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IMAGINARY BLADE  作者: あかなす
Beginning Night
14/14

Beginning Night Ⅷ

 応援のS.W.O.R.D隊員たちが慌ただしく撤収作業に入る。村田が連行されていった護送車両のエンジン音は闇の彼方へと遠ざかっていき、先ほどまでの喧騒が嘘のように、事件現場には再び静寂が戻ってきた。

 後に残されたのは、事件の痕跡を消し去るための簡単な清掃を行う数名の隊員。そして夜の闇をぼんやりと照らし出す街灯の下、ぽつんと佇む私たち――真加理冴矢と弦木真琴の二人だけ。


 ……これで本当に良かったのだろうか。間違いを正したい、真実を明らかにしたい、その一心でここまで来た。けれど私は結局、自分自身の贖罪のために村田を利用してしまったのではないだろうか。私のやったことは、ただの偽善だったのではないだろうか――

 私の心は依然として重く沈んだまま、容易には晴れそうにない。未だ罪悪感に苛まれる私の心の声は、頭の中で自責の念を問い続けている。


 その一方で弦木真琴は、私から少し離れた所に立ち、携帯端末の電話口に向かって事件の報告を済ませているようだった。その事務的な様子からは、事件が解決した安堵も犯人を逮捕した達成感もないように見える。彼女にとって、これは数ある任務の一つに過ぎないのかもしれない。

 やがて報告を終えた彼女は手に持っていた端末をポケットの中にしまうと、黒いチェスターコートの裾を夜風に靡かせながら、私の目の前まで歩いてきた。


「……これで事件は解決だ。協力に感謝する」


 ぼそりと呟かれる、簡潔な労いの言葉。彼女がそれを告げたということは――これで本当に、全てが終わったということ。ここまで続いた彼女との奇妙な協力関係も、今日この瞬間限りで解消されるということだ。

 もう彼女と会うことも、S.W.O.R.Dという組織と深く関わることはないだろう。そう思うと、少しだけ安堵する気持ちと、同時に言いようのない寂しさのようなものが、じわじわと胸に広がるようだった。


「あの……弦木さん」


 これが本当に、彼女と交わす最後の会話になると言うのなら――聞かなければならないことがある。私は意を決し、固く閉ざしかけていた唇を半ば強引に動かしていた。


「私は……これから、どうすればいいんでしょうか……」


 自分の右手に、そっと視線を落とす。そこに、あの白銀に輝く刃の姿はどこにもない。けれどその存在感は、以前よりもずっと重く、確かなものとして感じられた。


「私は……この力と、どう向き合っていけばいいのか、分かりません。また、誰かを傷つけてしまうかもしれないと思うと……怖くて……」


 人を傷つける力。人の心を無理やりこじ開ける力。私はまた衝動的に、この力を振るってしまうかもしれない――そんな未来を思うと、身体が震える。声が震える。弱音を吐くつもりはなかったけれど、抑えきれなかった。村田澪の前では、あれだけ大見得を切っておいて、この有り様。我ながら、情けないことこの上ない。


「…………」


 そんな私の弱々しい言葉を、弦木真琴はただ黙って聞いていた。その深く、吸い込まれそうなほど黒い瞳が、じっと私を見据えている。彼女が何を考えているのか、正確に読み取ることはやはり難しい。


「真加理冴矢」


 どれくらいの時間が経過したのだろうか。永遠にも感じられるような、重苦しい沈黙の後――弦木真琴は、ゆっくりと、その薄い唇を開いた。


「貴様もS.W.O.R.Dになれ」


「…………え?」


 一瞬、私は耳を疑った。聞き間違いではない。私に、S.W.O.R.Dになれと。確かに今、そう言った。あの弦木真琴がだ。彼女が冗談や気休めを口にするはずがない。彼女は嘘を吐かない。その事実を理解しているからこそ、私にとっては問題だった。


