35 それでもあたいは欠陥品のウィンピー
「そんなに泣くなら初めからしなきゃいいのに……。」
カイブタへの帰り道、鼻を啜るチャチャにネムがそっと囁いた。
「男って本当に馬鹿で、不器用で、どうしようもないわね。」
ネオンサイン煌めくウロボロンの一角、銃声や罵声、喘ぎ声に紛れて一つ。嗚咽するほど泣く音がする。
娘を背負った青年がいた。
娘を瞳を閉じたまま青年の首に腕を回し、ぐったりしているが、頬を通る一筋の涙がネオンサインに照らされている。
「産まれてこなきゃ良かったは言いすぎよ、馬鹿。」
娘を背負う青年は両目から涙を垂れ流したまま、歩く。
娘の声に時々、頷いて。そしてまた涙を流した。
「本当に、良いのね?」
青年はまた、頷いた。
涙は止まらない。
娘を背負う背中が熱を持ち、時々大きく震えた。
「残された二日で最高の一着を作るから手伝ってよね。」
頭を撫でられた青年は何度も何度も頷いて、ウロボロンの怪しい路地裏へと消えて行った……。
⬜︎⬛︎⬜︎⬛︎
泣きすぎたせいか、これまでの緊張感が原因なのか、チャチャがネムを連れて部屋を出て行った日に高熱を出し倒れてしまった。
意識が保てなくなる程で、苦しいのにどこか温かい揺りかごの中にいるような、ふわふわしているような不思議な感じだったのを覚えている。
「チッチ、化粧するから少し目を閉じて。」
「……。」
意識がはっきりしたのはノール・レイドワーフがやってくると約束した日。ちょうどウロボロンに六時を伝える鐘の音が響き渡った頃、ネムが白いドレスを片手に部屋へ入って来た。
「やっぱり旅立ちと言ったら白よね。」
「……。」
高熱が出た時に随分と汗をかいた。多分その時、一緒に色々とあたいの中から流れ出てしまったらしい。
なんか、もう、どうでも良い。
考えるのも面倒だ。
どうとでもなればいい。
「………チッチ?」
なに?
「…………まだ熱が若干あるみたい。」
そうか。
「頬のチークは要らなそうね。」
ああ……。
「髪は櫛でといて可愛く編み込みにしましょう。」
好きにしてくれ。
部屋は寒々としていた。
やけに静かで、心が凪ぐ。
「…………チッチ。ちょっと私の方を見て。」
化粧を施していた手が止まり、言われた通り瞳を開く。椅子に座るあたいに対してネムは真正面に立っていた。
下から見上げる形で視線を上げると、首に巻かれた包帯が一昨日の出来事が夢じゃないと言っている様だった。
ネムの顔は……、
――パンッ!!
頬に強い衝撃が走った。
最初は意味が分からなくて、その次に頬と歯が痛み出した。ネムがあたいの右頬を平手打ちしたんだ。
「私なら逃げないわよ。」
一昨日と同じ、黄金瞳があった。
「私は逃げない。」
強い、意志が宿った瞳だ……。
なにかが、あたいの中で湧き上がった。
「…………って、」
あたいは、ネムとは違うんだよ。
あんたみたいには絶対になれない。
湧き上がったこれは、感情だ。
「……………………チャチャが要らないって、」
あたいは一人じゃなにも出来ない、欠陥品の弱虫。さっきまで死んでいた感情が湧き上がる。
「あたいは、産まれて来ない方が良かったんだっ!」
――パンッ!
無表情のネムにまた頬を叩かれた。
「んなにするだよっ!!?」
頬はさほど痛くない。
ネムの首の方が痛々しいのは分かってる。それでも湧き上がった感情をぶち撒けるみたいに叫んだ。
「…………自由に生きるって難しいの。」
――っ!?
ネムが、泣いていた。
「だからみんなぬるま湯に浸かって溺れて、なんとなくで息をする。でもね、無価値に壊れたらどうなると思う?」
全身が、震えている。
これは演技なんかじゃない。
そんな上等なモノじゃない。
「誰かに利用されるのよ。腕も、脚も、声も全部。使い潰してボロ雑巾になったら薬に浸して、理性を溶かして更に利用されるの。事切れるその時までね……。」
もっと、ドス黒い、腹に溜まっていた、なにか……。
「どんな選択をしても後悔はするし、救われる事はまずないと思っていい。いいや、選択に救いなんてない。」
それはネム自身の話なのか?
