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IMAGINARY BLADE  作者: あかなす
Beyond the Rain
2/14

Beyond the Rain Ⅱ

 関係者への聞き込みを粗方終えた私たちは、駐車場に停めた黒いセダンの中、束の間の休息を兼ねて、集めた証言の整理と事件そのものの再検討を行っていた。車内にはエアコンの送風音だけが静かに響き、外の喧騒を遮断している。しかし私の心の中は依然として、事件の重苦しい影が巣食い、静寂とは程遠い状態だった。

 街灯の頼りない光が、湿ったアスファルトを鈍く照らし出す時間帯。車窓を流れる風景は、家路を急ぐ人々の慌ただしい影と、次第に深まりゆく夜の気配を映し出している。


「……結局、有力な情報は得られませんでしたね」


 助手席に座る私は、手元の電子端末に表示された今日一日の聴取記録を指でなぞりながら、やや落胆の色を隠せない声で呟いた。その声は自分でも気づかぬ間に蓄積された疲労によって僅かに掠れている。


 聴取に応じてくれた被害者の関係者、そのほとんどが私の持つイマジナリ・ブレイド『アンサラー』による真偽判定に対して驚くほど協力的であった。正直なところ、これはかなり稀有なケースと言える。

 自らの心の声、その最もプライベートな領域を得体の知れない他人に意図的に盗聴されるなどということは、通常の感覚であれば誰もが抵抗を覚えるはず。

 しかし今回は、特に被害者と生前から親しい間柄であったという人々からは驚くほどあっさりと、その協力の承諾を得られることが多かったのである。

 それは被害者に対して彼らの抱く親愛と、その命を理不尽に奪った犯人に対する憤りが、個人のプライバシーへの懸念すらも上回った結果なのかもしれない。その協力的な姿勢は捜査を進める上で大きな助けとなったが、同時に彼らの深い悲しみを目の当たりにすることは私の心を重く締め付けた。


「被害者の方は、周囲の人望に随分と厚かったようですね。改めてアンサラーで真偽判定をするまでもなく、周りの人達からどれほどその死が悼まれているのか、痛いほど伝わってきました」


 端末の画面から目を離し、窓の外へと視線を移す。流れていく街の灯りが涙のように滲んで見えた。

 運転席に座る弦木は、私のどこか感傷的な響きを帯びたその言葉に、ただ静かに耳を傾けている。その手には先ほど立ち寄った自動販売機で購入したばかりのスチール缶が握られていた。


 ……ちなみに。彼女が手に持つそれは、おしるこ。そして今は黄昏時とは言え真夏の、湿度が異常に高い季節。冷房は効いているものの、このじっとりとした夏の蒸し暑さが残る車内で平然とそんな熱い飲み物を口にしながら、しかも季節外れの黒いチェスターコートを肩から羽織っている。それが弦木真琴という人間だった。

 恐らく彼女には本来、冷房すら必要ないのだろう。それでも今こうして車内の冷房が適度な温度に設定されているのは、同乗している私のために彼女なりに配慮してくれている結果なのだ。その無言の気遣いに、私は嬉しいような申し訳ないような、複雑な気持ちを抱いていた。


「センパイのブレイドも、今日会った人たちには何の『反応』も示さなかったんですよね?」


「……ああ。『血の臭い』は感じなかった」


「身辺調査を進めても、被害者に関する悪い噂は全くと言っていいほど出てこなかったですもんね。これがもし私怨による犯行だと仮定するなら、一体どんな理由が考えられるんだろう……」


 未だ靄がかかったままの事件の輪郭をどうにか掴もうと必死で思考を巡らせる。しかし集められた情報はどれも断片的で、犯人の動機や人物像へと繋がる明確な糸口は見えてこない。


「無いんじゃないか。理由なんて」


 そんな時、弦木はふと静かにそう呟いた。彼女の声はいつものように感情の抑揚を欠いてはいたものの、どこか遠くを見据えた思索的な響きを帯びている。


「何の非もない人間が、ただそこにいたというだけで命を奪われる。そういった類の悪意は確かに存在する。生きている、ただそれだけで誰しもが一方的な憎悪の対象となり得るものだ」


