.W.O.R.D本部へと帰投することになった。雨と汗でぐっしょりと濡れそぼった制服の不快な重さに耐えながら、隊員が運転する車両に弦木と同乗する。現場を離れるにつれて少しずつ遠のいていく、嵐が過ぎ去った後のような残骸の景色を、私は車窓からどこか現実感の乏しい気持ちで眺めていた。


 本部に戻った私は、すぐにシャワールームへと駆け込んでいた。冷え切って感覚を失いかけていた身体に熱い湯を浴びせることで無理やり温める。その後、清潔で乾いた予備の制服に袖を通した私は、その足で仮眠用の個室へと向かった。

 アンサラーの能力の限定解除は、私自身の精神を大きく擦り減らす。今でもまだ耳の奥で井狩森司の心の叫びが、後遺症のように繰り返し反響している。

 鉛のように重かった私の身体は、個室に設けられたベッドに倒れ込むと、一瞬で睡魔に誘われていった。


 そのまま数時間眠りこけていた私は、不意に目を覚ます。時刻は既に夜の闇が白み始め、東の空が明るくなり始めた頃。私は未だ微睡みの中にある身体を無理やり起こし、重い足を引きずるようにして部屋を後にする。


 このまま帰っても良かったが――ふと、予感があった。その衝動とも言える直感の赴くまま、私の足は真っ直ぐ、S.W.O.R.D本部の地下深く、あの会議室へと向かっていた。


「あれ……センパイ」


 誰もいないと思っていた会議室には既に明かりがついていて、そこには弦木真琴の姿があった。彼女はいつもの窓際の席に一人で座り、その手には湯気を立てる淹れたてのブラックコーヒーのカップが握られている。彼女は窓の外に広がる雨上がりの朝焼けを、静かに見つめているようだった。


「井狩森司の所有するイマジナリ・ブレイド、イペタムの破壊が決定した」


 私が隣の席に座ったのを確認して、弦木は静かに口を開いた。その残酷な響きに、私は静かに息を呑む。


「破壊……それって……」


「殺人を犯したホルダーの末路はただ一つ。イマジナリ・ブレイドの完全な破壊。そして、自らの心の刃を破壊されたホルダーは、その精神的な核を失い、廃人となる。我々ホルダーにとって、それは実質的な――死刑にも等しい」


 井狩の犯行動機は確かに身勝手で独りよがりなものだ。決して許されるものではない。しかし彼自身もまた悪意の被害者だった。その救いようのない負の連鎖、その末路は、同じホルダーとして――ある種、同じ経験を持つ者としても――私の胸に深く突き刺さっていた。

 もし誰か一人でも、彼に救いの手を差し伸べていたら。こんな悲劇は起こらなかったのかもしれない。どうしたって、そう思わずにはいられなかった。


「……私にできることは、何もなかったんでしょうか」


 私は俯き加減に、その心の奥底に渦巻くどうしようもない気持ちを吐き出す。声の震えは、もはや隠し通すことはできなかった。


「もちろん、彼がやったことは……決して許されることではありません。でも……私は、彼の心の声を聴きました。聴くことができたんです。なのに……私は、いつだって手遅れで……なにもできない。間に合わない……」


 私の刃は、隠された真実を暴き出す。しかしその真実が、誰かを救うとは限らない。むしろ行き着く先は、誰かの不幸。私は本当に、この力を正しく扱えているのだろうか。もっとやれることがあったんじゃないか。何が正しくて、何が間違っているのか――それさえ曖昧になってくる。


「貴様に落ち度はない」


 そんな私の、出口の見えない葛藤を見透かして、弦木真琴は迷いのない口調で言い放つ。その声色は冷たい夜風のように、私の火照った肌を優しく撫でるようだった。


「貴様は本当の意味で、他人の心に寄り添うことができる。他人の痛みを、自分の痛みとして感じることができる。それは貴様にしかできないことだ。胸を張れ」


 彼女の言葉はどこまでも真っ直ぐで、嘘偽りがない。だから傍にいて安心できる。身を任せることができる。その強さこそ、私が彼女を慕う大きな理由の一つでもあった。


「……少し前に、最初の事件の被害者、その奥方からS.W.O.R.D宛に連絡があった」


 その時、まるで今思い出したと言わんばかりの唐突さで、彼女は話題を切り替える。


「え……? あの奥様から……ですか?」


「ああ。貴様に、どうしても伝えてほしいと」


 どうやら内容は暗記しているらしい。弦木は薄く目を閉じ、その瞼の裏で記憶を反芻するように口を開く。


「……『あの時、私の話を聴いてくれて、私の気持ちを理解しようとしてくれて、信じてくれて……ありがとうございました。あなたのその優しさに、私は救われました』……」


「あ……」


 その内容を耳にした瞬間、私の目には不意に、熱いものが込み上げてきていた。私のしたことは無駄じゃなかった。ほんの少しでも、誰かの心を救うことができたのかもしれない。その事実が、私の凍りついていた心を溶かしていくようだった。


「救えなかった人間がいる。救いようのない人間もいる。だが、忘れるな。救われた人間は、確かにいる」


「センパイ……っ……ありがとう、ございます……!」


 震える声で感謝を述べる私の隣で、弦木の視線は窓の外、白み始めた朝焼けの空を、ただ静かに見つめている。氷で作られた彫刻のようなその横顔は、ほんの僅かながら、どこか人間的な温かみを帯びているように映った。