「わ、私が……S.W.O.R.Dに……? な、なんで……」


「言っただろう。貴様のそのイマジナリ・ブレイド。使い方によっては、非常に有用なツールとなる。今回の事件でも、それは証明された」


 弦木は私の動揺など意にも介さない様子で、有無も言わさぬ迫力のまま、一方的に言葉を続ける。


「だが同時に、その力は制御できなければ、容易く人を傷つける凶器にもなる。このまま生涯、能力を使わず平穏に暮らす……それも一つの選択だろう」


 能力を使わず、平穏に暮らす――私も最初はそのつもりだった。だけど今はもう、そんな風に生きていける自信は、正直ない。

 そうやって生きていけるのなら、私はあの時、弦木真琴に刃を向けなかった。私はどうしたって、真実を見過ごすことができない。それが私、真加理冴矢の本質――結局、あの時の弦木の発言は的を射ていたのだ。


「だが、貴様はもう理解したはずだ。私たちが携える心の刃、それ自体に善悪はない。重要なのは、その使い方だ。力には正しい使い方がある。もしも貴様が、その力と向き合い、正しい目的のために使いたいと、少しでも考えているのなら――」


 弦木はそこで一度、言葉を区切った。そして、今度は先ほどよりもさらに真っ直ぐに、私の心の奥底まで見透かすような鋭い眼差しで、私の目を見て、強く言い放つ。


「貴様に、その道を示せる場所があるとすれば……それはS.W.O.R.Dを置いて他にない。……もっとも、貴様にS.W.O.R.Dの一員が務まるかどうかは、また別の話だがな」


 ……私が、S.W.O.R.Dに入る。ホルダーであるというだけで疎まれる社会で、息を潜めるように生きてきたこの私が……そのホルダーの力を使って。犯罪と戦う組織に入る? 現実味のない、荒唐無稽な話としか思えない。

 けれど同時に、私の心の中には別の感情が力強く湧き上がってきていた。今はただ忌まわしいだけのこの力を、意味のあるものに変えたい。誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために使いたい。そして、これからもずっと……彼女の隣で、共に戦えるようになれたら――


 それは漠然と抱いていた想い。けれど確かに存在していた願い。弦木の投げかけた言葉は、私にそれを自覚させた。

 夢を実現するための道のりは、想像を絶するほどに険しく、多くの困難が待ち受けていることだろう。今の、こんな未熟なままの私では、きっと到底務まらない。だけど、それでも――


「……貴様の選ぶ道だ。好きにしろ」


 弦木はぶっきらぼうに呟くと、静かに背を向けた。その黒いコートが、夜風に寂しげに揺れる。その背中は、どこか私を試すようで。

 気づけば私のすぐ近くには別のS.W.O.R.D隊員が、音もなく控えていた。その傍らには一台の黒いワゴン車が停車している。これに乗って帰れということなのだろう。彼らは何も言わず、ただ私に乗車を促すよう無言で視線を向けてくる。


「あ……」


 離れていく彼女の背中を思わず呼び止めようとしたけれど、声にならなかった。言いたいことは、まだたくさんあったはずなのに――


「安心しろ」


 ――その時、私に背を向けたままの弦木が、ふと独り言のように声を漏らす。


「貴様がまた心を暴走させたら、その時は――私が責任を持って、貴様を牢屋にぶち込んでやる」


 その低い音は夜の静寂に吸い込まれながらも、微かに私の耳にまで届いた。


「そうなりたくなければ、精々励め」


 結局、彼女は一度もこちらを振り返ることなく、闇の中へと消えていった。聞こえてくるのは、山道を降りていく彼女の足音だけ。


「あ……ありがとう、ございました……っ!!」


 私の口から最後に飛び出したのは、辛うじてそれだけの、掠れた感謝の言葉。咄嗟に、力の限り叫んだ私の声にも、弦木はやはり振り向かない。それが、いかにも彼女らしい別れの挨拶のようにも思えた。


 私はしばらくの間、彼女が消えていった方向をただ呆然と見つめながら、その場に立ち尽くしていた。頭上には冴え冴えとした満月が静かに浮かび、無数の星々が瞬いている。冷たい夜風が、先ほどまでの興奮で火照った私の頬を優しく撫でていく。