 弦木の言葉は冷徹な現実を、何の飾り気もなく突きつけてくる。その言葉は私の心に重く響いた。


「……そうですね。そうかもしれません……」


 悪意に必ずしも論理的な理由は必要ない――それは私自身、痛いほど理解しているつもりだった。理不尽な暴力や悪意に満ちた言葉は、時として何の前触れもなく、何の脈絡もなしに襲いかかってくる。そしてその傷跡は決して消えることなく、心の奥深くに残り続けるのだ。


「今日はここまでにしておこう。明日以降は、被害者の過去の交友関係やより広範囲な行動履歴の調査で新たに判明した関係者にも、改めて聞き込みを行う必要がある」


 弦木が静かにそう告げると、ゆっくりと車を発進させ始めた。駐車場から国道に出て、そのまま夕暮れの喧騒の中を走り出す。


「……すみません、センパイ。このまま直帰する前に、一度本部に戻っていただけませんか?」


 私が少し遠慮がちにそう切り出すと、弦木は運転をしながら僅かに視線をこちらに向けた。


「今回の事件に関する書類の整理と、過去の類似事件のデータベースの再確認を、もう少しだけしておきたくて。何か見落としている点があるかもしれないし……」


「……構わんが、私は先に帰るぞ」


「大丈夫です。ありがとうございます」


 彼女のいつもながらぶっきらぼうな返答に、私は小さく感謝を述べた。私たちを乗せた車は、そのまま夕闇の中を滑らかに走っていく。街の灯りがフロントガラスを滑るように、次々と後ろに流れていった。


 ◆


 S.W.O.R.D本部。その部署内で個人的に与えられた小さなデスクに戻った私は、今回の事件に関する膨大な量の書類の整理と過去の類似事件のデータベース検索に一人没頭していた。

 広大なオフィスフロアには、もう私しか残っていない。聞こえてくるのは自分のキーボードをリズミカルに叩く音と、分厚い資料のページをめくる乾いた音。そして空調設備が発する、単調な動作音だけ。


 窓の外は既に深い藍色に染まり、星々が都会の光害にも負けず、夜空一面に瞬き始めている。眼下に広がるのは煌びやかなネオンサインと高層ビルの窓から漏れる灯りが織りなす、巨大な光の絨毯。

 デスクの窓からその夜景をぼんやりと眺めながら、私は――ふと。S.W.O.R.Dに入隊する直接的なきっかけとなった、あの『始まりの夜』の出来事を思い出していた。

 あの頃の私は未熟で、無力で、ただ感情に振り回されるばかりだった。絶望に心を支配され、自らのイマジナリ・ブレイドを制御できずに暴走させ、結果として多くの人々を、その心を深く傷つけてしまった。


 あの忌まわしい過去、その後遺症とも言うべきトラウマは、今でも時折、鮮明な悪夢となって私の眠りを妨げ、冷たい汗と共に真夜中に目を覚まさせることもある。その度に私は言いようのない罪悪感に苛まれる。あの時の過ちを、私は一生背負って生きていかなければならない。


 それでも。今の私にはS.W.O.R.Dという、自分の力を正しい目的のために活かせる、確かな居場所がある。そして何より――ここには弦木真琴がいる。

 あの夜、絶望の淵にいた私に手を差し伸べ、新たな道を示してくれた彼女。いつか私も、彼女のようになりたい。肩を並べて戦えるようになりたい。ただその一心で、私は今日まで励んできたのだ。弱音を吐いている暇など、私にはない。


「(……必ず、この事件の犯人を捕まえる。これ以上、誰かの涙は見たくない。そのために、私はここにいるんだから……!)」


 この力を正しい目的のために使う。誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために。そのためにこそ自分は今この場所にいるのだと、改めて強く認識して――


「――あれえ? 真加理くんじゃないか。こんな時間まで残業かい? 感心だねえ」


 その時だった。不意に背後から柔らかな女性の声が聞こえてきて、私は驚いて顔を上げる。

 振り向いた視線の先、オフィス入り口付近こそこにはいつの間にか、一人の美しい女性が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


「えっ……き、桐生司令官……!? お、お疲れさまです……っ!」


 彼女は『桐生きりゅう凪咲なぎさ』。私たち現場捜査官の直属の上司であり、S.W.O.R.Dの最高意思決定機関である『総合作戦司令部』、その頂点に立つ総司令官を若くして務めている才媛である。