「……もう朝か。このまま泊まり込みで報告書をまとめる。貴様も手伝え」


「はいっ!」


 いつものぶっきらぼうな、それでいて頼もしい言葉に、私は涙を拭いながら頷く。ひたすらに、自分の信じる正義を真っ直ぐ貫き通す。私にできることは、結局それしかないのだろう。

 世界を洗い流した後の、雨上がりの清浄な空気が、私たちのいるこの場所を静かに満たす。その静謐の中で、白銀に煌めく私の覚悟、その形は揺るぎないものとなっていった。


 ◆


 事件から数日が経過し、世間も少しずつ落ち着きを取り戻し始めた、そんなとある穏やかな日の午後。場所は都心の一角に佇む、レトロな雰囲気の喫茶店。大きな窓からは初夏の柔らかな日差しが暖かく差し込み、店内を明るく照らしている。

 そんな陽当りのいい窓際のテーブル席、弦木真琴は今日もそこに腰を下ろしていた。彼女の細く長い指先が、湯気の立つブラックコーヒーのカップを静かに傾けている。その対面に座る私は、オレンジジュースのグラスに突き刺さったストローを特に意味もなく指先で弄びながら、窓の外に行き交う人の流れをぼんやりと眺めていた。

 あれほど世間を騒がせていた連続殺人事件も、終結した途端に人々の日常は何事もなく元の姿をすっかり取り戻している。


「……センパイ。美味しいんですか? それ」


 ふと、以前からずっと気になっていた疑問を口にしてみる。我ながらどこか間の抜けたその言葉に、彼女の外に向けていた視線が私の方へゆっくりと戻ってきた。


「ああ。ここの店のブレンドは、なかなか悪くない」


「へえ……」


 黒い液体に満たされたカップの中身を私が興味深そうに見つめていると、弦木はそっと私の前にそれを差し出してきた。気になるなら飲んでみろ、ということだろう。

 私は彼女の誘いを遠慮なく受け入れ、差し出されたカップを手に取り、その黒い液体を口に運んでみせる――


「うげえっ!? にっ……が……!」


 瞬間、その一口で全身に雷が落ちたような衝撃が走った。もはや言葉では形容し難い、暴力的なまでの苦みが、私の口内全体を覆い尽くす。私は思わずその場で悶え苦しみ、声にならない悲鳴を上げていた。

 そんな私の無様を尻目に、彼女はコーヒーカップを私の手から取り返して、見せつけるように飲み干した。その表情はどこか満足気ですらある。


「せんぱいの嘘つき! ぜんぜん美味しくないじゃないですかっ!」


「貴様の味覚は、ガキの頃から成長していないな」


「あっ! 今、子供扱いしましたね!? そういうの、エイジハラスメントって言うんですよ! 問題ですよ、問題!」


「ガキにガキと言って何が悪い」


「またガキって言った!? 人事部に訴えてやるーっ!」


『――臨時ニュースをお伝えします』


 そんな他愛もない会話を繰り広げていた、まさにその最中。喫茶店の壁に設置されていた薄型テレビの画面が突如、耳障りな警告音と共に切り替わる。そこには『緊急ニュース速報』という不吉なテロップが、見る者の不安を煽るように赤々と表示されていた。


『中央銀行東京支店におきまして強盗事件が発生しました。犯人は現金を奪い、現在も逃走を続けております。また、対応した銀行員の男性一名が刃物により負傷したとの情報もあり、犯人は凶器を持ったまま逃走している可能性が極めて高く、近隣にお住まいの皆様におかれましては、ただちに安全な建物の中などに避難し、外出は絶対にお控えください。繰り返します……――』


 女性アナウンサーの切羽詰まった声が、穏やかだった雰囲気を一変させる。店内に冷たい空気が張り詰めた直後、今度は弦木の羽織るコートの内ポケットに入っていた携帯端末、その警鐘のような着信音がけたたましく鳴り響いた。彼女は迅速に端末を取り出すと、流れるように通話ボタンを押す。


「……了解した」


 数秒間の事務的なやり取りを終えた後、電話を切った弦木は何も言わず、ただ真っ直ぐに私の顔を見た。その鋭い視線だけで彼女が何を言わんとしているのか、私はすぐに理解する。回りくどい言葉は必要ない。私たちの仕事は、時間との勝負でもあるのだから。

 無言のまま視線を交わし、私たちはほとんど同時に席を立った。私は制服のジャケットに袖を通し、彼女は黒いコートを翻して、足早に店を後にする――


 イマジナリ・ブレイド。人はそれを、時に悪意の具現化とも呼称する。

 だけど私は、必ずしもそうとは思わない。確かに世界は残酷で、視えない悪意は実在する。それでも私は、人間の善性を信じたい。正義の所在を信じたい。それを証明するために、私はこれからも、己の刃を振るい続ける。

 ようやく雨の上がったこの街が、絶望の暗雲に再び呑み込まれてしまう前に――その行く先に深い水溜りが待ち構えていようとも。私の足は躊躇なくそこに踏み込んで、真っ直ぐに駆け出していた。

IMAGINARY BLADE

Beyond the Rain

Fin

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