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凶暴令嬢

作者: ひじり

     【1】


「お父様、わたくし決めました! 結婚相手を探そうと思います!」


 その一言から、アリーヌ・ラングロアの花婿探しは始まった。但し、


「あぁ、わたくしよりも強い殿方が現れるといいのですが……」


 その道のりは、血で血を洗う長い戦の幕開けでもあった。


 お転婆公爵令嬢のアリーヌ・ラングロアは、両親が持ってくる縁談には見向きもせず、お茶会や夜会での誘いにも一切靡くことがなかった。


 理由は単純。

 自分よりも弱い相手と付き合いたくないから。ただそれだけだ。


 アリーヌが幼い頃に読んだ絵本には、ドラゴンに囚われた王女と、白馬に乗った王子様が登場する。王子がドラゴンを倒して王女を救い出すだけの、いわゆる王道の物語だ。


 とはいえ子供心は真っ直ぐで純粋だ。アリーヌはその絵本を読んでからというもの、結婚相手はドラゴンよりも強くなくてはならないと心に決めていた。

 しかしながら、現実でドラゴンを倒すほどの猛者は滅多に現れない。それこそ【勇者】の称号を持つ者や、冒険者の中でもほんの一握りに限られる。


 故に、アリーヌは待つことにした。

 ドラゴンに囚われた王女のように、いつの日か白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるその日を夢見て、己の拳を鍛えながら……。


 そして今現在。

 アリーヌが結婚相手を探すと宣言した翌日、父はラングロア領内にて御触れを出す。


 ――我が娘、アリーヌ・ラングロアと一対一の決闘を行い、見事勝利した者には、結婚を許可する。


 これは何の冗談か。

 可憐で華やか容姿端麗、けれども驕ることなくお淑やかさを兼ね備えた非の打ち所の無い公爵令嬢、それがアリーヌ・ラングロアの人物像だ。


 そのアリーヌと、よもや一対一の決闘を行うなど、誰が想像するだろうか。

 そしてその褒美に当たるものがアリーヌ自身となれば、誰もがラングロア公爵は気が狂ったに違いない、と確信した。


 しかしながら、これは嘘でも偽りでもない。現に御触れは出ているし、公爵邸への門は開かれている。


 ざわつきながらも領民は声を掛け合い、それは領内を越えて伝わり始める。


 おかしな条件ではあったが、もし本当にアリーヌとお近づきになることができるならば、否、結婚することができるのであれば、こんなにも美味しい話はない。


 下級貴族でも、ゴブリンに後れを取る程度の冒険者でも、そこら辺にいるただの村人でさえも、アリーヌと一対一で戦って負けるはずがない。そう思った。そしてアリーヌを手中に収めることができる。公爵家の仲間入りをすることができる。そう思い込んでしまった。


 故に、気付けば大勢の男たちがラングロア邸の敷地内に用意された決闘場へと押し掛けていた。その中には女性も混ざっており、性別の垣根を越えた人気振りだ。


「見てください、お父様! こんなにもたくさんの殿方が、わたくしとの決闘を望んでいるのですね……!」

「うむ、そうだな! こんなにもたくさんの男たちが、お前との結婚を望んで……ん? 今お前、決闘を望んでいると言わなかったか?」

「はあぁ、腕が鳴りますわね!」


 御触れの効果は抜群であり、アリーヌと父は大いに喜んだ。

 だが、二人は気付いていない。


 アリーヌと一対一の決闘で勝利した者が、アリーヌと結婚することができるという唯一無二の条件、これこそが大問題であり、アリーヌの結婚相手を探すには悪手としか言いようがないということに……。


     【2】


「ラングロア領第一聖騎士部隊所属、アルバン・インクラードと申します!」

「まあ、元気がよろしいこと」


 決闘初日。

 アリーヌの結婚相手に名乗りを上げた栄えある一番手の人物は、聖騎士のアルバンだった。


 先の自己紹介の通り、アルバンはラングロア領の聖騎士部隊に所属している。つまりはラングロア公爵の矛であり盾でもある存在だ。

 その聖騎士アルバンが、本来であれば絶対に手が届くことのない公爵令嬢との結婚を可能とする決闘の舞台に上がることになった。


 この決闘において一番手になるということはつまり、アリーヌとの結婚を現実のものにするということだ、と誰もが理解していた。

 故に、くじ引きで決められた挑む順番に対し、皆一様に一憂し、唯一笑みを見せたのがアルバンであった。


 もしかして、くじ引きというのは建前で、本当はアリーヌ様が私を選んでくれたのではないか? だとすれば、このお誘い、無礼な真似だけはできない。アリーヌ様を失望させることなく、御身を私に委ねていただくまで……!


 アルバンは妄想していた。

 決闘に勝つのは当然のことであり、問題はどのようにしてアリーヌを敗北へと導くのか。


 衆人環視の中、将来の妻であるアリーヌ公爵令嬢に恥を掻かせてはならない。

 勝つことは容易でも、その勝ち方を完璧に求めるとすれば、それは何よりも困難だ。


「公爵様! 一つよろしいでしょうか?」

「何だ、申してみよ」

「はっ! 此度の決闘に際し、決着の有無についてお訊ねしたいのですが、場外を設けて頂くことは可能でございますか」


 これはアリーヌとの一対一の決闘だ。

 当然、怪我も考慮していることだろう。


 たとえ大怪我を負ったとしても、回復魔法やポーションがある。それも公爵家ともなれば、瀕死の重傷を負った者でさえも一瞬で治してしまうほどの用意があるに違いない。


 だからこその、決闘なのだろう。

 誰もがそう思っていた。


 だが、たとえそうだとしても、公爵令嬢であるアリーヌを傷付けるのは以ての外だ。

 場外での決着が許されるのであれば、それに越したことはない。アルバンはそう考えた。


「場外……ふむ、理由を申してみよ」

「公爵様にとって何よりも大切な存在であるアリーヌ様を、私はこの決闘において傷付けたくはございません。ですので、もしお許しが頂けるのであれば、場外の許可をお願いしたく存じます!」

「……だそうだが?」


 ラングロア公爵が、横に佇む女性に意見を求める。

 その人物はもちろん、当事者たる存在、アリーヌ・ラングロアだ。


「ふふふ、わたくしに怪我を負わせたくない……と?」


 アルバンの姿を瞳に映し込み、じっくりと観察したかと思えば、アリーヌは不敵な笑みを浮かべる。


「アルバン様は、随分とお優しいのですね?」

「いえ、あのっ、私は当然のことを言ったまでです!」


 公爵令嬢と言葉を交わす機会など滅多にない。故に、緊張するのも無理はない。

 そもそもアリーヌは、ラングロア領内だけでなく、王国大陸全土においても高嶺の花とも言える存在なのだ。

 そのアリーヌから言葉を投げかけることで、アルバンは天にも昇る気持ちになっていた。

 だが、


「心配無用よ」


 あっさりと。

 実にあっさりと、アリーヌは問いに対する回答を口にする。


「で、ですが、場外無しですと……」

「場外は有りで構わないわ」

「え? あの、でしたらその、何が心配無用と……」

「わたくしに対する怪我の心配が無用と言っているの」


 それはもう自信満々と言った様子で、アリーヌが告げる。

 怪我などしない、するものか、とでも言いたいのだろうか。アルバンは一瞬だが、そう思ってしまった。


 しかしすぐに考えを改める。


 アリーヌ様は、己に怪我を負わすことなく場外へと運んでみせろと仰っているに違いない! つまりこれは、私という人間を試そうとしているのだ……!