 イマジナリ・ブレイドの抜刀許可が最終的に降りるかどうかは、全て彼女の判断一つにかかっている。そして、危険な能力を持つホルダーを正式に『ネームド』として指定し、その情報をデータベースに登録しているのも、何を隠そう彼女なのである。

 直属の上司と言ってはみたものの、私たちにとってはまさに雲の上の存在とも言える人物だ。彼女の一声でS.W.O.R.D全体の捜査方針が大きく変わることも珍しくない。


 そんな彼女が、こんな夜更けに、わざわざこのオフィスまで足を運ぶとは――私は驚きを隠せず、慌てて椅子から立ち上がっていた。


「やあ、お疲れさま。そんなに畏まらなくていいよ。今回の事件、なかなか厄介な案件のようだねえ。捜査は難航していると聞いているけれど」


 美しいプラチナブロンドの髪を肩まで優雅に伸ばした彼女は、親しみやすい微笑みを浮かべながら、ゆっくりと私に近づいてくる。彼女が身に纏っているのは、シンプルながらも洗練されたデザインの黒いパンツスーツ。その完璧な着こなしは、彼女の抜群のスタイルをより一層引き立てており、思わず見惚れてしまうほどの美しさだった。その立ち居振る舞いには、どこか近寄りがたいほどの気品と知性を感じさせる。


「ふふ。どう? S.W.O.R.Dの仕事には慣れてきたかな?」


 彼女は私のデスクの上、整理していた書類にちらりと視線を落としながら、穏やかな口調で尋ねてきた。


「は、はいっ! おかげさまで、何とか……! まだまだ未熟者ではありますが、一日でも早く、S.W.O.R.Dの戦力として皆様のお役に立てるよう、職務に励んでおります……!」


「うんうん、良い心がけだねえ。その意気だよ、真加理くん」


 彼女の捉えどころのない薄い微笑みと、歌うような軽やかな口調は、その本心を見極めるのが非常に難しかった。弦木のそれとはまた違った意味で、その言葉の一つ一つに何か裏があるのではないかと、つい勘繰ってしまいそうになる。


「ああ、ところで。弦木とは上手くやれているかい?」


「……えっ?」


「弦木真琴。あいつ、君に迷惑をかけてはいないかな?」


「えぇっ!?」


 そんな彼女の、あまりに唐突で予想外の一言に、私はまたしても間の抜けた声を上げてしまうのだった。


「い、いやいや……! 迷惑をかけているのは、どう考えても私のほうですし……センパイは、私なんかがどうこう言える人じゃないです……!」


 私はしどろもどろになりながらも、必死でことばを返す。

 いや確かに。弦木真琴という人間は、冷たくて、厳しくて、人使いが荒くて、態度が尊大で、季節感がおかしくて、私のことを便利なツール扱いしている節はあるけれど。

 そんなこと、口が裂けても言えない。本人に知られたら、私は間違いなく次の任務で殉職扱いされる。


「はは。センパイ、ね。あいつをそんな風に呼ぶ同僚なんて、君くらいなものだよ」


 司令官は私の慌てぶりを見て、くすくすと楽しそうに咲ってみせる。


「あいつ、危なっかしいだろう? 君が傍で、しっかり手綱を握ってくれると、僕としても安心なんだけどなあ」


「手綱、ですか……!?」


 冗談なのか本気なのか分からない彼女の口振りに、私は余計に混乱していた。あの弦木真琴の手綱を握れる人間なんて、この世に存在するとは到底思えない。

 それにしても、あの弦木真琴をあいつ呼ばわりするその気安さといい、二人の間には私が知らない、特別な関係値が存在するのかもしれない。


「それじゃあ、真加理くん。期待しているよ」


 彼女はそうして、ふわりと身を翻し、軽やかな足取りでオフィスから立ち去っていった。そこには文字通り、嵐が過ぎ去った後の静寂だけを残して。


「……変な人だなぁ……」


 一人残された私の口からはつい、そんな抑え切れない本音がぽろりと漏れ出すのだった。


 ◆


 最初の事件から数日が経過した。あの白昼のスクランブル交差点で起きた出来事は、目まぐるしく移り変わる現代社会の情報奔流の中に一旦は埋もれてしまったように見えたけれど、その水面下では私たちS.W.O.R.Dによる極秘裏の捜査が昼夜を問わず精力的に続けられていた。


