幕間 【独白】シロアカの日常(甲)
「やだやだやだやだやだやだやだやだぁーー!!」
目の前で泣き叫ぶ女。
不思議な女。
「あたいらは二人で一人だし、くれた金の百万セリルは返すから。」
ウィンピーの二人はあれで用心深い。
「カイブタの方の五百万セリルもゆっくりでいいぜ、嬢ちゃん。」
店長も人の好みが激しい。
「ネムちゃん、パンツ買い取るよ。今履いてるの百セリルでどう?」
ハオは……、知らん。
そんな簡単に人を懐に入れる連中じゃない。
なのに、すんなり潜り込む猫みたいな女。
思えば出会った時から他とは違った。
暗闇で爛々と光る金色瞳。
殺す手が止まった人間は初めてだった。
口を開けば声も、顔も、性格も、コロコロ変わる。
身体に電気流された時みたいにゾクゾクした。
爪を剥がされたり、毒飲まされた時みたいな痛みとか苦しさとかじゃないビリビリくる感じ。
不思議な女。ゾクゾク女。俺の飼い主サマ。
『うん、いいよ。飼い主と上手くおやり。』
ここはつまんねぇ奴ばっか。
「はい、ボス。」
殺す、殺される、命乞い、薬、ギャンブル。
地下犯罪隔離都市ウロボロンにあるのはそれだけ。
地上へ登る唯一のエレベーター『天龍』を中心に円錐形に広がる都市は、ネオンサイン煌めく中心部から離れるにつれて薄暗く、不気味な雰囲気が立ち込めている。
ここを抜け出せば……。
考えるだけ無駄か、そう思っていた。
「ロカ、おかえり。」
今日は怒ってない、ぽい。
ここ最近ずっと「金がー、自由がー、」って怒ってた。
ネムと暮らし始めて数日、ムズムズする。
「家に帰ってきたら〝ただいま〟って言うの。」
「それ、なんかの合言葉?」
振り向く黄金瞳。ムズムズする。
「あんた足音がないのよ。いっつも知らない間に後ろに立っててびっくりするんだから。帰ってきたなら帰ってきたって言いなさい。」
ちっこくてガリで弱っちい。
簡単に殺されそうな女。
「それでただいま?」
「そう、よくできました。おかえり、ロカ。」
なのに目が離せない。
頭撫でられるとふわふわする。変な感じだ。
「そうだ。チッチから依頼書預かってたの、見て。」
「俺ぁ依頼書読めねぇ。」
「そうだった。チッチに読んでもらってたって聞いたんだった。」
もっと撫でてもらいたい。
もっと触りたい。
でもそれをするとネムは怒る。
怒るとキーキーうるさいから嫌だ。
「ターゲットはサルザよ。」
「サルザ。誰だぁ?」
「…………。」
俺に向ける顔は怒ってるのが多い。
たまにため息付き。
「この前お金騙し取ったマフィアのボスよ。」
「…………ああ、いたな。殺していいのか?」
「チッチからロカが殺さないなら他の殺し屋が殺すって聞いたの。それに依頼こなさないとお金貰えない。」
チッチと喋る時は少し楽しそう。
チャチャには難しい顔してる。
「だから……いいよ、殺して。でも私も一緒に行くから。」
「殺しなら俺一人で十分だ。」
「あんた一人で行かせたらまた借金増えるじゃない!」
「……うス。」
また怒った。
ネムは金にうるさい。
でも金に執着してるゴミクソ野郎共とは少し違う。
「今チャチャにサルザの動向調べて貰ってるから。」
「そんな事しなくてもパッと行ってサクッと終わらせようぜ。」
殺しなんて簡単だ。首掻っ切りゃいい。
行こうぜ、そう言おうしたら真顔のネムと目が合った。
「それ、つまんないでしょ。」
「…………殺すってそんなもんじゃねーの?」
「違うわね。この都市でしか出来ない生死を賭けたコンゲームよ。もっと楽しまなくちゃ。殺すサルザにも悪いでしょ?」
ネムの顔が変わっていく。
マフィアなんて眼中にもない悪く怖い女。
「あ、チッチとチャチャが来たみたい。なにか掴んだかなー?」
ちっこくてガリのくせに。
この華を殺せる気がしない。
「サルザは今、色んな奴に狙われてるぜ。」
「でしょうね。ニーダは多く貴族達の服も作ってたから。」
「相当警戒してるな。正直、サルザだけ殺すのは厳しいと思う。」
悩む横顔。理解出来ない。
ネムのしようとしているのは殺し屋の仕事じゃない。暗殺者の領分だ。