「それでもね……、選択は〝自由〟なのよ。私達が出来る平等な自由なんだ。それだけは手放すな。」
どんな事を経験したら、そんな、壊れそうな、ツギハギだらけの表情になんだよ……、
「産まれてきた価値なんて自分で決めろ! 地に足つけて傷だらけになって歩けよ!」
……。
「長生きしたいなら、選択しろ!」
…………
「いつまでおんぶに抱っこされる気だ?」
…………っ、
「悔しいなら首輪を嵌めて飼い殺すぐらいかましてやれっ!!」
掴まれた両肩が熱い。
堪えられなくなった涙が頬を流れる。
「あんたは誰だっ!?」
頭を殴られた様な強い衝撃が走る。
「自分で決めろ!」
「…………ぃ、は」
何度も、チャチャと死にかけたあの日に戻りたいと願った。そうすれば、あたいは潔く殺されるのにって。
ずっと後悔が消えないんだ。チャチャの傷も、声も、あたいが壊してしまった全部が、産まれてこなければ良かったに繋がって。苦しくて怖くて……。
兄の優しさに甘えて考えるのをいつしか辞めてしまった。
「選びなさい!」
今考えたら、もっと色々出来たんじゃないかって思う。兄に守って貰うだけじゃない選択とか、ウィンピーなんて呼ばせない選択とか。
――ああ…………、本当に後悔しかないよ。
あの時の選択が全部、今に繋がっている。
これから先もずっとこんなに苦しいなんて、考えただけで吐き気がする。でも、それでも……
「あたいはっ!!」
もし許されるなら。
あたいの願いは……、
「欠陥品の弱虫、殺し屋だっ!」
チャチャの隣に立って生きていたい。
強く瞳を擦って涙を殺した。
「なに言ってんの、違うわ。あんたは詐欺師よ。」
茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせるネムと笑い合った。
「さて、そうと決まればチャチャをぶっ飛ばしに行きましょう。あの馬鹿、この会場の外にいるはずだから。」
「え……、そうなのか?」
てっきりもうカイブタに居るものだと思っていた。それにまだ心の準備が出来ていない。どんな顔で兄に会えばいいのか、分からない。
「ええ。高熱で寝込んだチッチを看病してたのチャチャだもん。」
藪医者に変装してまで看病する姿を見えてあげたかったたネムが言った時に思わず「ああ、なるほど」と腑に落ちた。通りで温かく懐かしい感覚だったんだ。
高熱でうなされているあたいを背負ってくれていたのは愛すべきおにぃだったんだ……。
「早く、一発ぶん殴ってやらないとな。」
おにぃはあたいが居ないと駄目なんだからっ!
「ノールが来る前に逃げましょっ!」
「おうよ!」
二人は立ち上がり部屋の扉に視線を向けた、その時だった……。
――ドゴォォオンっ!!
扉が派手な音と共に扉が足元に吹っ飛んできた。
あまりの衝撃に唖然としていると、煙立つ部屋の外から揺れる人影が見えた。
「俺ぁ気が短ぇから、そう長くは待てない。」
ドスの聞いた聞き覚えのある声。
一気に肌全部が逆立つ。
「そう言ってたはずだけどなぁー。」
この声は危険だ。
早く逃げろと頭の中でサイレンが鳴った。
「でぇ? 俺のご主人を傷物にしたクソ野郎はどれだ?」
部屋に入ってきたのは一人。
手には全身から血を流しボロボロのチャチャを引きずって持ち、全身を武装で固めた本気の姿。
「おいおい……、嘘だろ…………」
久しく見る事が無かった。だってあいつは基本、気分でしか仕事をしない。そんな彼が気合いを入れたい仕事の時にしかしない容姿にゾッとした。
「このロカ様がぶっ殺しに来たぞ……。」
全身を黒で覆った戦闘服。
マジモードのロカが立っていた。
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