 だとすれば、この決闘、何が何でもアリーヌを場外へと導いてみせよう。それこそが自分に課せられた使命なのだから。


 アルバンは勝手に解釈する。

 当然のことながら、事実は似て非なるが、アルバンは気付いていなかった。


     【3】


「あぁそれと、わたくしは素手で十分ですけれど、アルバン様には武具や魔法の使用を許可いたしますわ」

「……は? いやあのっ、す、……素手? ……素手とは?」

「言葉の通り、わたくしが持つ右手と左手、この二つのことですわね」


 冗談だろ。

 つい、そんな言葉が口から出そうになった。


 素手で戦う。

 聖騎士のこの私と?

 しかも私には武具や魔法の使用を許可すると。


 いやいやいやいや、これはいったいなんの冗談だ。

 まさか、アリーヌ様は更に私を試そうとしているのか?


 ……いや、確かに、それはあり得る話だ。

 そもそもの話、結婚相手を探すために一対一の決闘を選ぶ時点でおかしな話なのだ。


 だとすればこれも、アリーヌ様から私に向けた一つのメッセージの可能性がある。

 その答えは……言わずもがな。


 聖騎士として常に帯剣しているアルバンは、その長剣の柄を握ったまま、再びアリーヌへと問い訊ねる。


「アリーヌ様……それはつまり、私にも素手で戦えと言うことですね?」

「違うわ」


 違うんかーい!!


 ……危ない危ない、今度こそ声に出しそうになった。

 口は禍の元だから気を付けよう。


 アルバンは己の脳内でツッコミを入れつつ、心を落ち着かせることに務めた。


「で、では、あの……本気で、私と素手で戦うと仰っているのですか?」

「ええ、本気よ」

「……し、失礼を承知で申し上げますが、武器も魔法も魔道具も使うことなく、聖騎士であるこの私に……アリーヌ様が、素手で勝てると……?」

「貴方はどうお思いかしら、アルバン様」


 問いに問いで返されて、アルバンは言葉に詰まる。


 その答えは明確であり、悩む必要は一切ない。

 だがしかし、アルバンは悩まざるを得なかった。


 もちろん、私が勝つでしょう。

 そう答えるのは易しだ。しかしながら、それを行うは難しだ。


 時に真実とは人を傷付ける行為となるが、今がその時と言えるだろう。

 そしてその相手が公爵令嬢アリーヌ・ラングロアであれば、それは傷付けるだけでなく、侮辱として捉えられても不思議ではない。


 もしそうなってしまえば、聖騎士としてのアルバンは終わりを迎えることになるだろう。

 職を失い、ラングロア領から追放されて野垂れ死ぬ未来が待っている。


 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。


 くじ引きと称することで、ラングロア公爵は栄えある一番手を与えてくれたのだ。

 この程度のことで尻込みしていては、アリーヌ様の横に並び立つに相応しくないだろう。


 そう考えたアルバンは、意を決する。

 己を受け入れてもらえるように、そして受け止めてほしくて、本音を口にする。


「……正直にお答えすると、確実に私が勝つことになるでしょう」

「確実にねぇ……?」


 ふうん、と頷き、アリーヌが呟く。


「……ふふっ、とても素晴らしい返事をいただきましたし、わたくしも貴方に期待していますわね? アルバン様」


 機嫌が悪くなったようには見えない。

 むしろその表情はすこぶる良さそうに思えた。


 アリーヌはアルバンの本音を耳にしたことで、確かに喜んでいた。

 一番手がこの御方でよかったと。

 思う存分楽しませていただきますね、と。


     【4】


「双方、構えよ」


 ラングロア公爵の呼びかけに応じ、アルバンは帯剣を抜く。

 しかしそのまま地面へと置くと、おもむろに両拳を握り締めた。


「……あら、あらあら?」


 その姿を見やり、アリーヌは思わず口元が緩んでしまう。


「あくまでも、対等な立場で……というわけかしら?」

「いえ、違います」


 アリーヌの問いかけに対し、アルバンは首を横に振って否定した。

 そして、両拳を胸の位置に構えたまま、己の想いを言葉にして届ける。


「アリーヌ・ラングロア公爵令嬢。貴女は私の妻となる御方です。故に、怪我の一つも負わせることなく、場外へとお連れすることを約束いたします」


 そう伝えると、アルバンは握っていた両拳を緩めて腕を下ろす。

 その姿はどこからどう見ても無防備だが、アルバンの表情は自信に満ち溢れていた。


 その一方、


「……それ、わたくしを倒すよりも、よっぽど難しそうね」


 アリーヌは眉を寄せ、酷く詰まらなそうな顔を作っていた。


「はい、確かにそうとも言えます。怪我を負わすことなく場外へとお連れするには、貴女を抱き抱えなければならないかもしれませんので……その無礼、今回だけはお許し願います」

「……構わないわ。できるものならね」


 何だろう……?

 何かが変わった。よく分からないけど、アリーヌ様の何かが……。


 アルバンは、ほんの少しだけ気付いた。

 でも、それは完璧とは程遠いものだった。


 故に気にせず合図を待った。

 決闘の合図を。


 既にこの時、アリーヌから愛想を尽かされているとも知らずに……。


「――始めっ!!」


 ラングロア公爵が声を上げる。

 すると、アルバンは両手を下ろしたままゆっくりとアリーヌの許へ向けて歩み出す。


「さあ、大人しく私に抱き抱えられてください。そして共に場外へと向かいましょう」


 それは愛の告白か。

 白馬に乗った王子様が、囚われの王女をお姫様抱っこするかのように、アルバンは両手を前に出してアリーヌに触れようとする。だが、


「それ無理」

「え? ――っっっっっ」


 たった一言。

 そしてグーパン。


 それはまさに一瞬の出来事だった。

 決闘場の内部で観戦していた他の花婿候補たちは、アルバンが遥か彼方へとぶっ飛ばされていく姿を、顔を上げて見送った。


「うんうん、結構遠くまで飛びましたわね? おかげさまでスッキリしましたわ。さあ、次はどの殿方がわたくしのお相手をしてくださるのかしら……って、あら?」


 そして数分後、その全てが決闘場から逃げ出していた。


「お父様、先ほどまでいらした殿方たちはどちらに?」

「全員、帰ったぞ……はぁ」


 アリーヌが疑問を投げかけると、父は頭を抱えながら言葉を返した。

 それもそのはず、ただのグーパン一つで、アルバンは此処から見えなくなるほど遠くまで飛ばされてしまったのだ。


 ちょっとした力自慢の男たちでは、アリーヌの相手になど成り得ない。目の前の事実を受け入れた結果、花婿候補は誰一人残ることがなかった。


「あら、そうでしたの? 詰まらない殿方ばかりですわね」


 肩を竦めるアリーヌの姿を見て、ラングロア公爵は深いため息を吐きながら訊ねる。


「……アリーヌ、まさかとは思うが……楽しんでないよな?」

「それは心外ですわ、お父様♡」


 と言いつつも、アリーヌの口元は嬉しそうに緩んでいた。


     【5】


 聖騎士アルバン・インクラードを遥か彼方までぶっ飛ばした翌日。

 決闘場の隅にて。


「……誰も来ないですわね」


 お茶を楽しみつつも、アリーヌは暇を持て余していた。


「ねえ、お父様? どうして誰もいらっしゃらないのですか?」

「アリーヌ……ああ、我が娘よ。それは冗談ではなく本気で言っているのか?」

「もちろんですわ」

「だろうな、だと思ったよ。それでこそ我が娘だものな!」


 半ば切れ気味に反応し、ラングロア公爵は天を仰ぐ。


「……昨日、お前は何をした? 答えてみなさい」

「昨日ですか? 聖騎士の殿方を……ちょっと、グーパンしましたけれど」

「ちょっと!? ちょっとか、あれが!! お前はちょっとでどこまでぶっ飛ばすつもりだ!!」


 再び天を仰ぎ、ラングロア公爵は乱れた呼吸を必死で整える。


「はあっ、はぁっ、……くっ、我が娘が昔から力自慢であったことは理解していた。だがそれを他者に悟られることがないようにと、表面だけは完璧に育てたつもりだったが……そのツケが今、回ってきたということなのか? ……く、くっ、……くうっ!」

