幕間 暗躍は人知れず始まっている【シェリー編】
ネムとロカが部屋を後にして数分。
取り残された女、シェリーがいた。
笑っていたのも束の間、そろそろ行動を起こさねば。
ここに安全はない。
本人もそれが分かっているからこそ、ため息が出る。
「旧ニーダ邸に行けなんて、簡単に言ってくれる。」
ここからどれだけ危ない地区を抜けると思ってるのよ。
女が一人で、しかもこんな大金背負って。
「はぁー……。」
目の端に入る一つの大きな袋。
ネムが置いていった二千万セリルだ。
「せめて護衛ぐらい置いて来なさいよね。」
部屋には蝋燭が五本。
あるのはそれとゴミ屑だけ。
蝋燭だって残りわずかな寿命を酷使している。
行動しなければいけない。
それは分かっている。
焦る気持ちはある。
でも、それ以上に……。
「あんなの見せないでよ。」
シェリーは観客のいない舞台へ上がった。
「私は神に使える身。」
早鐘のように心臓が高鳴る。
「残念ながら女神ではありません。」
ここにいるのは恋する乙女。
「ですが……。」
セントに蹴られた身体はボロボロ。
打撲で痛む腹。
泣き叫んで掠れた声。
それでも、それでも……っ!!
「皆々様に神のご加護が在らんことを祈りましょう。」
演じずにはいられなかった。
あの興奮を、狂気を、存在感を。
忘れられるはずかない。
舞台と言っても観客席との差はたった数十センチ。
ジャンプすれば底が抜けそうなぐらいギシギシと軋む床。スポットライトや音響設備もなく、誘惑するお香すらない。
舞台の完成度だけで言えば、信仰宗教マリアが建てた白いテントの方が遥かに上だ。なのに、観客は誰一人としてネムの芝居の最中に帰る事をしなかった。
私の芝居では幻覚剤入りのお香を使っても、半分も引き止められられなかったのに……。
魅入ってしまっていたんだ。
男を踏み付ける視線、
あざ笑う傲慢さ、自由を体現したあの姿。
芝居に関して一切の小細工、妥協はなかった。
己の身体一つでアレを演じ切ってみせた。
そんなイかれた女に、
「勝てるはずないじゃない……。」
今思えば、あの女が舞台上で綺麗なお辞儀をして見せた時から負けていた。
満面の笑みは人を惹きつけて、
本当に、本当に、楽しそうだった。
「あんなのズルい。」
夢なんて与えないでよ。
希望なんて見せないで。
「私にも、出来るかな……?」
私だって、
「もう利用されて捨てられるのは沢山だっ!」
私だって…………っ!!!
「取り柄は顔だけとか、分かってる!」
幸運だと言われ続けてきた。
女からは嫉妬。
男からは欲情。
「下賤な男に媚びたくないっ!」
誰かの顔色をずっと伺っていた。
息を潜めて生きてきた。
ヘルドッグにすら、殺す価値なしと見下された。
それのどこが幸運なんだっ!
「私だって……自由に生きたいっ!!」
勝手に私の幸運を決めつけないでよ……。
「じゃあ、私が手伝ってあげましょうか?」
「………………誰。」
音はなかった。
扉が開いたことにも気づかなかった。
目の前に、客席の真ん中に、いつの間にか二人の男が立っていた。
ひと目でわかる質のいいスーツを着る男。
その後ろに見覚えのある黒い軍服と制帽を身に纏った男。
「……なんでヘルドッグがここにいるのよ。」
強制無差別殺人イベントはもう終わったでしょ。
散々殺して帰っていったじゃない。
「なんでと言われても……。皆殺しにする為に決まっているじゃないですか。」
男は当たり前のように言い放った。
シェリーは身体を硬くする。
「まぁ、安心なさい。この子は私の合図なしには動きません。」
男の言う通り、軍服を身に纏ったヘルドッグ所属であろうもう一人の男は、ピクリとも動かない。
帯刀している変わった形の刀にすら触れず、軍帽を深く被って背中で両腕を組んだまま。
「それよりも、ここに来るまでに多くのゴミが騒いでまして。バラ病で死ぬやら悪神に寿命を取られるやら。」
ネムの芝居を見て逃げ出した連中の事だろう。
彼らはそれら全てが嘘だと知らない。
騒ぐのも無理はない。
「私は信仰宗教マリアなる所が栄えてると聞いて来ましたのに、白いテントごと潰れているしで、意味がさっぱり分かりません。」
え?
テントが潰れてる?
信徒がだいぶ去ってから手入れが行き届かなくなってはいたけど、潰れるぐらい傾いていたかな?