「S.W.O.R.Dになれ……か」


 ――進むべき道は決まった。迷いはない。


 弦木真琴の言葉は、私の心の奥に深く、熱く打ち込まれていた。この力を、今度こそ自分が正しいと信じることのために――誰かを助けるために使うのだ。その揺るぎない覚悟が、確固たる決意へと変わった瞬間だった。


 当然、怖い。私にその責任が負えるだろうか。想像するだけで不安に押し潰されそうになる。けれど、もしもここで立ち止まってしまったら。私はきっと、もう一生、この場所から一歩も動けなくなる。


 だから――今はただ、あの人が示してくれた、その微かな可能性の光に、私は賭けてみたい。自分自身の未来を、この手で、自分の意志で変えてみたいのだ。


 私はS.W.O.R.Dを目指す。弦木真琴のように、強く、気高く、正しい人間になる。過去の弱い自分を乗り越えて、心の刃を使いこなせるようになってやる。そしていつか、必ず――彼女の隣に、対等な存在として立つために。


 固い蕾が、ゆっくりと綻び始めるように――心の奥底から湧き上がる衝動のまま、私の瞳は夜空を見上げる。視界いっぱいに広がる星々の輝きは、私の進むべき未来を指し示すようだった。


 ◆


 ――それから六年の歳月が、瞬く間に過ぎ去っていった。


 私は高校を無事に卒業し、その後、国内でも有数の難関大学へと進学した。そこでも優秀な成績を修め、無事に卒業した後、長年の夢であったホルダーを専門に対象とする特殊警察学校の門を叩いた。


 特に警察学校で過ごした一年間は、私が想像していた以上に険しく、決して平坦なものではなかった。血の滲むような厳しい特訓の日々。膨大な量の専門知識の習得。そして何よりも、自分自身の心が生み出す刃、このイマジナリ・ブレイドとの絶え間ない対峙。それは筆舌に尽くしがたいほどの苦難の連続であった。

 何度も心が折れそうになり、自分自身の無力さに打ちのめされ、拭い去ることのできない過去のトラウマに引きずり込まれそうになった。


 けれど、その度に――私の脳裏には、あの夜の、弦木真琴の力強い言葉が鮮明に蘇ったのだ。


『貴様もS.W.O.R.Dになれ』


 そのたった一言が、私を何度でも奮い立たせてくれた。彼女に追いつきたい。いつか必ず、彼女の隣に立ちたい。ただその一心で、私は何度も歯を食いしばり、決して諦めることなく、前だけを見据えてひたすらに走り続けてきた。


 そうして、ついに念願叶って――警察学校を卒業し、迎えた今日。私はS.W.O.R.Dの正式な隊員として、初めての現場任務に就くことになっていた。身に纏う真新しい制服の感触が、心地よい緊張感と共に、私の決意を新たにしてくれる。


 指定された集合場所は、都心の一等地に聳え立つ、近未来的なデザインの超高層ビルの屋上。一般人は決して立ち入ることのできない、その特別な場所へと続く専用エレベーターで最上階へと昇る。扉を開けると、肌をくすぐるように吹き抜ける強風が、私の肩まで伸びた黒髪を優しく乱した。

 頭上には吸い込まれそうなほどに深く、そしてどこまでも青く澄み渡った、雲一つない悍ましいほど快晴の空。そして眼下には、ミニチュア模型のように見える、雑踏とした巨大都市のパノラマ風景が、息を呑むほどの絶景となってどこまでも広がっている。


 その広大な屋上のフェンス付近に、一人の女性が静かに立っていた。風に揺れる、雪のように白く美しい長髪。そして、あの印象的な黒いチェスターコート。その細く長い指の間には、一本の煙草が燻っている。彼女はただ黙って、眼下に広がる喧騒の景色を、どこか遠い目で見つめているようだった。


 数年ぶりに間近で見るその姿は、私の記憶の中に鮮明に刻まれている姿とほとんど変わらないように見えた。相変わらず他者を寄せ付けない、氷のような独特の雰囲気。その姿は孤高という言葉がまさに相応しい。