「お父様、何を笑っていらっしゃるのですか?」

「泣いているんだよ!!」


 もはや我慢することができず、ラングロア公爵の両目から大粒の涙が噴き出していた。

 まさか昨日の今日で花婿候補が一人も来なくなるとは思わなかったのだ。


「今日は暇そう……誰か来るまで、町を散策してきますわ」

「おい、待てアリーヌ! 当事者がここを離れてどうするつもりだ! まだ一応、誰か来る可能性があるんだぞ? その時、お前がここに居なかったら……!」

「支度に準備がかかるからと引き留めておいてください」

「し、支度だと!?」

「はい。わたくしを妻にしたいと思って下さる殿方でしたら、少しぐらい決闘に……デートに遅れても笑って許して下さるはずですから」


 それでは、行って参ります。

 その背にラングロア公爵の怒声を浴びながらも、アリーヌは軽やかな足取りで決闘場をあとにする。


 公爵邸を出ると、その足でラングロア街へと向かう。

 アリーヌは普段からラングロア領の町内に足を運んでいる。そこで領民との触れ合いを通じて現在の地位を確立するに至った。


 領民にとって、アリーヌ・ラングロア公爵令嬢は憧れの存在である。

 決して手の届かない高嶺の花であり、けれども階級の差に関係なく触れ合い、当たり前のように声を掛けてくれる。

 まさに好かれて当然、慕われて当然の公爵令嬢なのだ。


「御機嫌よう」


 だというのに、おかしい。

 町内に入ると、早速領民と遭遇する。


 しかし領民はアリーヌと目が合うと「っ!?」と体をビクつかせて立ち止まる。「御機嫌よう」と挨拶をされてもぎこちなくお辞儀をして足早に距離を取る。


「変ね……皆どうしたのかしら?」


 つい先日までは、皆が皆、アリーヌの姿を見つけると「あっ! アリーヌ様だ!」と大喜びで我先にと駆け寄ってきたものだが、今日は様相が異なる。

 幾つもの視線を感じるが、遠巻きにヒソヒソ話をするだけで、アリーヌの傍へ近づく者は一人も現れない。


「ねえ、貴女? どうしてそんなに怯えているの?」


 理由が知りたいアリーヌは、物陰に隠れていた女の子の許へと歩み寄り、声を掛けてみた。すると、


「あ、あの、きっ、昨日、そのっ、聖騎士の……方を、……ぶっ、ぶっ飛ばし……た、というのは、ほ、本当……ですか?」


 明らかに怯えたような表情を作り込み、女の子は恐る恐るアリーヌへと訊ねた。

 その質問に対するアリーヌの返事は、もちろん肯定だ。


「ええ、事実よ」

「ややややっぱりっ!!」


 ビクゥッ! と全身を震わせて、女の子はその場から一目散に駆け出し、見えなくなるほど遠くまで離れて行ってしまった。


「……あぁ、そういうことだったのね?」


 ここでようやくアリーヌも気付く。

 領民たちが余所余所しい原因が、自分の行いによるものだということに。


 今の今まで公爵令嬢として非の打ち所の無い完璧さを保ち演じてきただけに、領民たちは疑心暗鬼になっていたらしい。


 昨日、ラングロア邸の方角から町の上空を飛んでいく青年の姿を見た、と。

 その青年がアリーヌの花婿候補の一人であり、アリーヌがその青年をグーパン一つでぶちのめしたのは事実なのか、と。


「わたくしとしたことが、ミスを犯してしまったようですわね」


 その噂は残念ながら事実だ。

 聖騎士アルバン・インクラードはアリーヌのグーパンで決闘場から遠く離れた場所までぶっ飛ばされている。


「あれでも超が付くほど手加減したのだけれど、もっと優しく殴るべきでしたわ……」


 今となってはあとの祭りだが、それに気づいただけでも一歩前進だ。

 同時に、アリーヌ自身はこれっぽっちも悔やんでいなかった。


 しかしこの発言を聞いた領民たちは、今よりも更にアリーヌに対して恐怖心を抱くことになるのだった。


     【6】


「おう、テメエがアリーヌか?」

「……はい?」


 ラングロアの町中で自己分析をするアリーヌの許に、がっしりした体格の男性が近づき、声を掛けてきた。


「そうですけれど、貴方はどちら様かしら?」

「俺様はドノーグ! 銀級一つ星の冒険者だ!!」

「――ッ、冒険者……!」


 その男の名は、ドノーグ。ギルドに所属する冒険者の一人だった。

 アリーヌは、ドノーグが冒険者だと知ると、途端に目を輝かせる。


「なるほど、通りで逞しい体つきをしていますのね」

「おう? ……おう、そうだろう? くくく、よく分かってんじゃねえか」


 初対面にもかかわらず、公爵令嬢から褒め言葉を受け取り、ドノーグは上機嫌になった。


「ところで、ドノーグさんはわたくしに何か御用でも?」

「おう、あるぜ! 用があるからテメエに会いに来たんだ!」


 アリーヌと言葉を交わすドノーグは、冒険者として魔物退治を生業にしている。

 しかも銀級一つ星といえば冒険者の中でも上位に位置するので、腕っぷしを疑う必要はないだろう。


 そんなドノーグが、アリーヌを探していた。冒険者としての仕事を休んで会いに来た。

 その理由は一つしかない。


「アリーヌ・ラングロア! 俺様の嫁になれ!」


 町中に響き渡るような大きな声で、ドノーグは口を開いた。

 領民たちの注目を集めようがお構いなしといった様子だ。


「いいか、これは命令だ! テメエに拒否権はねーから!」


 これが白馬に乗った王子様の台詞で、更にもう少し優しく言ってくれたのであれば、心を動かされることもあったかもしれない。


「ふふ……貴方、面白いことを言うのね?」


 否、アリーヌは相手を顔で判断することはない。

 絶対的な基準となるのは、いつだって強いか否か、それだけだ。


 故に、ドノーグにはほんの少しだけチャンスがあると言えるかもしれない。

 もちろん、言葉通りほんの少しだけだが……。


「ええ、別に構わないわ」


 その言葉を耳にして、ドノーグは口元を意地悪く歪ませる。

 一方で、領民たちは「嘘だろ……!」と絶句していた。


