34 欠陥品のウィンピー
「…………チャチャ?」
なんでここに兄が居るんだ?
ハオさんの薬品で眠っているはずだろ?
いつの間に、いつからここに居たんだ?
…………なんでそんな冷静に、ネムを支えたんだよ。
驚きが大きすぎて、ネムに駆け寄ろうとした脚が止まった。これだけ会わない期間が長かったのは初めてに近い。だからなのだろうか、兄の思っている事が表情からなにも読み取れない。
ネムを絨毯に寝かせたチャチャはポケットからメモ帳代わりの紙の束とペンを取り出し、なにかを書き出した。
「チャチャ、そんなの後で良いだろ。今はネムが危ないんだ。さっさとカイブタに帰ろう。」
チャチャがどうやって侵入して来たか分からない。だけど侵入出来たと言う事は脱出も可能なはず。三人でとなると難しいだろうが、不可能じゃない。
最悪、ロカを呼べばここにいる奴ら皆殺しで肩がつく。今回の借金はあたいらが背負ったっていい。
『二人で帰るよ。』
兄はメモ帳をこちらに向ける。
「二人? ネムを置いてくってのか?」
流石に実の兄でもドン引きだ。そんな事したらロカが黙ってない。後々大変な事になるぞ。
「馬鹿な事言ってないで急ごう。」
チャチャは大きく首を横に振って自分とネムを指差した。
「はぁ…………?」
『僕とネム、二人で帰る。チッチは置いて行く』
なにを言っているんだ?
『チッチはノール・レイドワーフって奴に着いて行け』
「おい、冗談言ってる場合じゃないんだぞ。」
『冗談じゃない。本気だよ』
同じ琥珀色の瞳が本気だと伝えてくる。
ああ、なるほど……。
兄の隠密術はロカをも凌ぐ。誰にも気づかれず侵入するのはお手のものなんだ。
「レイドワーフって奴が部屋に入って来た瞬間に忍び込んだのか?」
チャチャは頷いた。
「お前、ずっと見てたのかよ!」
兄はただ、頷く。
「なんで助けてくれなかったんだっ!」
あたいはずっと、ずっとチャチャに助けて欲しかった。
助けてくれるのはチャチャだけだから。
あたいらは二人で一人だろうが。それなのに……、
「あたいがレイドワーフに捕まった時も、ネムが首を斬り落とそうとした時も、ずっと見てただけだったのかよ?」
チャチャは頷く。なんの躊躇いもなく。
「なんでだよ……」
なんでそんな酷いことが出来るんだ?
目の前にいる男は本当にあたいの兄か?
嘘だって、言えよ。脚がすくんで動かなかったって言ってくれた方が何倍もいい。
『手放せるチャンスだと思ったから。』
「はぁ? なんだよ、それ。」
『ようやくチッチを手放せると思ったから。』
チッチの中のなにかがブチっと音を立てて切れる音がした。
「貴族になれれば殺し屋協会からも離れられる。なに不自由なく自由に過ごせる。辛い思いをしなくて済むとか思ってるんだろ?」
チャチャの考えてる事なんて全部分かるんだよ。
どんだけの時間を一緒に過ごしてると思ってんだ。
でもな、
「あたいの気持ちはどうなんだよ!?」
なんで分かってくれないんだ。
「無視すんじゃねぇよっ!」
なんでそんな無表情で突っ立ているんだよ。
貴族なんかになりたい訳ないだろうが。
「あたいは、あたいは……。」
レイドワーフに本気で剣を向けたんだよ。
見てたんだろ。だったら、なんで伝わらないんだ。
「ずっと一緒だって行ったじゃねぇか。なにがあっても離れないって、指切りしたの忘れたとは言わせねぇ。」
あたいの居場所はチャチャのいる所だって。
二人で一緒に居ればなにも怖くない。弱くても寒くても腹減ってても、全部大丈夫になるって。
そう言ったのは、チャチャの方だ。
「二人で一人だって。ずっと二人で生きてくんだって、」
そう言ってくれたのはチャチャだっ!
「あれは嘘だったのかよ……。」
チャチャと離ればなれになった五日間、どれだけあたいが頑張ったと思ってんだよ。
「頑張った、良くやったって、褒めてよ。」
なんかもう、止まらないんだ。
溢れてくる涙を拭いてよ。
そんな遠くに居ないでよ。
「おにぃ……。ちゃんとあたいを見てよ。」
本当に頑張ったんだ。
あたい、二人も殺しだんだ。
嫌な事いっぱい耐えたんだよ。
ネムの理不尽なマナー講習も、広い部屋でたった一人で眠るのも、本当はずっとずっと嫌だった!
