03 そして青年と娘は互いを知る
男のとんでもない発言のせいですっかり役が抜けて素が出てしまった。
落ち着け、ブラフかもしれない。
掴みかけているこの役を逃さないよう気合いを入れ直す。
「ねぇー、名前はぁー?」
嘘を見破るためにわざと思考をかき乱してくるのかもしれない。
「ねぇーえ〜、ボス? ご主人?」
ブラフ、かも、しれない……。
「じゃあ、血色の女?」
こいつは、この顔は……、マジだ。
「あんたね、名前は先に名乗るのが礼儀……。」
しまった。油断した。
手紙を書いたという事は名前を知っていて当然。
せっかく手懐けたこの恐ろしい駄犬が再び殺戮の狂犬になればひとたまりもない。
――…………というより、おかしいくない?
字が読めないのになぜ手紙が自分宛だと分かった?
俯き考え込んでいると、男が腕を組んでキョトンとした顔でこちらを覗き込んでいるのに遅れて気がついた。
「な、なによ。」
「れーぎってなに?」
「…………。」
バレてはいない、らしい。それよりも大人びた見た目を裏切る知能の低さ。こんな所で生きていれば知識に偏りが出ていてもおかしくはないが、流石に度を越している。
手紙はどうせ自分の家に届いたとかそんなところか。
考えるのも馬鹿らしくなって諦めた。
「あんたはどう呼ばれたいかって聞いてるの。」
「ずっとあんたじゃ嫌でしょ」と付け加える。すると「イヤ!」と言われたのか「ワン!」と吠えられたのか、とにかく犬感強めに返事が返ってきた。
「俺ぁー、シロアカだ!」
目の前に立つ男が「褒めて、名前言えて偉いでしょ」と尻尾を振って喜ぶ犬に見えるのはどうしてだろう。頭を使いすぎて幻覚でもみているのかもしれない。
「白い髪に赤い目、それでシロアカ。覚えやすいだろ。」
うん。これは、幻覚ではなさそう。
自分の髪と瞳を指して無邪気に笑う姿はまさに白い大型犬。これで殺人鬼でないければ言うことはないのだが、そうはいかないのが現実。
「好きに呼んでいーよぉー。」
「好きにってシロアカでしょ。」
「ヤだ!」
――…………やだ、とは?
「特別な呼び方にしてほしぃー。」
「シロアカでいいじゃない。」
「似合ってる」と付け加えて煽てて見せるも彼は納得しない。徐に歩き出した先、扉に刺さっていた短剣を手にしてこちらに笑顔で振り向いた。
「ダメなのー?」
――それは、脅しじゃないか。
少し悩んで、ため息をこぼした。
「じゃあ、ロカ。シロアカから二文字とってロカ。」
「…………俺の、特別。俺のだ。俺、ロカ!」
「きゃっ!」
ロカは特別な呼び方をいたく気に入ったようで短剣を持ったまま勢いよく抱きついてきた。あまりの力強さに思わず小さな叫び声が漏れるほど。
「ちょっと、離れて!」
「俺、ロカだよ。」
「知ってる!」
離して欲しくてもがいてみるもびくともしない。
「どけっ! この駄犬!」
「俺はロカ!」
「だから知ってるっての!」
殴っても蹴っても石みたいに固くてこちらにダメージが入る。そして噛み合わない会話。イライラが溜まる。
「ロカ、離れないと飼ってあげないから!」
ピタッとロカの動きが止まった。
無理矢理に腕から這い出たせいで、頬や腕、メイド服にまでべっとりと返り血が付いてしまっていた。
「嘘、吐いたのか?」
服から視線を戻すとロカに先ほどまでの明るい声色なく、地響きに似た殺意ある低音が発せられた。しかし、ここでビビっていては大女優の名が泣く。グッと脚に力を入れて踏ん張って見せる。
「飼ってくれるって言ったのに。嘘、吐いたのか。」
「私、飼うなんて一言も言ってないけど。」
「言った。全部使ってくれるって言った。」
「…………。」
――あーー、確かに言ったわ。
でもあれはセリフとして言っただけ。飼うなんてつもりはさらさら無かった。