 我らが愛すべき公爵令嬢アリーヌ・ラングロアが、どこの馬の骨とも知れない小汚さ全開の冒険者の妻になるなど、決して耐えることができない。

 たとえアリーヌがグーパン一つで聖騎士の青年を遥か彼方までぶっ飛ばしたのが事実だとしても、それとこれとは話が違うのだ。


「お、お止め下さいっ、アリーヌ様!」

「そうです! もっとご自身を大切になさって下さい!」

「私たちのアリーヌ様がそんな乱暴そうな男とくっ付くなど耐えられません!」


 遂に領民たちが声を上げ始める。

 しかし時すでに遅し、アリーヌはドノーグの命令に対して前向きだった。但し、


「――ところで、条件は分かっていらっしゃるのよね?」


 問う。

 アリーヌが確認の意味を込めて。


 既に御触れに目を通していたのだろう。条件を知るドノーグは、口角を上げたまま「当然だ!」と返事をして頷いた。


「テメエを一対一の決闘でボコボコにする! めちゃくちゃ簡単な条件だよなぁ? んなもん、ゴブリン一体を探し出して倒すよりも楽勝だぜ!」

「ふふ、お分かりでしたら話が早いですわ」


 ダメだ、このままではアリーヌ様が酷い目に遭ってしまう。

 止めなければ、領民である自分たちがこの手で止めなければならない。


 二人の行方を見守る領民たちは、ただ傍観しているだけではなかった。

 ドノーグの魔手からアリーヌを守るために、一人、また一人と前へ出る。


「銀級一つ星の冒険者がなんだ! こちとら領民歴四十年の中年だぞ!」

「そうだ! アリーヌ様を傷付けようだなんて、百年早いんだよ!」

「そうだそうだ! おれたちの目が黒いうちは指先一つ触れさせないぞ!」

「わたしたちだっているわよ! 石ころぶつけてやるんだから!」


 ワイワイと集まり始めた領民たちは、あっという間にアリーヌとドノーグを取り囲んでしまう。絶対に逃がさないぞ、絶対にアリーヌ様を守ってみせるぞ、と言わんばかりの勢いを感じた。


「静まりなさい、可愛い可愛い我が子たち」


 だが、アリーヌは片手を上げて、それを制する。

 領民たちを「我が子」と称することで、一瞬で静寂を手に入れた。


「これはわたくしが決めたことなの。だからどうか見守っていてちょうだい」


 その台詞に、領民たちは心を打たれる。

 アリーヌを信じろ、と。アリーヌ自身から言われてしまっては、もはや一切手出しすることはできない。


 そんな領民たちの姿を一瞥した後、アリーヌは微笑む。

 それはこの場にいる全ての領民の心を掴むものだった。


 その実、これでようやく拳を交えることができるとほくそ笑んでいることは、アリーヌ自身を除いて気付く者は誰一人いなかった。


     【7】


「生憎、父は屋敷におりますので、代わりと言っては何ですが皆様に見届け人になっていただきましょう」


 当然だが、ここは決闘場ではない。ラングロア街の一角だ。

 決闘場でお留守番中のラングロア公爵には、二人の決闘を見届けることはできない。


 故に、提案する。

 そしてアリーヌは領民を巻き込んだ。


「が、頑張って下さいっ、アリーヌ様!」

「絶対に勝って……! 勝って下さい!!」

「もしもの時は、領民総出でそいつをボコしますから!」


 アリーヌは思った。

 ラングロア領の民たちは、こんなにも血気盛んだったのかと。


 しかし今、そんなことはどうでもいい。

 昨日に次いで二人目となる花婿候補との決闘が目前なのだ。


「一応言っとくが、俺様は手加減なんてしねえからな?」


 銀級一つ星冒険者のドノーグは、その手に巨大な斧を持っている。魔物退治する際の得物がそれなのだろう。

 もし、その標的が人間になったとすれば、その人物は無傷でいられるだろうか。


「……はぁ。御託は必要ないですわ。だから早く始めましょう」


 けれどもアリーヌは動じない。

 たった一振りで致命傷を与えるであろう巨大な斧を振り回されたとしても、これっぽっちも構わないと言いたげな表情をしている。


「そ、それでは……位置について! よーい……ドン!」

「おらあっ!! 先手必勝だぜっ!!」


 領民の締まらない掛け声と同時に、ドノーグが大股で駆け出す。


「死ねえっ!!」


 あっさりと距離を詰めたかと思えば、アリーヌの胴体を真っ二つにする勢いで斧を振り下ろしてみせた。だが、


「――ぐ、……は?」

「あら、貴方? 力はそこそこあるみたいですわね」


 言葉通り殺すつもりで振り下ろされた斧の刃を、アリーヌは右手の親指と人差し指で挟んで……否、摘まんで受け止めてみせた。


「なっ、……はっ!? う、うそ……だろ!?」

「でも残念ね。筋肉の使い方がいまいちですわ」


 ニコリと笑みを浮かべて、アリーヌが口を動かす。

 それはもう、嬉しそうな表情で……。


「だからほら、か弱いわたくしが相手だというのに、こんなにも簡単に得物を受け止めることができましたわ」

「ば、バカなっ!」

「それにしてもこの得物……随分と汚らしいですわね。手入れは毎日しているのかしら?」


 動かない。斧が全く動かない。

 ドノーグは手を抜いてなどいない。だというのに、全力で振り下ろしたはずの斧は、微動だにしない。


「それにその恰好……わたくし、強い殿方を条件に定めはしましたが、せめて身嗜みは整えて頂かないと」

「ふざ、ふっ、ふざけんじゃねえ! こんなことが……あってたまるか! テメエっ、何か魔法を使ってやがるな!? そうじゃねえと俺様の斧がテメエに届かねえはずが――」

「あっ、もう無理。口も臭い殿方には強制終了を命じますわ。それっ」

「――っっっひぎうっ」


 顔を近づけたことで、ドノーグの口臭が気になったのだろう。

 嫌悪感たっぷりに表情を歪めたアリーヌは、我慢できずに右手を軽く横に振る。


 瞬間、斧を持ったドノーグは強引に横へと振られて街路に激突する。昨日のアルバンに匹敵する速度と高度を保ちながら遠くまでぶっ飛ばされるようなことはなかったが、これはこれで戦意喪失ものだ。


