30 調教師とムチはセットじゃない?
何をされかのか全然分からなかった。
でも、首の後ろが痛む。
「この子は……に、…………高値で売れると……」
誰かが話しているのは聞こえるけれど、瞳が霞む。
早く、チャチャのとこに戻りたい、のに……。
「良い調教…………。あと、他の……は…………。」
くそ、クソクソクソっ!!
遠退く意識の中、なんとか瞳に捉えたのは黒の軍服と質の良い革靴。
――…………ヘルドッグだ。
なんで奴らがこんなところにいる?
つい最近無差別強制殺人イベントを行ったばかりだろう。奴らの目的はなんだ?
そう思っていたところまでは覚えている。それ以降はまた、気絶してしまったらしい。次に目を覚ました時には、同じ部屋の中央に椅子で固定された状態だった。
両手脚を縄でぐるぐるに縛られて動けない。後ろは見えないが気配が無いことから、部屋にはチッチ一人だけなのだろう。
チッチが殺した二人の血痕はべっとりと絨毯に残っていて、乾燥している。チッチの身体もついた血液もだいぶ時間が経ったようで乾燥して肌が突っ張るし、髪はカピカピに干からびていて気色悪い。匂いも最悪だ。
あまりお風呂が好きじゃないチッチですら、早く洗い流したいと思うほど。
「クソがっ!!」
どれだけ暴れても縄は解けず、太ももにあったはずの短剣はレッグホルダーごと押収されてしまったようだ。
しばらくすると、扉の向こうからコツコツとこちらに向かって歩いてくる足音がした。ヒールで歩くような足音から女だろうと予測が出来る。少なからず安心だ。
女なら無闇矢鱈に殴り殺される事はないだろう。あわよくば、拳銃一発で殺してくれるかも知れない。
人攫いの誘拐犯とは言え、二人も殺したんだ。
あたいを生かして置くわけがない。
チッチの頭の中にはどう楽に死ねるか、しかなかった。
――最後に、チャチャに会いたかった……。
最近が幸せ過ぎたんだ。
前まではいつもこんな感じだったろ。
いつ死んでもおかしくない恐怖の中にいたろ。
大丈夫、怖くない。
震える手脚に力を入れても、溢れてくる涙。
――チャチャ、助けてっ!
チッチの願いは届かず運命の瞬間が来た。
勢いよく開かれた扉から三人の大人が入って来た。
男が二人と女が、ひとり……。
(マジ、かよ。)
「貴方がキュートビーストちゃんね。あたくしがじっくりね〜っとり、調教してあげるわっ。」
赤い髪。
黄金を思わせる大きな瞳。
ものすっっごく聞き覚えがある、声。
「ハイ、ベイビー。良い子にしましょうね〜。」
ビシビシと振るうムチは床を殴りつけている。
大胆に胸元が開いた服で色気は全開。
メガネ越しにウインクを飛ばしてくる女。
「あたくしは美少女調教のエキスパート、ネムリリスよ。ネム先生とお呼びなさぁ〜い。」
よく知っている自身満々なこの表情……。
(ネムリリスって、ただのネムじゃねーかっ!!!)
なんでここに居るんだよ?
早く助けろ。
なにがキュートビーストちゃんだこの野郎め。
言いたい事は色々あるが、驚き過ぎて「はぁ?」しか出て来ないチッチを置き去り、ネムは更に加速する。
「大人二人殺したらしいわね。なんてお痛する子なんでしょう。そんな事しちゃダメっ。めっ!」
「おまっ!!」
喋ろうとするチッチの口をネムがムギュッと手で押さえた。
「あたくし、まだ喋って良いなんて言ってない。」
ネムの右手は鼻、左手は口。
呼吸が、出来ない。
もがいてみるも椅子に縛り付けられているせいで動けない。
「お痛する子には罰を与えないといけない。これはキュートビーストちゃんが勝手に喋った罰。」
美人の真顔は時に恐ろしさを孕む。
ネムは両手にグッと力を入れた。そのおかげでチッチの苦しさも増す。
「ウーーっ、ウーーー!」
どれだけ踠いてもネムはそれ以上何も言わず、ただじっとこちらを見ているだけ。
これ以上は息が、持たない。
ネムの事がさっぱりわからない。本当に目の前にいるのはネムか?
