21 右か、左か。シュリーかセントか。
「なん、なんだよ……。」
数秒前までの威勢は吹き飛ばされ、床に尻餅をつくセント。それを見たシュリーは負けを悟ったのか部屋の出入口へと走る。
『おいおい。どこへ行く?』
パチンと悪神が指を鳴らすと出入口に立っていたチャチャと店長がシェリーの行く手を塞いだ。
「は、離してよ!」
チャチャはいつもの優しい笑みをそのままに、シェリーの腕を掴んで舞台付近にひきづった。
その笑みも今は酷く恐ろしい。
シェリーの顔からどんどん血の気が引いてゆく。
『ここにおる信徒は既に我の眷属。簡単に逃げおおせると思うなよ?』
群衆が沸く。
二人を殺せと取り囲む。
「なんでもする。金なら払う。だから俺を、俺だけは助けてくれ!」
「はぁ!? ふざけんな。ただの調合師風情が。誰のおかげであんなに儲かったと思ってんのよ。」
もはや聖母と言われた高潔はなく、ウロボロンに住む賤しい女に成り下がったシェリー。二人は互いを醜く罵り合う。
『我を散々コケにしてくれたな。その対価、支払ってもらおう。』
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!
群衆のブーイングが響く。
『でも、簡単に殺すだけではつまらないだろ?』
鶴の一声で静まる群衆に見せつけるように、悪神は自身の髪の毛を一房抜くと両手の中で円を描く様にコネ出した。
『一つ、ゲームをしよう。』
開いた両手に小さく赤いタブレットが一粒ずつ乗っていた。見た目はどちらも一緒に見える。
『好きな方を食え。』
「え……。」
『一つはバラ病を治す薬だ。もう一つはバラ病を促進する薬。』
その言葉に、セントとシェリーは青ざめる。
『つまり一人はここでバラの花弁を吐いて死ぬ。一人は助けてやる。どうだ、面白いだろ?』
悪神の名に恥じない極悪ゲーム。
笑う悪神を諌める者はいない。
「バラ病を促進させる薬なんてあるはずがない。未だになんのウイルスが原因なのかすら分かってないんだぞ。」
腐っても薬物調合師のセントが正論をぶつける。
しかし、目の前にいるのは物理を超えた存在。
『じゃあ、食って見ればいいだろ?』
その声に、その表情で、二人は悟る。
助けは来ないと。
『さぁ、どちらを食う?』
助かりたいなら差し出された二錠の内、どちらかを食べるしかない。
「わ、私は幸運の持ち主よ。絶対バラ病なんかにならない。」
シュリーは震える手で悪神の右手の一錠を選んだ。
「死にたくない、死にたくない。」
セントはもう壊れる寸前。
残った左手の一錠を手にした。
互いが同時にタブレットを口に入れた。
静まり返る室内で、結果はすぐに現れる。
「ゲボォ、ゲボッ、オゲェェェ。」
赤が舞った。
ヒラヒラと、揺れて赤い花弁と床に倒れ込んだのは、
「い、いやァァ!!」
シュリーだった。
「私は、私はぁ! 幸運の持ち主なのよ!!」
「あはは、ははは。俺の勝ちだ!!」
床に這い苦しむシュリーになど見向きもせず、ガッツポーズを決めるセント。
『アヒャヒャ。実に面白い。時にセント。シェリーは仲間なのだろう。金を対価に助けてやってもいい。どうする?』
本当に楽しそうに笑う悪神。
セントはシュリーをようやく見た。
見下した。
「た、たす、けて……。」
呼吸が荒い。
残った体力全てを賭けて出した声は微かに聞こえる程度。震える右腕でセントの脚を掴もうと必死に動かすが、その行為は無駄に終わる。
「なんて醜い。」
セントはシュリーを切り捨てた。
「こいつは顔が良いから使ってやってたんだ。でも頭は悪いし、金遣いも荒い。ちょっとばかし演技が出来るからって調子に乗りやがって。てめぇなんて誰が助けるか!」
セントはシュリーの腹を思いっきり蹴った。
あまりの痛さにシュリーはまた赤い花弁を吐く。
「馬鹿が。クソアマの分際で俺様に指図すんじゃねぇよ!」
セントは蹴り続ける。
シェリーの口から出るのが赤い花弁から血液に変わってもやめない。
「あはは、あはははははは!!」
止める者もいない。
「ははは、ハァーー。なぁ、悪神。」
『なんだ?』
セントがようやくシェリーを蹴るのをやめた時、既にシュリーの意識はなかった。彼女の瞳から頬にかけて通った涙跡は何重にもなり、濃く残っている。
「対価を払えば願いを叶えると言ったよな?」
『ああ。』
「だったら、俺の有り金五千万セリルとシェリーが隠し持ってる二千万セリル。合わせて七千万セリル、全部やる。」
タガが外れたセントは叫ぶ。
「その金でここにいる奴らの寿命全部俺に与えろ。それとバラ病を促進させる薬も有りったけくれ!」
一度死の淵を見た男にもう恐れるものはない。
いや、もう理性が擦り切れかかっているのかも。
群衆の罵声、怒号何にも反応しない。
見つめる先は一点。
悪神との契約のみ。
『アヒャヒャ。なんと強欲。いいぞ。寿命と薬、くれてやる。』
蚊帳の外から罵声を飛ばして安心していた群衆が、急に矢面に立たされた。
「い、いや待ってくれ……悪神。」
「俺たちはあんたを信仰する。教団にも入る。」
「有り金全部出す。」
おそらくこの中にセントより金を積める者はいない。
自ら寿命を差し出す馬鹿もいない。
『我がいつ信仰して欲しいなんて言った?』
しんと静まり返る。
真顔の悪神。
こいつは味方じゃなかった。
どうする、どうする、どうするっ!!