「あらあら? 得物を手放すだなんて……その程度ではわたくしの殿方にはなれませんわよ? ……って、わたくしの話、聞いています?」


 街路に近づき、地面に転がるドノーグへと声を掛ける。

 しかし返事がない。ただの屍の……気絶しているようだ。


「――あ」


 ここでハッと周りを見渡す。

 アルバンの時は、まだ直接見られることはなかった。しかし今回は違う。


 領民たちの目の前で、己の強さを見せつける形となったアリーヌは、怖がらせてしまったかしらと肩を竦めた。当然、その心に後悔の二文字が欠片もないのが残念なのだが……。


「あ……アリーヌ様」

「すご、すごいぞ……」

「カッコいい……お綺麗なだけでなく、強さも兼ね備えているとは……」

「惚れ直しました……わたし、アリーヌ様に一生ついて行きます……!」


 少しずつ、恐る恐るではあるが、領民たちがアリーヌ許へと歩み寄る。

 そして口々にアリーヌの武功を讃え始めたではないか。


「アリーヌ様はアリーヌ様だ! たとえどんなに強かろうが、それはむしろ素晴らしいことじゃないか!」

「そうだ! アリーヌ様はおれたちの希望だ! その強さがあればラングロア領は一生安泰だ!」

「そうだそうだ! これからもアリーヌ様をお慕いするぞ!!」


 もはや止まらない。そして止めようとする者もいない。

 手首を軽く捻っただけで、銀級一つ星冒険者を気絶させたのだ。


 アリーヌの勇姿をその目に焼き付けた領民たちは、この日の出来事を一生忘れないだろう。


「ふふっ、結果が良ければ全て良し、ってことかしらね?」


 ……いえ、全然良くないですわね。


 表面上は優し気な笑みを浮かべて領民の声に応えるアリーヌだが、内心は未来の花婿が早く見つかりますように……と祈っているのであった。


     【8】


「……ふぅ」


 相変わらず暇ね、と思わずため息が出る。

 それもそのはず、ドノーグが街路に激突してから、既に一週間が過ぎていた。


「ねえ、お父様? もしかしてわたくし、殿方に人気が無いのかしら?」


 ふと感じた疑問を口にしてみる。

 するとラングロア公爵はこれまでと同じように頭を抱えながら口を開く。


「安心しろ、お前はどこにやっても恥ずかしくない立派な公爵令嬢だ。お前は断ってきたが、これまでにも数え切れないほどの縁談を持ってきただろう。それに、お茶会や夜会でもお前に言い寄る男は腐るほどいたはずだ」

「確かに……」


 言われてみればそうだった、とアリーヌは思い出す。

 しかし同時に疑問が増えもする。


「では何故、今わたくしはお父様と二人きりでのんびりとお茶をしているのでしょうか」


 殿方人気が無いわけではない。

 だとすれば、こんなにも暇なはずがない。もっと、毎日のように花婿候補が決闘場に足を運ぶはずだ。


 小首を傾げて父を見る。

 当然、ラングロア公爵は開いた口が塞がらないと言った様子でアリーヌを見ていた。


「お、お前が強すぎるのが問題なんだよっ!!」

「落ち着いてください、お父様。お茶が零れますわ。それに強いことは良いことだと思うのですが、違いますか?」

「お茶が零れるぐらいなんだ!」


 もう我慢ならんと言わんばかりの表情を作り込み、ラングロア公爵は席を立つ。


「腕っぷしが強いのは良いことだとも! だがな、それとこれとは話が別だ! アリーヌ、お前は本気で結婚相手を探す気があるのか!?」

「もちろんですわ」

「ならば! 少しは手加減したらどうなんだ!!」

「手加減……? ええ、していますけれど?」

「している? いやいや絶対してないだろう!」

「ほら、一度目の殿方……ええと、確か名前は……聖騎士さんでしたわね」

「アルバン! アルバン・インクラード! 聖騎士は職業で名前ではない! というか今一度目の殿方と言ったか!? アリーヌ、お前まさか私の目の届かないところで勝手に決闘していないよな!?」

「そうそう、アルバンさん。あの方と手合わせした時、わたくしはいつでも負けることができるように無防備な状態で待ち構えていました」

「話を逸らすんじゃない! 決闘場にはいつも私が居たから、外で決闘を行ったということだな!? 正直に答えるんだ!」

「ですが彼が手加減すると言うものですから、わたくしも同様に手加減して軽めのパンチを一つ当てるに留めましたわ」

「私の話を……って、あれが手加減だと!?」

「はい♡」

「その結果、見えなくなるほど遠くまでぶっ飛ばしたわけか?」

「その通りですわ♡」

「アホかーーーーーーー!」


 決闘場内にラングロア公爵の怒声が木霊する。

 その振動は凄まじく、テーブルの上に置かれたティーカップが震えて中身が零れてしまった。否、既に全部零れていたので被害は変わらないのが不幸中の幸いであった。


     【9】


「しかし困りましたわね……これでは一生、わたくしは独身……独り者かもしれませんわ」

「はあっ、はあっ、……はぁ、くそっ、……安心しろ。その点は心配無用だ」


 全く不安そうに見えない表情で不安を口にするアリーヌを安堵させるように、ラングロア公爵が口を挟む。


「この世には……恐らく、恐らく……お前よりも強い男が……いるはずだ。……たぶん」


 しかし何故だろうか。

 それはまるでラングロア公爵が自分自身に言い聞かせているようだった。


「あの、お父様? 随分と確実性に欠ける台詞ですけれど、そんなに不安ですか?」

「……ああ、そうだ! 不安だとも! 薄々感づいてはいたが、我が娘に勝てる男などこの世に存在しないのではないかとな!!」

「あらあら、それはさすがに言いすぎですわ。わたくし程度では歯が立たない殿方もきっといらっしゃるはずです。たとえば……ドラゴンとか?」

「もはや人ですらない!!」


 頭を抱えても天を仰いでも娘の腕っぷしが弱くなることはない。

 当然、弱いよりは強い方がいい。もしもの時、我が身を守るための武器となるのだから。


 しかしその武器が強すぎるのが問題だ。

 どうしてアリーヌは、世の男共が束になっても敵わないほどの強さを手に入れてしまったのか。育て方が完璧すぎたのだろうか。


「……とにかくだ!」


 あれこれ悩んで思考を巡らせるが、答えは出てこない。

 脱力感からその場に膝をつきそうになったが、ラングロア公爵はギリギリのところで踏ん張る。


「これまでは我がラングロア領土内で話題に上る程度であったが、昨日付けで王都にも御触れを出しておいた。だから恐らく……恐らく、数日も経てば王都から力自慢や魔力自慢の男たちがこぞって来るはずだ……たぶん」

「まあ! さすがですわ、お父様! わたくしの知らぬ間に王都にまで御触れを出して頂けていたとは……! これはわたくしも手加減なく全力で殿方のお相手をしなければなりませんわね!」

「手加減! 手加減しなさい! どうしてお前は同じ轍を自ら踏みに行こうとするのだ!」

「その方がわたくしも楽しいですので」

「――ッ!! お前の楽しみのために御触れを出したわけではない! 結婚相手を探すためだろうがっ!!」

「……ああ、そうでしたわね」

「アリーヌ! お前、今、確実に忘れていただろう!? まさかただ決闘をしたいだけではないよな!? 頼むから違うと言え! 言ってくれ!!」

「もちろん違いますわ、ええ、うふふ」

「くっ、我が娘のことを信じることができない……! 疑ってしまう私が憎い……ッ!!」


 どうすれば心の底からアリーヌを信じることができるのかと葛藤するラングロア公爵だが、心配するだけ時間の無駄であることは言うまでもない。


     【10】


「あのー、すみません! 決闘場はこちらで合ってますか?」

「――ッ!? 貴様ッ! 新手の花婿候補か!!」


 もはや結婚相手など探す意味も無いと僅かながらに思いつつあったラングロア公爵の許に、訪問者が現れた。


「あ……はい。そうです。ぼくはルトルと申します」


 ラングロア公爵の勢いに若干引き気味だが、その青年はルトルと名乗り、自己紹介を始めた。


「公爵領の山奥の村に住んでいまして、灰色狼の毛皮を売りに冒険者ギルドに立ち寄ったんですが、そこで公爵様の御触れを目にしまして……」

「山奥の村……なるほど、それは盲点だった。領土内の男たちの目に触れるようにと数百の御触れを出したが、山奥にも人が住んでいるということを失念していた……っ」

「数百? お父様、そんなにもたくさんの御触れを出したのですか?」

「当然だ! ようやく我が娘が結婚相手を探す気になったのだぞ? だとすれば、公爵家の力を最大限に発揮して最良の男を見つけ出すのが父である私の務めというものだろうが!」