疑いたくなるぐらい、容赦がなかった。
「おい。それぐらいにしろっ!」
「それが死んだら元も子もないんだぞ。」
後ろの男達も声を荒げるほど。
それでもネムはやめない。
(やば、い。これ、以上は…………)
酸素が足りなくなった脳が停止し始める。
身体に力が入らない。
ネムの顔が霞み、朦朧としてきた……、
「あたくし、言う事を聞かないナンセンスなビーストちゃんは嫌い。分かるわよ、ねぇ?」
怖い。こんな女知らない。
ネムじゃない。
やだ、やめてくれよ。
そんな目であたいを見ないで。
「あたくしの言う事、聞けるわよね?」
ネムの瞳は獲物を狙う猛禽類そのもの。
自分が頂点捕食者と信じて疑わない。
生きるにはこの女に従わなければいけない。
(なんでもするから、お願いだ……。)
チッチは力なく、懇願するように頷いた。
「よく出来ましたっ! だぁ〜いすきよ。ビーストちゃん。」
チッチの表情に満足したネムはパッと手を離し、血で汚れた髪をなんの躊躇いもなく撫で回した。
「ゲホッ、ゲホッ……、ハァー……、ハァー……」
「咳き込むビーストちゃんもかあいいっ。ビーストちゃんもあたくしに撫で撫でされて嬉しいわよね〜?」
ネムは未だ呼吸が乱れるチッチに後ろの男二人にも見えるように、無理矢理頷かせ、返答させた。
「ほら、あたくしは一流よ。ボディーガードは必要ない。ていうか、あんた達みたいなバッドでダーティな雄と一緒の空間になんていたくないっての。さっさと出てお行きなさいっ!」
床に放り投げてあったムチを手に取り、絨毯を打ち付ける調教師の姿に男二人は「わ、分かった。殺されてもしらねぇーからな」と不満と怒りを露わにして部屋から出ていった。
「………………行った、わね。」
部屋はしんと静まり返る。
ふうっと安堵のため息を吐いたネムがこちらに笑いかける。
「ヤッホー、チッチ。元気してた?」
なんでこの女は久しぶりに会った友人並みに軽い挨拶を飛ばしてくるのだ。正気の沙汰じゃない。
「たった今殺されそうになったての、クソネム野郎!」
「助けに来てあげたのに酷い言いようね。」
「うっ…………、それはありがとぅ。」
ネムが堂々と扉から現れた時はびっくりが大きかったけど、ほっとしたのも事実。その点に置いては感謝しているが正直、予想外でもあった。
「なぁ、その…………」
なんで助けに来たのがネムなんだ?
チャチャは?
あたいを見損なったから来てくれないのか?
聞きたいのに、喉で言葉が詰まった。
「チャチャでしょ。」
見通したようにネムがため息混じりに言う。
「…………うん。」
「ほんっとうに大変だったんだから!」
「何があったんだ?」
「チャチャって怒らせちゃいけないタイプね。あれはもう絶対怒らせないようにしたいわ。」
チャチャは怒ってもそんなに怖くないだろ。
というか、あの温厚な兄が怒ったところなんて……。
「あたい、チャチャが怒ってるところ見た事ないぞ。」
「…………あのバーサーカーを見た事ないなんて。チッチ、あんた嫁に行く時、相当大変よ。頑張って。」
どう言う事だよ。さっぱり理解できない。
誰かと間違ってるぞと言いたいぐらいだ。
「チャチャったらカイブタで大暴れしてカウンターは壊すし、壁は破壊するし。どこかに飛び出して行きそうだったのを店長が無理矢理押さえ込んでも止まらないしで。」
本当に誰かと間違ってないか?
ロカだと言われたら納得するが、チャチャに限ってそんな凶暴化するなんて、信じ難い。
「それで、チャチャは?」
「ハオさんが薬品飲ませて眠ってるわ。」
「それ、大丈夫な薬なんだよな!?」
ハオと言う言葉が出てくると途端に信用がなくなるのは日頃の行いのせい。
「分かんないわよ。ハオさんの持ってる薬なんて私には怖くて飲めやしないもの。」
「おい!!」
それでも気絶させるか半殺しぐらいしないと止められなかったとネムは断言する。
「それで、眠ってるチャチャの代わりにハオさんが知り合いの情報屋に行って、チッチの情報を聞いてくれたおかげで私がここにいるって訳。」
あのハオさんが?
最近丸くなったように感じてはいたけど、果たしてあたいを助ける為だけに動いてくれるのか?
あの男には信用という言葉が一番似合わない。だからこそ、行動の裏に何か隠しているように感じてしまう。
「とにかく、その……、助けに来てくれてありがとな。」
「どーいたしまして。」
「あの男どもが帰ってくる前にさっさと逃げようぜ。」
縄を外してくれと催促するが、ネムはキョトンとしたまま。
――…………まさかっ、
最近ネムとずっと一緒にいたから分かる。
この顔は良くない事を考えている時の顔だ。
「おい、ネム?」
「私、ロカ置いてきちゃったの。」
ロカは防犯グッズか何かと勘違いしてないか!?
いや、間違ってはないのけども。
「あ、あたいだって戦えるぜ?」
「それでもつまんないじゃない。」
――よせよせよせっ!!
「チッチもムカつくじゃない?」
「いやっ!! 全然!!」
「やられっぱなしは面白くないし。」
ネムのしたり顔。
嫌な予感。
どうかこの予感だけは当たらないでくれっ!
「チッチ。あんた、高値で売られて来なさいな。」
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