「確かに、使うとは言ったけど飼うなんて、」
一言も言ってない。そう言い終わる前にロカによって口を塞がれた。血生臭さが鼻を焼く。
「静かに。誰か来た。」
そう言われてもなにも感じらないが、ロカは一瞬にして殺人鬼の顔になっていた。冷たく、感情もない、人を殺すのに躊躇いのない男。さっきまでの地獄絵図を思い出し身体が石のように固くなっていくのが分かる。
逃げたいのに、身体が、脚が動かない。
数秒遅れて「ドンドンドン」と屋敷の扉を叩く音が響き渡った。
「ニーダ。いるのは分かってる。出てこい。」
ニーダはここの家主だった方。
ならば相手は最近ここらであったマフィン同士の抗争の勝者ヒューズファミリーか。
家主は生前、このファミリーに悩まされていた。部屋の前で漏らす焦りと苛立ちを何度も耳にしたことがあった。
「なんでよりによってこんな時に!」
今一番相手にしたくない。だって家主はもう死んでいるし、使用人達も、味方は誰一人いないのだ。いるのは頭の悪い駄犬一匹と飼い主になりたくない娘が一人。
はっきり言って最悪の状況。
「足音からして十人以上いる。」
ロカの耳はまさに犬並み。
その犬が更に嫌な知らせを持ってくる。
「屋敷の周り、囲まれてる。これは逃げられないなぁ。」
無邪気な笑み。そしてこちらを向く。
「ねぇー。飼ってくれるなら全員殺してくるよ?」
重ねて最悪な提案。「お前は俺を飼うしかないね」と言いたげな瞳。勝ち誇った顔が鼻につく。
ドア強く叩く音。
時間はもうあまりない。
「ねぇー、命令して。ご主人様ぁ〜?」
耳元で囁く悪魔の契約。
時間はもうない。
選択を迫られている。
どちらを取っても結果は地獄だろう。
一難去ってまた一難。既に脳は焼き切れる寸前だと言うのにまだ働けと言うのか。
――………………もう、やだ。
なんで私が?
悪いことなんてなんにもしてないのに。
辛い、しんどい。なにも考えたくない。
――逃げたい……。
――………………また、逃げるの?
過去の自分はいつもそうだった。
本当は環境なんていつでも変えれたのかもしれない。期待なんて跳ね除けてやれば良かった。親の言うことなんて聞かなければ良かった。
――でも、出来なかった。
自分さえ黙っていたら誰も怒らないから。
自分さえ我慢すれば誰にも迷惑が掛からないから。
自分だけ傷ついていれば。
――自分よがりでヘドが出る。
何かに依存しなくちゃ生きていられなかった。
誰にも見向きされなくなるのが怖かった。
誰かに必要とされたかった。
――まだ、言い訳するの?
違う。そうじゃないだろ。
いつも誰かのせい、人のためにって言い訳して、本当は自分が拒絶されるのが怖かっただけなんだ。
――そんな自分が何より、嫌いだ。
本当は、なにも気にせず我が道を生きたかった。それが出来るネムが羨ましくて、憎らしくて、焦がれていた。
ドンドンと扉を叩く音は強くなる。
悪魔は嬉しそうに「命令して?」と甘える。
――また、逃げるの?
頭の中で誰かが、問う。
――お前は、また私から逃げるのか?
ああそうか。
貴方はもう、私の中にいたのね。
――大女優が聞いて呆れる。
――この程度で根を上げる始末とは。
笑わせないで。もう逃げないよ。
これは私の人生だ。今までと同じようにダラダラ生きるぐらいなら短命でいい。自分の為に、好き勝手自由きままに生きてやる。
――だって私は、貴方を演じると決めたから!
「命令はしない。」
深い思考からふわりと浮かび上がる。
女の黄金瞳は輝きを増す。
「まだ名乗ってなかったわね。」
二人が一人になる様な、
「私の名前はネムよ。」
カチッと嵌まる音がした。
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