 その務めとやらも、聖騎士アルバン・インクラードをグーパン一つでぶっ飛ばしたことで水の泡となったわけだが、後悔しても時は戻らない。


「あの、ぼくはこの通り平民です……貴族でもなければ、魔物退治を生業にする冒険者でもありません。こんなぼくでも、立候補とか……してもいいんでしょうか?」

「ええ、大歓迎ですわ!」


 ルトルの不安は一蹴された。

 此度の結婚相手探しには、参加条件は一つしかない。それはアリーヌと一対一で決闘を行い、勝つということだ。

 たとえ容姿に優れなくとも、たとえ平民であろうとも、たとえ性格が最悪だとしても、その全てに目を瞑る覚悟があった。


「さあ、こちらへどうぞ」


 転がったティーカップを置き直した後、アリーヌはルトルを案内する。

 決闘場の舞台へと上がった二人は、互いに向かい合った。


「ルトルさんは、腕に自信はおありかしら?」

「はい。村の中では一応、ぼくが一番強いと思います」

「そう? それなら楽しみですわね」


 ニコリと微笑む。

 その笑みを見て、ルトルもまた口元を緩める。


「それでは双方、準備は良いな?」


 一週間振りに花婿候補が来たので、ラングロア公爵は胃の痛みが少しだけ和らいだ。

 願わくは、このままアリーヌが怪我をせずに敗北し、丸く収まることを祈るのみなのだが、当然そう簡単に話が進むはずもなく。


「あの、その前に一つ……確認させて下さい」

「何だ、申してみよ」

「えっと……ぼくが勝ったら、本当にアリーヌ様はぼくと結婚してくれるんですよね?」

「ええ、もちろんですわ。そういう条件ですもの」


 何を今更と、アリーヌが言葉を返す。

 すると、ルトルは胸を撫で下ろし、ホッと一息吐いてみせた。


「その言葉を聞いて安心しました。よし、頑張るぞ……!」

「ふむ、その心意気や良し。後は貴様の腕っぷしが我が娘を上回るか否かの問題だな」

「はい! この勝負に……アリーヌさんに勝って、五人目の奥さんを作ってみせます!」

「うむ、我が娘を五人目の奥さんにして……って、……ん?」


 頷き肯定していたラングロア公爵だったが、その途中で思わず反応する。

 当然、それはアリーヌも例外ではない。


「……ルトルさん? 今、なんと仰ったのかしら?」

「はい?」

「わたくしの聞き間違いでなければいいのだけれど……確か、五人目の奥さんがどうとか聞こえたのですが……」

「ああ、はい! そうです!」


 アリーヌが疑問を口にする。

 と同時に、ルトルは明るい声で肯定してみせた。


「ぼく、奥さんが四人います。実はぼくの村では一夫多妻制なんですよ。だからアリーヌさんに勝つことができれば、五人目の奥さんをゲット! ってことになりますね!」

「一夫多妻制……そう、ふふ……そういうことだったのね」


 それはもうあっさりと疑問が解決する。

 そのおかげか否かは不明だが、アリーヌは優しく微笑んだ後、ゆっくりと両手に握り拳を作ってみせた。


「あぁ、楽しみですわ。ルトルさんと拳を交えるのが……」

「ぼくもです! 早くアリーヌ様を村に連れて行きたぐへあっっっっぅぅぅ!!」


 それはまさに一瞬の出来事だった。


 アリーヌが握った両拳がルトルを捉える間もなく、先手を切った人物がいた。

 その人物とはもちろん、ラングロア公爵だ。


「貴様のようなゴミクズに娘はやらんわッッッ!!」


 貴族にあるまじき行為だが、ラングロア公爵は中指を立てて「死ねボケ! クズが!」と何度も連呼し、既に姿形も見えなくなるほど遥か彼方へとぶっ飛ばされたルトルに向けて罵声を浴びせ続けている。


「……お父様。わたくし、一つ確信しました」


 そして、そんな父の姿を瞳に映すアリーヌは、優し気な表情を崩さずにそっと呟く。


「わたくし、お父様の血を受け継いでいますわ……ええ、それはもう色濃く」


     【11】


 一夫多妻制のルトルをラングロア公爵がぶっ飛ばした日から、既に半月が流れようとしていた。


 今日も今日とて決闘場の隅で二人限定のお茶会を開いて寛ぐアリーヌと、死んだ魚のような目をするラングロア公爵の姿がそこにはあった。


「はぁ、不思議ですわ」

「……何がだ」

「どうして、殿方が足を運んで下さらないのでしょう?」

「……そうだな」

「お父様、それは返事になっていませんわ。何とか仰って下さい」

「……そうだな」


 その疑問の答えなら、私の方が聞きたいよ、とラングロア公爵は頭の中で叫んだ。

 もはや壊れた人形のように同じ台詞を繰り返してしまうが、このままでは全てにおいて良くない方向へと進んでしまう。何か打開策を考えなければならない。


 先日、領土内から王都へと御触れの範囲を広げたというのに、花婿候補は一向に姿を現さない。どうやら既にアリーヌの噂が王都まで伝わっているらしい。故に、立候補=死を意味すると考えているのだろう。


