33 簡単に命なんか賭けるなよ
ネムの声に一切の迷いはなかった。
デグがスーツの内部にあるタグを確認し、ノールに耳打ちすると口角が上がった。
チッチの内心は爆発寸前。
だってこの取り引きは平等じゃない。
ノールが嘘を吐いてもそれは本当になる。それが貴族。いわば、ノールはネムを殺す名分が出来てしまったことになる。彼の気分次第でネムの首は簡単に飛ぶのだ。
「その言葉に嘘はないな?」
「…………はい。」
この状況でノールが真実を口にする可能性はどのぐらいあるか、考えなくても分かる。ほぼゼロだろう。
ノールは明らかに平民を忌み嫌っている。ネムに対する態度がそれを物語っている。チッチの頭にはどうやってノールを止めるかしかない。
「確かに、タグの裏に数字が書かれているな。」
音を立てて唾が喉を通る。
「ナンバーは〝255〟だ。〝245〟ではない。」
「……。」
やっぱりだ。
このままじゃネムがっ!
「首を斬り落とすのだったな。支配人、剣を用意しろ。」
「は、はい。すぐに……。」
支配人は走り何処かに消えた。
ネムは依然として土下座したまま動かない。
支配人が剣を持って来たら終わりだ。
「な、んで……。」
今なら、走れば逃げられるじゃないか。
一人なら、なんとかなる。
あたいなんて置いて行けば、いいだろ。
「さっさと逃げろよっ!」
「……。」
殺し屋協会の同期だった奴らはみんな、あたいを見捨てて行った。見殺しにされそうになった事は何度もあった。
自分の命が最優先で、弱い奴は簡単に切り捨てられる。それが普通だろ。
助けてくれるのはチャチャだけ。
信頼出来るのチャチャだけ。
その他はみんな敵で、利用出来るか出来ないか。あるのはそれだけで、ネムだってきっとそうなんだ。
あたいとチャチャは二人で一人。
どちらかが欠けたらもう、価値なんてない。
さっさと見捨てて逃げちまえばいい。金なんて命に比べれば軽い。ネムならどこでだって金儲け出来るだろ。
「私の娘がこう言っているが?」
「…………逃げてどうなるのです。」
「なに?」
「ここで逃げだして、他に行くところなんてどこにも有りはしないのに、ここから逃げて次はなにから逃げればいいのですか。」
ネムが、スッと顔を上げた。
「私は逃げない。」
黄金瞳はノールてはなく、チッチを見ていた。
「最後に一つ、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
ネムは穏やかに笑った。
こちらを見て、安心させるみたいに。
恐れなんてひとつもなかった。
「チッチ、そのドレス似合ってるわ。ここを出て行くならちゃんと靴を履いて行きなさい。」
そう言えばノールの腕から逃れようとヒールを脱ぎ捨てたんだった。部屋の奥に転がる靴が二つ。自分が裸足だった事を思い出した。
って、そんな事どうでもいいんだよ!
頬を真っ赤に染めて腫らして、痛いに決まってる。お前の身体はもうずっと前から悲鳴を上げてたんだろ。どうしてもっと自分を大切にしないんだよ。
なんで、そんなに、潔く死のうと思えるんだっ!
もっと、自分勝手なら、あたいだって……、
お前を見捨てて逃げれたのにっ!
「レイドワーフ様お待たせいたしましっ、おい!」
チッチは入ってきた支配人が手に持っていた剣を奪い取るとノールの前に立ち、剣を構えた。
「…………なんのつもりだ?」
子供が持つには重すぎる大人の男性用に作られてた大きな剣。剣先が揺れる。
「ネムを殺すのはあたいが許さない!」
勝てる見込みなんて皆無。
援軍も期待出来ない。
ネムの考えてる事なんて一ミリも理解出来ないし、この女はどうせまたすぐに自分の命を簡単に賭けるだろう。
でも、それでもっ!