「お、俺はまだ死になくねぇェェェェエエ!!!」
群衆の中の一人が奇声に似た悲鳴を上げ、唯一の出入口に向かって走り出した。それを皮切りに群衆は津波となる。
「逃げてるぞ。捕まえろ!!」
出入口を見張っていたチャチャと店長にセントが叫ぶが、二人は群衆を止めるどころか、ピクリとも動かなかった。
『そう急くな。もう奴らの寿命は知ってる。奪うだけなら離れていても出来るわ。それよりも、だ。』
残ったのは気絶しているシュリーと信徒が三人、それから意識があるセントだけ。床は祭りの後のみたく汚い。
『対価をよこせ。寿命も薬もその後だ。』
「ここにはない。」
『…………はぁ? 我を謀るつもりか?』
「違う! 安全な場所にあるんだ。すぐに持ってこれるが俺一人じゃ運べない。そこの信徒を二人貸してくれ。」
チャチャと店長を指先す。
『良いだろう。だが、急げよ。我はもう長くここに居られない。』
「どういう事だ?」
『簡単な事だ。我が入っている器の娘は我が降臨している間ずっと対価を支払っている。』
セントの前に右手を開いて突き出す。
『五分で一年だ。我をその身に宿す対価ぞ。降臨してもう三十分は経っている。持ってあと十五分だな。』
「それを、過ぎたら……?」
『お前の望みは一つも叶わない。』
それはそれで愉快だ、と笑う悪神は突き出していた右手をひらひらと振る。
『お前は間に合うかのぉ?』
イタズラを成功させた子供みたいに無邪気に笑う悪神を背に、セントは弓で弾き出させた弓矢の如く走り出した。
後を追うチャチャと店長。
室内はがらんどう。
床に散乱するゴミと硬貨。
燃える蝋燭もどこか悲しげ。
「悪神様よ、こいつらどうする?」
どこからか取り出した椅子に座る悪神は犬でも撫で回すようにロカに触れて戯れていた。
チッチの問いには少し考えて、「外に捨てといて」と興味なさげ。
「あ、でも女は置いといて。」
「えーー。シュリーちゃんは俺が貰おうと思ってたのに。はんぶんこしよーよ。俺は上半身が良いな。ネムちゃんは下半身でいいよね。ロカに性教育も出来るよ。あ、でもパンツは俺が貰っていい? 良いよね?」
今まで黙っていられた事が奇跡だと思うぐらい、ハオは早口で言葉の数々を並べていく。
途中から部屋にいる全員が耳を塞いでいたのは言うまでもない。
「…………うっ。」
小さな呻き声が上がった。
「おや、おやおやおや。これ目覚ましちゃうよ? もう一発殺しとくかい?」
シュリーが意識を取り戻したらしい。
「あ、たしは……?」
まだ朦朧とする意識の中、舞台からコツコツと靴音が近づく。
「おはよう。シュリー?」
「ぉ、えっ、あんた! 悪神カリ!!」
「を、演じていたネムよ。」
「え、んぎ……?」
「そう。演技、芝居ね。」
パニックを起こすシュリー。
ネムはそんなのお構いなしに話を続ける。
「もうすぐ閉幕の時間なの。」
「はぁ? なにがどうなってるの?」
「そんなの今はどうでもいいじゃない。とりあえず黙って舞台袖から見ておいて。」
黄金瞳は爛々と輝く。
それはそれは、楽しそうに。
「あんた、一体何者なの?」
その問いにネムは口元に人差し指を立てる。
「なぁ〜いしょ。」
息をたっぷり含んだ声は艶っぽい。
大胆不敵の笑みはシュリーですら見惚れるほど。
口が開いたまま閉じれなくなった彼女の唇を掴み、強制的に締めたネムは、シュリーを舞台の奥へと突き飛ばした。
「あんたに舞台に立つ者の責任を教えてあげる。」
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