 ラングロア公爵は妙案が無いものかと頭を捻るが、しかしながら何も思い浮かぶことはなかった。


「もう日も暮れましたし、今日のお茶会はこれでお終いにしようかしら」

「お茶会ではなくて決闘場を開いているのだがな、もう訂正する気も失せてきたぞ……」


 ため息を吐いたのは何度目だろうか。

 ラングロア公爵は本日数え忘れたため息を吐いた後、席を立つ。とそこに……。


「――失礼いたします!」


 アリーヌとラングロア公爵の他にいなかったはずの決闘場に、第三の声が響いた。


「あら? 貴方は確か……聖騎士さんですわね!」

「アルバンです! ラングロア領第一聖騎士部隊所属の、アルバン・インクラードです!」

「あぁ、そうでしたわ。聖騎士をしているアルバンさんでしたわね」


 顔に見覚えはあったが、やはり名前を憶えてはいなかった。

 アルバン本人に指摘されることで、アリーヌはようやく思い出す。


「それで……アルバンさん? 今日はどういった御用件かしら?」


 決闘場へと足を運び、アリーヌの許を尋ねに来たのだ。

 理由は明白だろう。


「はい! 再挑戦をお許し頂きたく、馳せ参じました!」


 あの日、あまりにも遠くへとぶっ飛ばされたのだろう。

 この地へと戻ってくるのに、今の今までかかっていたとしても不思議ではない。


 そして今、アルバンは訊ねた。

 再挑戦は可能なのかと。


「再挑戦……それはつまり、わたくしとの決闘を……ということですか?」

「はい、その通りです!」

「な、なんと……それは真か!!」


 ラングロア公爵は、思わず声が漏れてしまった。

 栄えある一番手であり、同時にアリーヌの腕っぷしの強さを世に知らしめることとなった張本人であるアルバンだが、なんと再挑戦を求めてきた。


「その心意気や、良し!! アルバンよ、貴様はなかなか見どころのある男ではないか!」


 グーパン一つでアリーヌとの力量を強引に理解する羽目になったはずだが、それでも諦めず、再び決闘場へと舞い戻ってきたのだ。


「どうだ、アリーヌよ? 一度はお前に敗れた男だが、もう一度チャンスを与えてやるのも悪くないと思うが?」


 唯一の問題は、アリーヌ自身が許可するか否かだ。

 一度、グーパン一つで返り討ちにした相手である。再挑戦しても無駄だと一蹴するかもしれない。


 だが、アリーヌは空気を読んだ。

 否、空気を読んだのではなく、己の欲望に忠実であり続けた。


「もちろん、構いませんわ。わたくしはいつでも迎え撃つ……受け入れる準備ができていますもの♡」


 当然のことながら、アリーヌは即答する。

 その口元は緩み、嬉しくてたまらないといった様子であった。


     【12】


「前回、私は油断していました。まさかアリーヌ様があれほどのお強さとは思いもしませんでしたので……」


 グーパン一つ。

 たったそれだけで、アルバンは決闘場から遥か彼方へとぶっ飛ばされた日のことを思い返す。


「ご無事で何よりですわ」

「手加減……して頂きましたから」


 怪我は負ったが、重傷ではない。

 アルバンは聖騎士の一人であり、実力も申し分なかった。


 確かにグーパン一つで返り討ちには遭ったが、それで人生が終わるほどやわではない。

 故に、今ここに参上したわけだ。


「手加減をして頂いたというのに……私はアリーヌ様との力量の差を見誤り、あろうことか手加減しようと不用意に近づきすぎました」


 お姫様抱っこしたまま、場外へと運ぶ。それがあの時アルバンの考えた策だった。

 当然、それは失敗に終わるのだが、当時のアルバンはそれが最も有効な策だと信じて疑わなかった。


「ですが、同じ過ちを繰り返したりはしません」


 キリっと前を向き、アリーヌと目を合わせる。

 前回の時とは比べ物にならないほどの気迫を感じるのは、決して気のせいではない。


「私は今日、貴女との決闘に勝利し、今度こそ……アリーヌ・ラングロア公爵令嬢! 貴女様を妻としてみせます!!」


 堂々と宣言する。

 声に震えはない。その表情には怯えも一切見当たらない。

 グーパンを直に味わったにもかかわらず、二度目の決闘に挑み、本気で勝つつもりでいる。


「良いわ、頑張って下さい。その方がわたくしの気持ちも昂るというものですわ」


 一度目は詰まらなかった。だが二度目は違う。

 今回は楽しませてくれそうだ、とアリーヌは口の端を上げた。


「お父様、合図をお願いしますわ」

「うむ! それでは双方、構えよ」


 前回と異なる点が、既に一つ。

 あの時、剣を床に置いたアルバンだが、今回は両手で握り構えている。


 手加減はしない。

 もちろん、油断もしない。


 その言葉に嘘偽りはないようだ。

 それがアリーヌは嬉しくてたまらなかった。


「――始め!!」


 決闘場に声が響く。それはラングロア公爵の声だ。

 と同時に、先手必勝とばかりにアルバンが地を思い切り蹴り上げ、一気に距離を詰める。


「ハアッ!!」


 だが、ゼロ距離まで詰めることはしない。

 一定の距離まで近づくと、左右にフェイントを入れてその場で飛び上がってみせた。そして重力と共にアリーヌ目掛けて剣を振り下ろす。


「――っ」


 ドノーグの斧を右手の親指と人差し指で摘まんでみせたように、振り下ろされるアルバンの長剣を瞳に捉える。

 しかし、アリーヌは寸でのところで考えを改め、新たな選択肢を取る。


 なんと、あのアリーヌが体を横にずらしてアルバンの一太刀を躱してみせた。


「くっ、……やはり避けられてしまいましたか」


 悔しそうに表情を歪め、けれども再び距離を取って剣を構える。

 一方のアリーヌはというと、実に楽しそうな表情を浮かべていた。


「ふうん……これが貴方の本気なのね?」

「はい。貴女と比べると全てにおいて劣っているのが情けないですがね」

「そんなことはないわ」


 謙遜しなくてもいい、と。

 アリーヌはアルバンの本気を讃える。


「素晴らしい魔法を使うのね?」

「……っ」

「それ、付与魔法よね? 受け止めなくて正解でしたわ」


 何時ぞやの斧のように指で摘まんでいれば、アリーヌの指は飛んでいたかもしれない。


「こ、この僅かな時間で全てを理解なさるとは……さすがはアリーヌ様です」


 アルバンは肯定する。

 長剣には金属強化魔法が付与されており、そんじょそこらの金属であれば容易く斬り落とすことができるようになっていた。それはまるで、豆腐を包丁で切るかのように滑らかにあっさりと……。


