29 魔法は解けてからが勝負
……微睡の中に居る。
いつもより揺れが激しい。
もっとゆっくり走ってくれ、チャチャ。
じゃないと酔って吐いちゃう。
チャチャ……、チャチャ……?
「さっさと起きろ、クソガキがっ!」
「…………っ。」
急に地面に叩き落とされたらしく、左半身に鈍い痛みが走った。チャチャに放り出されたのかと思い、霞む視界で黒い影を睨む。
「チャチャ、てめぇ……」
チャチャじゃないっ!?
誰だこいつら?
怒鳴り付けてやろうと思って声を上げたが、そこに居たのは知らない男が二人組。
どうやら知らない部屋の中に居るらしい。
カビ臭い絨毯に毛布が数枚。あるのはそれだけで、一応の窓は一つあるが高い位置にあり、磨りガラスで外の様子は分からない。更には鉄格子も嵌める徹底ぶり。
子供の身体ではとてもじゃないが届きそうもない。
周りには数人の子供。皆が震えている。
「ガキども、よく聞け。」
そうか、あたいは誘拐されたのか。
「てめぇらは一ヶ月後に行うオークションで売買される人形だ。それまでに少しでも値を上げる努力をしろ。明日から毎日レッスンを受けてもらう。出来が良けりゃ、お貴族さまがお前らを買ってくれるだろうよ。」
嘲笑う男達は「出来が悪いと奴隷地区行きだ」と脅しも忘れない。この都市で奴隷になってしまうと人生詰みだ。
奴隷の焼印が一生消えることがないのと同じで、死ぬまで家畜以下の扱いを受け、逃げることも死ぬことも許せないと聞く。
「奴隷地区はいつでも人手が不足してるらしい。中の奴らが逃げられないように高い塀があるから中は見れないが、あそこら辺からはいつも悲鳴と腐臭が漂ってる。他の地区とは次元が違う。ありゃ中は相当な地獄だぜ。」
そんな所には行きたくないだろ、恐ろしいだろ、とサーカスの口上よろしく二人は慣れた様子で不安を煽る。
「俺たちの一声でお前らは奴隷になっちまうぜ。嫌なら大人しくレッスン受けて売られて、金落としてからここから出てけ。」
なんであたいが売られなきゃならないんだよ。
ふざけんじゃねぇ。
「そこのお前、なんだその目は。生意気に睨んでんじゃねぇぞ。」
怯えるか死んだ目の子供達の中で一人、チッチだけが誘拐犯を睨んでいた。それがどうやら気に食わなかったらしい。
「おい、傷つけるなよ。ここは上物ランクだかんな。」
「分かってるっての。」
誘拐犯の一人がゆらりと身体を揺らしながら、チッチに近づいてくる。拳を作った手に血管を浮かび、慢心しきった視線は「俺が怖いだろ」と言いたげだ。
「誰がお前なんて怖がるかよ……。」
「はぁあ!? なんか言ったか、クソガキがよぉ!」
胸ぐらを捕まれ、脚が宙に浮いた。
「今日は、とってもいい日だったのによ!」
チッチは浮いた身体を揺らし、誘拐犯の腕に巻き付いた。小柄なチッチならではの機動力を活かし、胸ぐらを掴む指に思いっきり噛み付く。
「いだっ!」
ふわりと羽根が広がるように舞うスカートの中から、黒いレッグホルスターが顔を出した。そこには二本の短剣が。
「こいつ、なにしやがる!」
チッチは顔の前で素早く二本の短剣を両手に構えた。静かに琥珀色の瞳が据わる。体制は低く、獲物を狙う猫の様に。片方に履いていたガラスの靴は脱ぎ捨てた。
やっぱりスカートは邪魔だと思う。
こういう時に枷になる。救いはここが室内だって事だけ。裸足の足が痛くない。
「あたいはさぁー。非戦闘員な訳だが、別に戦えねぇ訳じゃないんだわ。」
チッチは跳ねるように軽々とジャンプした。
狙うは一点。誘拐犯の両目。
猫は今、獰猛な獣へと進化する。
子供だと思って油断していた誘拐犯は武器を構えるのに一歩遅れた。その隙を、チッチは見逃さない。
「うぎぁぁぁあああー!!」
何事も始めが肝心。
油断は時に神すら殺すのだ。
敵の右眼から鮮血が飛ぶ。絨毯に染みを作り、チッチの頬を汚した。腕で豪快に拭き取ったせいで、せっかくのドレスが汚れてしまった。薄桃色に真紅が滲む。
「最悪だぜ、クソが……。」
跪く誘拐犯の前に、チッチが立つ。
肩で息をしながらも、さっきとは立場が逆転している。それでも彼女の苛立ちは収まらない。
――左眼は外したな。
傷もかなり浅い。
これじゃあ足止めにもなりゃしない。もっと切り裂かねぇと。久しぶりの戦闘で腕がだいぶ鈍っちまっている。最近は情報収集が主な仕事になっていて殺しの現場にもあまり行かなくなったのが原因だな。
あたいもチャチャとネムの訓練に混ぜてもらうべきだった。
「てめぇ、なにしやがるっ!」
誘拐犯はもう一人いる。
メリケンサック付きの拳を構えた男が走り込んでくるのを見て、チッチも男に飛び込む。そのついでと言わんばかりに跪いている男の右耳を切り落とし、戦闘不能に追いやる。
小柄なチッチの戦闘スタイルは徹底した手数勝負。
四肢を切り落とすだけの力がなく、ロカほどの圧倒的な運動神経もない。それならと、チャチャと一緒に考え出したのがこの戦い方だった。
背の高い相手が相手ならまず脚を。
大胆に右脚を開くことで、床スレスレまで体制を低くして間合いに入り、くるぶしから太ももにかけて十回以上、斬りつける。敵からすれば浅い傷。それでも数が多ければ痛みだって大きくなる。
「ちょこまかと動くんじゃねっ!」
素早く動かす両手目掛けて拳が振り下ろされる。チッチは身軽に拳を避けつつ、腕を何度も斬りつける。
何度でも、何度でも!