「ちゃんと、そばにいてよ……。」
両目からこぼれ落ちる大粒の涙が絨毯に沁みていく。この涙みたいに兄の心にも想いが伝わります様に、とチッチは強く願った。
いつもみたく優しい手つきで頭を撫でて「ごめんね、僕が間違っていた」と言ってくれると信じて、絨毯を見つめる。
チャチャはメモ帳にペンを走らせているらしい。その音が止まっても反応がないので、涙でぼやける視界を擦ってみると一枚の紙をこちらに向ける兄の姿があった。
『チッチっていつまで経っても独りよがりだね』
チッチの心は打ち砕かれた。
想いは、伝わらなかった……。
それどころかチャチャは声の出ない口を噛み締め、ペンを走らせたメモ帳には更に荒々しい文字が並ぶ。
『要らないよ、チッチなんて。チッチが一人で行った殺しの依頼でヘマした時からずっとお前が嫌いだった。』
やめて。嘘なんだろ、
チャチャ、お願いだから……
『弱くて小さくてなんの役にも立たない。重しでしかなかったよ。』
そんな怖い顔しないで。
あたいらは二人で一人、
『チッチこそ忘れたのか?』
ずっと一緒……
『僕の殺し屋の生命線を奪ったのはチッチだろ。』
チャチャが着ていた長袖の服を捲ると、左手の平から腕にかけて大きな傷が現れた。
――…………ッ!!
忘れた事なんて一度もない。
その傷は、あたいの罪の印。
『チッチを庇って出来た利き手の切り傷のせいで僕は短剣を握れなくなった。』
ロカ以上に優秀で、将来を有望視されていた天才の兄を欠陥品にしてしまったあたいの罪……。
『今思えばあの時見捨てればよかったって、ずっと後悔してる。』
ちっこくて弱っちいあたいが同期に見捨てられて一人で行く事になった依頼は、ある貴族の男を殺す事だった。
「ごめん、なさい……。」
チャチャは違う依頼を請け負い、不在だった。
今思えば殺し屋協会はあたいを手っ取り早く切り捨てたかったのだろう。
当時のあたいは一人前になれない焦りと不安がいっぱいで、どうにか依頼を成功させないといけないと言う義務感に駆られていた。
小柄な体型を活かしてボディーガード四人の隙を付き、貴族の男の首を斬る算段を立てた。
この依頼に最後の希望を見ていた。
「チャチャ、あたい……。あの時の事を忘れた事なんてないよ。」
結果は惨敗。
あたいの短剣が貴族の男に届く事はなく、あっさりボディーガードに捕まると殴る蹴るの袋叩きにされた。
路地裏に隠れていた同期はクスクスと笑っているだけ。助けてはくれなかった。散々血を吐いて骨が折れた頃、ボディーガードが振り上げた短剣から庇ってくれたのは、兄たったの一人だった。
「チャチャの人生を壊してしまった償いをあたいは一生を懸けてして行くんだって決めた日なんだから。」
天才と呼ばれていた兄も当時は少年で、大人の戦闘に特化したボディーガード四人を相手にするなんて不可能に近かった。
チャチャも大怪我を負った。
二人して死にかけた。
「でもチャチャが言ってくれたんだ。ずっと守ってやるって。あたい達は唯一、血の繋がった兄妹だからって。」
命からがら逃げ出した後、あたいを背負って殺し屋協会まで連れ帰ってくれた兄の背中を、忘れられるはずないんだ。
「ずっと変わらずおにぃを頼ってほしいって。」
七日寝込んだ兄が目を覚ました時、声と左手を失っていたと知った時のは絶望で自殺しようと思った。
そんな時でも優しく笑って頭を撫でてくれたチャチャと約束したんだよ。
欠陥品と呼ばれるようになっても。
なにがあっても二人で一人。
ずっと一緒に居ようって。
『チッチは、産まれてこなきゃ良かったのね。』
チャチャは無表情で、書き殴った紙を破りチッチに手渡した。
兄の顔と受け取った紙を交互に見る。
言葉はもう、出てこなかった。
チャチャは見下すように〝さようなら〟と唇を動かした。
力が、入らない。
立って居られない。
頭が痛い。
兄は遠ざかる。
視界がぼやけていく。
背中が、遠ざかる。
いつもの優しい背中にネムを乗せて。
「………………ごめん、なさぃ。」
チャチャは振り返る事もせず、部屋から出て行った……。
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