「マズいわね。急がないと。」
「急ぐ? なんで?」
「チャチャ、依頼してた情報は?」
聞かれたチャチャが一枚の紙を出す。
チッチも知らない間に頼んでいたらしく、興味津々に覗き込む。この中で文字が読めない書けないのは俺だけ。
話に入れないのも俺だけ。
モヤモヤが腹に溜まる。
「やっぱりね。」
「こりゃいったい……。」
つまんねぇ。こっち向けよ。
お前は俺の飼い主だろ。俺の相手しろ。
「ロカ、すぐ出るよ。」
「…………行けばいーじゃん。」
「なに、いじけてんの。」
「……チャチャと行けばいいだろぉー。」
俺にはすぐ怒るくせに。
俺には情報集めも頼まないくせに。
二人とばっか話して俺にはなぁんにも教えてくれないくせに。
「ロカがいないと駄目なの。」
「……。」
「あんたが必要よ。」
「俺にはなぁんも言ってくれないじゃんか。」
モヤモヤ。
モヤモヤモヤモヤ。
めんどくせぇ。
「だってロカ、私のこと信じてるでしょ?」
たった一言。
その信じて疑わない瞳が、嘘偽りないと確信をくれる。モヤモヤはどっかに消えた。
「なにも言わなくても守ってくれるでしょ。」
ズルい。
モヤモヤじゃない、ポカポカのなにかが降る。
「てゆーか、私あんたに二億セリル払うのよ。信じて守って貰わないと割に合わない。」
「……うス。」
勘違いだったかも……。
でも、まぁ、つまんねぇよりマシだ。
「ネムだぁいすき〜。」
「はいはい。」
【特別読み切り】 ♡ネムより愛を込めて♡
「おまっ、ネム! 何作ってんだよ!?」
「なにって……。チョコに決まってるでしょ。そんな慌てなくてもロカの分も作ってあげるから。」
錆びれたキッチンに立つネムは鼻歌混じりに黒いドロドロを混ぜていた。
「そーじゃなくてっ! なんでネムが作ってんだ。」
「だって私、主人公だもん。」
「シュジンコウ? いやそんな事はどーでもいい。やめとけって!」
キッチンの入り口から覗いて焦るロカを尻目に、ネムは一生懸命に混ぜる。
時たま、泡が浮いては割れ、香ばしい匂いがキッチンに漂っていた。
「そんな訳にいかないわよ。日頃からこの作品を読んでくれてるみんなに感謝と愛情をたっぷり練り込んで作らないと。今日はそう言う日だからね。」
赤髪をポニーテールに。愛らしいピンクのエプロン。
手にはドス黒いナニカ。
ロカは震え上がっていた。
「そうだ、ロカ。ほら、あーん。」
ロカにぐいっと近づくと、ネムはスプーンを口に近づける。
「俺イマ、腹スイテナイヨ。」
「なんでカタコトなのよ。大丈夫だって。これはチョコだから。甘くて美味しいのっ!」
両頬をぷっくり膨らませたネムは更に近づいて食べるように催促するが、ロカは全力でネムと距離をとった。
「俺、ダイジョブ。」
「なんでそんなに逃げるわけ!? 前に作った料理は……その、あれよ。材料が悪かっただけ。今回は美味しいって!」
ネムとなってから料理を作るのはこれで二回目。
前に作った時は初めて見る材料ばかりで失敗してしまった。
でも今回は大丈夫……の、はず。
ちゃんとそれっぽい物を買えたから!!
「みんなにあげる前に味見しておいた方がいいでしょ。あんたも責任あるんだから。ほら、あーんして?」
キラキラと黄金瞳が上目遣いで迫る。
これ以上ないシチュエーション。
「本当に、ほんっとうに大丈夫なんだな!!」
「当たり前よ。」
その言葉を信じたロカはギュッと目を閉じたまま、恐る恐る口を開いた。
「お? うっ、おおお、ぉぉーーー………………」
「美味しかったわよね。良かったぁ〜。」
ロカはふら付きながらどこかに消えた。
「よし、これで安心。」
自信を持ったネムが新しいスプーンにドロドロをすくってこちらを見ている。
「やっぱり、手渡しよりこっちの方がいいよね?」
満面の笑みと少しの気恥ずかしさ。
差し出されるスプーンに乗るドロドロは気泡がパチンと割れて「早く私を食べて♡」と言っている。
「はい。……あーん。」
「どうしたの? 早く口開けて?」
「えへへ、なんか照れるなぁ。」
「ハッピーバレンタイン♫」
「美味しかった、かな?」