 私は固唾を飲み込み、ゆっくりと彼女の背後へと歩み寄った。彼女であれば私の微かな気配にもとっくに勘づいているはずだ。けれど、彼女はこちらを振り向こうとはしない。ただその口の端から紫煙を揺らめかせるだけ。


「……っ」


 心臓が期待と緊張で激しく脈打つ。周りに聞こえてしまうのではないかと思うほど、大きく響くその心音を、抑え込むように深く息を吐いて――私はゆっくりと、口を開いた。


「……本日より、正式にS.W.O.R.Dの配属となりました。真加理冴矢です。ご指導、ご鞭撻のほど……よろしくお願いします!」


 努めて強く張り上げた私の声は、虚空の静けさに吸い込まれていく。やや静寂があって、彼女は最後の一服を惜しむように深く吸い込むと、その赤い火種を携帯灰皿に押し付け丁寧に揉み消していた。

 そうしてようやく、重い腰を上げるように――その美しい顔をこちらへ振り向かせる。そんな何でもない仕草すら、彼女の場合はどこか洗練されているようだった。


「アンサラー」


「……え?」


 そうして開口一番、唐突に告げられたその一言に、私は思わず間抜けな声を上げてしまう。


「ネームドは、なにも凶悪な空想犯罪者にのみ与えられるものではない。それはS.W.O.R.D局内において、貴様自身のパーソナルなコードネームとして、正式にデータベースに登録されることになる。今後の抜刀申請の際にも、そのネームドは必要不可欠な情報となる。覚えておけ」


 彼女の三白眼が私を捉える。その射るような視線は、数年前と少しも変わらない。対する私は、あの頃から大きく変わった。もう弱いままの私じゃない。彼女のその挑戦的な視線を、私は臆することなく真っ直ぐ受け止めてみせる。……正直、少しだけ足が竦んでいたけれど。


「…………」


 互いの視線が交差する。訪れた長い沈黙。肌を撫でる風の音だけが、私たち二人の間を静かに吹き抜けていく。


「……今日まで、よく問題を起こさずにいられたものだな」


 ――その時。彼女の薄い唇の端が、気のせいかと思うほど僅か、皮肉な笑みの形に歪んだ。それは歓迎の言葉なのか、あるいは単なる嫌味なのか。いずれにせよ、いかにも彼女らしい。

 その懐かしい反応を目の当たりにしたことで、私の中で張り詰めていた緊張の糸がふっと緩んでいくのを感じた。


「……おかげさまで。センパイこそ、よくクビにならずに済みましたね。未成年の一般市民を独断で捜査に巻き込むなんて、普通ありえませんよ」


「役に立ちそうだったからな。将来のことも見越して、早めに唾を付けておくに越したことはない」


「唾って……もう! あんな無茶苦茶なことをするのはもう二度とやめてくださいよ!? 絶対に許しませんからね! 私が傍で、四六時中ずっと見張ってるんですから!」


「……大した正義感だな。やはりあの時、牢屋にぶち込んでおくべきだったか……」


 少しだけ昔のように生意気な口調で、軽口を叩きながら返してみる。それに対して弦木は露骨なほど眉をひそめてみせたが、やがて諦めたように息を吐くだけで、それ以上何も言わなかった。


 私は彼女の隣にゆっくりと歩み寄り、冷たい金属製のフェンスにそっと手をついた。その眼下に広がる朝靄に包まれた雄大な街並みを、弦木と共に見下ろす。

 今この瞬間も、この街のどこかで人知れず、空想犯罪は起こっているのかもしれない。そして、それを止めるのが――私たちS.W.O.R.Dの使命。


「……時間だ。行くぞ」


 碧く澄んだ空の下。黒いコートを翻し、弦木真琴は歩き出す。


「最初の任務だ。しくじるなよ」


「はい!」


 もう一点の曇りもない、心からの笑顔を見せて――私は力強く頷いてみせた。


 イマジナリ・ブレイド――アンサラー。与えられたその名前、その責任、その正義を胸に――真加理冴矢の物語は、こうして始まったのである。

IMAGINARY BLADE

Beginning Night

Fin

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