 だが、正直なところ状況は芳しくない。現場からは依然として決定的な物的証拠は見つからず、関係者からも被疑者に繋がり得る有力な情報は何一つとして出てこない。

 それもある意味仕方がない。この状況こそがまさに、空想犯罪というものが時に不可能犯罪と呼ばれる所以でもあった。

 目撃者もいなければ凶器も残らない。空想の刃による犯行。通常の警察組織では事件の入口にすら辿り着くことすらできないだろう。その事実は、我々S.W.O.R.Dにとっても決して例外ではなかった。


 ホルダーが関与していることはほぼ間違いない。その犯行手口の異常性が何よりも雄弁にそれを物語っている。しかしそのホルダーが一体誰で、どのような能力を持ち、そして何故このような犯行に及んだのか。全てが謎に包まれたまま、焦燥感だけが募り、時間だけが刻々と過ぎていく。


 ――そんな、ある日の午後。突如として、それは起こってしまう。


「緊急通報! 新たな事件発生です! 場所は、ビジネス街の駅前広場!」


 S.W.O.R.D本部の指令室から会議室へ、若い男性オペレーターの上擦った声が響き渡る。会議室のモニターには現地の監視カメラが捉えたのであろう、駅前広場の混乱した様子がリアルタイムで映し出されていた。

 遠目でも分かるほど鮮やかな血溜まりの中に、浮かぶ人影。その光景は、数日前に見た悪夢とあまりに酷似している。


「繰り返します! ビジネス街、駅前広場にて、事件が発生しました! 現場の状況から空想犯罪の疑いが極めて高いとのこと!」


「……全隊員に通達。捜査班は至急、事件現場に急行せよ」


 続けて指令室のスピーカーから桐生司令官の、普段の穏やかさとは打って変わった声色が厳かに響き渡る。その一報に室内にいた全ての隊員たちが一斉に動き始めた。椅子を蹴立てる音、装備を準備する音、無線で連絡を取り合う声。S.W.O.R.D本部は、瞬く間に臨戦態勢へと移行する。


 弦木と私は他の選抜された捜査員たちと共に事件現場となった駅前広場へと、サイレンを鳴らした緊急車両で急行した。車中、弦木は一言も発することなく、窓の外を険しい表情のまま見つめている。


 現場は既に先着した警察によって広範囲にわたり封鎖され、物々しい雰囲気に包まれていた。鑑識課の捜査員たちが雨上がりの湿ったアスファルトの上で、黙々と遺留品の収集や現場の撮影を行っている。その表情は一様に険しい。

 周囲には恐怖に顔を引き攣らせた通行人たちが、規制線の外から遠巻きに集まっており、騒然とした雰囲気に包まれていた。


 ――そこに広がるのは、数日前に私たちが目撃した、あのスクランブル交差点と酷似した光景。

 若い女性が血を流し、アスファルトの上に力なく倒れている姿があったのだ。


 被害者は二十代後半の女性会社員。彼女の傍らには高級ブランドものと思われるハンドバッグと、中身の散乱した買い物袋が散らばっている。恐らく仕事の合間に昼食を買いに出かけていたのだろう。

 色鮮やかなスカーフが彼女の首元から流れ出た血液で、禍々しいまでの深紅に染まっている。そして全身には、やはり無数の、鋭利な刃物による切り傷。それらが彼女の薄手のブラウスを、その下の白い肌ごと徹底的に切り裂いていた。


 私の鼻腔を、鉄錆の不快な甘ったるさが強く刺激する。それは決して慣れることのない、死の臭い。目を背けたくなる、残酷な現実――


「……衆人環視の中、一瞬で無数の傷を負わされている。誰も犯人を目撃しておらず、凶器も見つかっていない。数日前に起きた事件と、全く同じ手口……」


 それを弦木真琴は、どこまでも真っ直ぐ、冷徹に見据えていた。そんな彼女が静かに、はっきりと断言する。


「これは、連続殺人事件だ」


 第二の事件。新たな犠牲者。その揺るぎようのない事実が、私の心に深々と突き刺さっていた。

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