「お前を殺せなくても、腕一本ぐらい貰ってやる。」
「……本気か?」
剣を握る手に力が入る。
ここでネムを見捨てたら、なにか崩れてしまいそうなんだ。絶対に手を離しちゃいけない気がするんだよ!
「代わりなんていくらでも居るのだぞ。」
「んなもん知ってる。」
正直、ヤケクソだ。
考えるのにも飽きてきた。
マナーの講義をずっと受けてたから頭がイカれちまっていたらしい。あたいは元から奴隷になる気も貴族になるつもりもないんだ。
あたいは殺し屋。
誰よりも長生きする欠陥品の弱虫だ。
このあたいが命張ってんだから、今日くらい奇跡が起きたっていいだろ。悪神でもなんでもいいからあたいらを助けろよ!
「チッチ、なにも分かってないわ。」
声は後ろから。
振り返るより先にネムによって手から剣が奪われ、背中を押された拍子にうつ伏せの状態で倒れ込んでしまった。
「なにすんだよ……ってネム!」
ネムは手に剣を握るとフラフラと立ち上がり、首に剣の刃を当てた。
「レイドワーフ様。私の首が御所望でしたね。では、失礼致します。」
そう言うとネムは両手で剣を握った。
「やめろっ!!」
泣き叫ぶチッチの声は虚しく響くだけ。
ふぅと一息。そして、思いっきり手に力を込めた。
「待て。」
ノールの声と同時に使用人のデグがネムの手にそっと触れた。ネムの首からは血が流れ出ている。あと数秒遅ければネムは確実に自ら命を絶っていただろう。
「どうやら私が見間違いをしていたらしい。ナンバーはお前が言った通り〝245〟だ。」
デグは微笑みを崩さず剣を回収し、代わりに白いハンカチをネムに手渡した。
「このナンバーにどんな意味がある?」
「デザインです。それはニーダ様が245番目に思い付いたデザインという意味があります。」
白いハンカチが血で染まる。
ネムは何事もなかったように会話を続けている。
見た目ほど傷は深くないのだろうか。
ホッとして、今頃震えが止まらなくなった。
脚に全然力が入らない。
「ほう、お前はニーダのデザインを全て覚えていると?」
「はい。全ナンバー〝689〟まで覚えております。」
「その中に子供用ドレスのデザインは?」
「十着ほど、ございます。」
ノールは絨毯に倒れているチッチを見つめと、そっと手を差し出した。
思わずピクリと身体を震わすと「傷付けるような事はしない」と聞き返したくなるほど優しい声が返ってきた。戸惑いながら、彼の手に触れると軽々と立ち上がらせてくれた。
まるで、本当の父親のように。
「ではその中でこの子に似合う一着を二日で用意しろ。」
「承知致しました。」
「全て合わせて三千万セリル支払おう。」
オークションで売買される子供の平均は一千万セリル。高価な奴でも二千万セリル。そう考えるとチッチについた値段は相当なもの。オークションの支配人は笑みを溢して頷いた。
「では二日後、着飾ったこの子を連れて帰る」
そう言い残しノール・レイドワーフは部屋を後にした。
デグと支配人もノールの後を追うように部屋から消えると扉が閉められ、部屋の中にはチッチとネムだけが残った。
――乗り切ったんだ……。
安堵の笑みが溢れる。
「あはは、良かったな…………ネム?」
首にハンカチを当てたネムはぐらつき始めた。
よく見るとハンカチでは吸収出来なくなった血が服を伝っている。
顔色が、みるみる悪くなっていく。
切った首の傷は思っていたよりも深かった。
これは…………いけないっ!
「ネム!」
駆け寄るより先にネムが倒れ始めた。
絨毯に倒れる寸前で、ネムを支えるように黒い影が降って来た。
「…………チャチャ?」
意識を飛ばしたネムを支えたのは、兄だった。
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