「それで、ここに行けば分かると教えてもらったのですが、説明してもらえます?」
説明もなにも、私も被害者だ。
「…………。」
「あれ、私の話は通じてます?」
「…………。」
「話して楽に死ぬか、切り刻まれて苦痛の限りを味わってから死ぬか。どちらが良いですか?」
なんというか、これが現実だと言われている気分。
『夢なんて見るな』と頬を叩かれ、
『自由に生きられる筈がない』と鼻で笑われた。
そんな、気分。
………………クソったれがっ!!
「どっちも嫌に決まってるじゃん。」
「……ほう。」
ヘルドッグが現れた時点で死が確定してる。
どうせ逃げきれやしない。
「あんた達の指図は受けない。」
震えるな。
笑え、笑え、笑ってやれっ!
「せいぜい情報に踊らされて死んじまえ。」
悪魔みたいに。
あの、悪神みたいに。
やっぱりあの女のせいだ。
普段の私ならこんな馬鹿な事、絶対にしない。
生き延びる為ならなんだって必死で言う事を聞いてた、聞けていた。
こんな馬鹿で我が儘になっちゃって。
簡単に殺されちゃうじゃんか。
ほんと、あんたのせいよ。ネム。
あんたともう一度、同じ舞台に上がりたいなんて、思わなければ良かったなぁー。
シェリーの瞳から頬にかけて真っ直ぐに一粒。
大粒の涙は穢れなく、誇らしく、地面に散った。
「…………タマキ。」
瞬きの隙間、殺気を放った軍服を着た男が抜刀し、舞台に向かって走り出したのが見えた。
ギュッと瞳を閉じる。
奥歯に力が入る。
喉が詰まって、息が、出来ない。
「駄目ですよ、殺しては。」
首元に風。
ピタリと止んだ。
「私、好きですよ。男を見下すような表情も、笑みも。気の強い女って感じがして良いですよね。」
薄く開いた瞼。
つんと刺す鉄の匂い。
軍服の男が首に刀を突き付けていた。一歩でも動いたら刀に当たって斬られてしまう。
「女はそうでないと。そう言う女を自分色に染めるのが醍醐味ってもんです。」
スーツを着た男はこの状況でも平然と話を続ける。
「タマキ、刀を下ろしなさい。」
突きつけられていた刀が離れていく。
軍帽から覗く髪はシルバーグレー。
瞳は、見えない。
なにも言わない〝タマキ〟と呼ばれた男の姿はまさに、飼い慣らされた狂犬の名が相応しい。
「貴方、名前は?」
「…………シェリー。」
スーツの男はコホンと咳払いを一つ。
「では、シェリー。貴方は貴族になりなさい。」
「……………………ハァ??」
この男、今なんて言った?
「自由に振る舞うにはそれなりの権力が要ります。だから、貴族になってしまうのが早い。」
男は蝋燭に火を付けるみたいなノリで言う。
シェリーだってそこまで馬鹿じゃない。
「そんな簡単に、貴族になんてなれないでしょ。」
奴隷やペットとして屋敷に召し抱えられる事はあれど、平民が貴族になるなんて、聞いた事がない。
「簡単ですよ。ちょうど金もあるみたいですし。」
困惑するシェリーを置いて、男は舞台の端に置かれていた大きな袋に目をやる。いつも間にか袋の前にはタマキが立っていて、袋の中を確認していた。
「ふむ。二千万セリル、と言ったところですか。足りない分は私が払いましょう。」
「ちょっと、待ってよ。貴族って金を詰めばなれるものなの!?」
そんな簡単なんだったら、もっと情報が飛び回っているはずだし、みんな血眼で金を集めているはずだ。
「色々と条件はありますよ。でも、私ならそれが可能と言うだけです。」
当たり前のように平然と言ってのける姿は、嘘をついているようには見えない。でも今さっき、嘘で痛い目を見たばかり。そう簡単に信じられない。
「………………貴方、何者なの?」
「ああ。自己紹介がまだでしたね。失礼。」
仕立ての良いスーツ。
漂う気品。
只者じゃないオーラを放っている。
「私は――。貴方の後見人になってあげましょう。」
「………………うそ、でしょ。」
そんなわけ、ない。
「それで、どうしますか?」
こんな事、あるはずがないもん。
「私と一緒にきますか?」
差し出される手。
この手を取って良いの……?
また騙されてるんじゃない?
「それともここで今まで通り男に媚びて生きますか?」
そんなの嫌よ……。
「ねぇ。私、芝居がしたいの。」
例え、これが本当の悪神だとして、寿命が削られるとしても、自由に生きられるのなら、
「それはとても良いですね。応援します。」
私は、この手を取ってやるっ!
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