相手が動けなくなるまで切り刻め!
最近毎日飯が食えてるおかげで身体が動く。ちゃんとあたいのエネルギーに変わってる。
ずっと課題だった。
ガリでチビで力がない事が。
そんなもん知るかよ!!
あたいはあたいにしかなれねぇんだよ。
ネムみたいな無茶苦茶な演技力はないし、ロカみたく圧倒的な才能もない。チャチャが出来る隠密術すら、あたいは中途半端。
どんなに可愛い服着ても、ずっと劣等感が消えない。あたいだけ、置いてけぼり。今だって、こんなクソ雑魚に簡単に捕まって。情けなくて皆んなに顔向け出来ねぇよ。
――……だったら。
あたいに出来るのは一つだ。
誰の力も借りず、一人で家に帰る。
皆んなのいるカイブタに帰るんだ!
「てめぇ、絶対にゆるさねぇぞコラァァア!」
右眼と右耳を失くした男は今、床で呻き声をあげている。起き上がるにはもう少し時間が掛かるだろうから、残りは一人だ。身体に無数の傷が付き、声を荒げているが筋肉質の身体はまだまだ力を蓄えている様に見える。
チッチは短剣を一つレッグホルダーに戻した。
「この状況で武器一本しまうとは、流石に降参か。でもな、もうてめぇは許さねぇ。ボロボロにして奴隷地区に送ってやるよ。」
メリケンサックに力を込める男は真正面から向かってくる。男だってこのウロボロンで生き抜いてきた訳で、別に弱いわけじゃない。それでも、
「別に諦めたつもりも、降参するつもりもねぇよ。」
チッチは物心ついた時から殺すことを教わってきた。言わば英才教育だ。更に、力の弱いチッチは弱点を埋める為に努力もしていた。チャチャの背中に乗っているだけの可愛らしい女の子ではない。
「死ねこらっ!」
振り下ろされる右ストレート。
チッチは真正面からそれを受ける、と見せかけて持っていた短剣を思いっきり男に向かって投げた。男は飛んでくる短剣を軽々と右手で払いのけた。
「こんなの脅しにもなんねぇよ!」
「…………あたいの武器は二本だぜ。」
払いのけた短剣の後ろから更にもう一本。チッチは寸分違わぬ軌道でレッグホルダーに隠した筈の短剣を投げていたのだ。
始めに投げた短剣を払いのけた事で男は左腕に刺さる形で後から飛んで来た短剣を受け止めた。
男は後ろによろける。
チッチは男の左腕に向かって走り、飛ぶ。
早いのはチッチ。
飛び乗った左腕から短剣を抜き、そのまま男の首元を両手で斬り裂いた。
「ハァ……、ハァ……ハァー……。」
致命傷だ。
飛び散る赤いシャワー。
チッチはそれを頭から浴びる。
「………………ハハ。」
漏れる乾いた笑い声はどんどんと大きくなる。
「ギャハ、ギャハハハハハっ!」
琥珀色の瞳に血管が浮かび上がり、瞳孔は完全に開き切っている。チッチは既に事切れている男の上に馬乗りになったまま、胸のあたりを何度も何度も何度も刺し続けた。
「やってやった……。やってやったぞ!!」
子供が死体の上で遊んでいるだけ。
無邪気に笑う姿は清々しくまである。
「あたいだってやれば出来んだ。あたいも一人で出来るんだいっ!!」
ひとしきり笑って、刺して。瞳に焼き付けるように流れ出る血を両手にべったりと付けた。
人を殺したのは初めてだ。
こんな、こんなに興奮するのも初めてだ!
チャチャはなにをあんなに怖がってたんだ?
――嗚呼……。楽しい、たのしいっ!!!
ふぅー、とひと息置くと立ち上がり、眼と耳を斬りつけただけでまだ息のある男にゆらゆら近づいた。
まさに殺し屋。その名に恥じない狂いっぷり。湧き上がる感情に身を預け、拾い上げた短剣を薄桃色のドレスに突き立ててスリットを入れた。
「ネムよ、やっぱりあたいはズボンが良いぜ。」
大胆に開いたスリット部分から黒いレッグホルダーが顔を出す。
「や、やめろォォオ。くるなっ!!」
「なぁにをそんなに怖がってんだよ。もっと楽しく行こうぜ。」
両手に持った短剣からぽたりぽたりと血が垂れる。
紅潮した顔に最高潮の笑みを添えて。
「お前さんが先にレッスンを受けろと言ったんだろ。あたいがレッスンしてやるぜ。別に問題ないよなぁっ!」
短剣は喉仏を刺し貫いた……。
足元に転がるお人形が二つ。
両方壊れてしまった。
壊すの、楽しかったなぁー……。
――さぁ、帰るか。
チッチは短剣をレッグホルダーに仕舞うと、後ろで震える子供達には見向きもせず、外に繋がる扉へと向かって走った。
ドアノブに手をかけたその時、扉が勝手に開いた。
「おや、これはこれは。」
正確には、タイミング悪く扉の向こうから人が入ってきたのだ。扉から顔を覗かすは二人。
咄嗟に短剣を構えようとレッグホルダーに手を伸ばしたチッチ。しかし、短剣を手に取るより先に、光の速さとも思えるぐらいのスピードで首に刃物が当たった。
「タマキ、それは売り物だからね?」
チッチの意識はそこで遠退いていった……。
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