「少しは貴女を焦らせることができたみたいでホッとしました」

「焦る……? あら、わたくしがいつ、焦ったと?」


 アルバンの台詞を耳にして、アリーヌはキョトンと目を丸くする。


「咄嗟の判断で避けましたよね? つまり、私の剣技に焦りを見せたと思ったのですが……」

「ふふっ、アルバンさんには、わたくしが焦ったように見えたのですね?」


 くつくつと喉を鳴らし、アリーヌは目元を緩める。

 その姿は圧倒的無防備であったが、アルバンには隙があるようには全く見えない。


 すると、アリーヌは一言、たった一言、口にする。


「二点、ですわ」

「……は? ……に、二点とは、何のことですか?」


 言葉の意味が分からず、アルバンが訊ねる。

 すると更に一言、アリーヌが呟く。


「今日の貴方の採点結果ですわ」


 その一言は、アルバンの心を間違いなく折りにかかっていた。


     【13】


「前回よりも二点、高くして差し上げますわ」

「に、二点……本気を出した私が、たったの二点……」


 耳を疑う評価を受け、アルバンは唖然としている。

 ラングロア領第一聖騎士部隊に所属し、実力を兼ね備えた若き有望株のアルバンだが、このような低い評価を受けたことは今までに一度だってない。


 これは間違いなく不当な評価だ。

 もちろん、その相手がアリーヌでなければの話だが……。


「……いや、前回よりはということは……あの、一度目は……」

「え? ああ、ゼロ点ですわ」

「ぜっ」


 本気を出した今回が二点で、手加減して返り討ちに遭った前回がゼロ点。

 その言葉を聞いた時、アルバンは顔が真っ赤になるのを感じた。


「だって貴方、飛んで行ったじゃない? あっちの方角に、ぴゅーんって」

「――ッ、っっっ! 違う! あれは油断していただけで! 本気ではありませんでした!」

「ええ、だから言っているでしょう? その結果がゼロ点なのだと」

「本当の私はもっと……! もっと、……もっとつよ……ッ!」

「もっと、何かしら?」


 金属強化魔法を付与した長剣を無我夢中で振り回すが、その全てをいとも容易く躱されてしまう。どれほど繰り返しても全く当たる気配がない。


「つっ、つよ……もっと私は強いはず! そう思っていたのに……!!」


 これがアルバンの現在の力量であり、アリーヌとの差だ。

 決して埋めることのできない圧倒的な差なのだ。


「驕りね」


 一言返し、アリーヌが動きを止める。

 アルバンが長剣を振り抜き、今度こそ標的を捉えるかに思えたが、それは不可能なことだった。


「――なっ!?」


 剣撃が停止する。

 アリーヌの右手の人差し指と中指の間に挟まった長剣はビクともしない。


「う……受け止められないはずでは……ハッ!?」


 金属強化魔法によって強化された長剣だからこそ、今の今までアリーヌは避け続けた。

 だというのに何故、急に受け止めることができるようになったのか。アルバンは気付く。


「……ゆ、指に、魔力が……っ!!」

「一人で気付くことができたのね? プラス一点差し上げますわ」


 アリーヌの人差し指と中指に魔力が集められている。

 それは魔法ではない。ただ単に、アリーヌが持つ魔力を集めただけだ。

 しかしながら、アルバンの長剣を受け止めるにはそれだけで十分であった。


「――ッ!! 剣が……折れ、……っ」


 右の手首を軽く捻る。

 すると、指で挟んでいた長剣が細い木の枝のようにポッキリと折れてしまった。


「き、金属強化魔法を付与しているのに……折れるだなんて……」


 信じられないものを見てしまった。

 そんな表情を浮かべるアルバンだが、僅か数秒で我に返る。そして悟った。


 アルバン・インクラードにとって、それは確かに金属強化魔法だったのかもしれない。

 だが同時に、早い段階から理解するべきだった。


 それを付与した得物を向ける相手というのが、アリーヌ・ラングロア公爵令嬢であることに。


「……っ、か、……完敗、私の……負けです!」


 力なくその場に両膝を付き、首を垂れる。

 得物を失くしたアルバンは、己の敗北を認めた。


「聖騎士のアルバンさん……でしたわね? 二度目の貴方はとても素晴らしく、わたくしの心を躍らせて下さりましたわ」

「そう思って頂けたのでしたら、私としても恐悦至極です」

「ええ。ですからこれに懲りず三度目の挑戦もお待ちしておりますわね」


 天使の如く微笑み、手を差し伸べる。

 その手を迷いなく掴み、すっくと立ち上がると、アルバンはスッキリとした表情を浮かべたまま首を横に振る。


「いえ、もういいです」

「……はい? 今、なんと仰いましたか?」

「もう諦めました」


 それはもう、澱みのない言い方だ。

 だがそれも仕方のないことと言えるだろう。


 表情から察することは不可能に近いが、アルバンの心は既に折れていた。


「二度にわたり、良い夢を見させて頂いたこと、感謝いたします。それでは、任務がありますので!」


 床に転がる長剣を回収し、アリーヌとラングロア公爵に対して敬礼してみせる。

 それからすぐに踵を返し、アルバンは決闘場をあとにした。


 淑女らしく、優しく手を振ってその背中を見送った後、アリーヌはラングロア公爵とのお茶会を再開する。

 しかし思うところがあったのだろう。ふと、アリーヌは口を動かす。

 言葉を交わす相手はもちろん、父ラングロア公爵だ。


「お父様」

「……なんだ」

「わたくし、やっぱり結婚は無理な気がします」


 そう言って、肩を竦めながらもアリーヌは紅茶を一口。

 けれどもその顔に落胆は見当たらず、今日という一日に満足したかのような表情を浮かべていた。


     【14】


 御触れを出してから一か月が経過した。

 アリーヌの父ラングロア公爵は、日課の如く決闘場へと足を運び、花婿候補を出迎える準備を整える。大事な娘を託す男を探すのだから、他人任せではいられない故の行動だった。


 だが、そんなラングロア公爵も、薄々気づいている。

 否、既に諦めている。アリーヌの花婿を見つけ出すことを……。


 この一か月間、ここでアリーヌと拳を交えた花婿候補は、たったの一人。

 山奥の村のルトルはラングロア公爵が直々にぶっ飛ばしてしまったし、ドノーグは町中で決闘を行っているし、真面目に参加したのはアルバンただ一人なのだ。


 ……何故、誰も来ない。

 否、これも否。何故ではない。何故と言ってはならない。


 お願いだから、誰か来てくれ。

 そして願わくは、アリーヌと同程度の腕自慢であってくれ。


 夢物語のようなことを願いつつ、ラングロア公爵は悪戯に過ぎゆく時間を恨めしく思っていった。

 その一方、当の本人はというと……。


「――ハッ、――ハイッ!」


 目にも留まらぬ速度で両拳を交互に突き出す。

 その風圧で決闘場の壁が軋む音が聞こえてくるほどだ。


「我が娘よ……今以上に己の拳を鍛えてどうするのだ……」

「それはもちろん、いつか訪れるであろう殿方に不足を取らないためですわ、お父様」

「頼む……! 頼むから不足を取ってくれ!」


 その願いが聞き届けられる日は果たして来るのだろうか。

 もはや決闘場とは名ばかりの親子のお茶会開催場と化した空間に、アリーヌが放つ拳による鍛錬の音だけが、空しく響いていた。


 と、そんな時のことだった。


「――ッ!?」

「あら? これは……」


 アリーヌとラングロア公爵が二人揃って同じ場所へと目を向ける。

 気配を察したのだ。それも異様で異常とも言える気配を……。


「……それ、御触れ書の掲示板ですわね」


 決闘場に姿を現したのは、長身の男だった。

 アリーヌの言葉通り、その男は御触れが書かれた板を引っこ抜き、ここまで運んできたのだろう。

 板を地面に置くと、礼儀正しく首を垂れて口を開く。


「レドラだ」


 名乗り、レドラは二人の姿を瞳に捉える。

 かと思えば、地面に置いた御触れへと視線を落とす。


「これを目にした時から、ずっと、来るべきか迷っていた……だが、おれは己の気持ちに、正直になることにした……故に問う。これはまだ……有効か」


 レドラが訊ねる。

 それはつまり、御触れに書かれた内容は継続中か否かを知りたいのだろう。


「……ええ。ええ、もちろんですわ!」


 当然、アリーヌは肯定する。

 そして同時に胸の鼓動が高鳴るのを感じた。


「お父様っ、お父様! 久方振りの殿方です! さあ早く! 見届け人としての役目をお願いいたしますわ!」


 意気揚々と決闘の開始を求める娘を尻目に、ラングロア公爵はレドラを一瞥する。

 それから険しい表情を作り込み、一言訊ねる。


「――貴様は“何”だ?」


 ……と。


     【15】


「……ただの流浪人だ」

「流浪人……貴様が?」


 ラングロア公爵は目を細め、レドラを注意深く観察する。

 その態度に対し、レドラは少しだけ視線を下げ、力なく訊ねる。


「おれには……立候補する権利は無いか」

「……いや、構わん」


 アリーヌが許可しても、父であるラングロア公爵が認めなければ結婚などすることはできない。そのことをレドラも理解しているのだろう。

 しかしながら、ラングロア公爵は否定する。


「我が娘が決めたことだ……故に、思う存分戦え、そして我が娘を己が手中に収めて見せるがいい」


 決して止めることはない。

 たとえ花婿候補が何者であろうとも、そして何であろうとも、アリーヌが決めたことなのだ。父である自分は、それに従うのみ。

 ラングロア公爵は、得体の知れない男を前にしてなお、アリーヌの気持ちを優先させた。


「双方、構えよ!」


 閑古鳥が鳴いていた決闘場に緊張が走る。

 ラングロア公爵の合図を聞き、アリーヌとレドラが指定の位置に立つ。


「レドラさん、貴方と拳を交えられる機会に心から感謝しますわ」

「それにはおれも同意見だ」


 互いに声を掛け合い、意思を確認する。

 手加減無用、遠慮は無礼だ。この場ですべきことは、全力を以って叩きのめすこと。ただそれだけである。


「――ハジメッ!!」


 決闘開始の声が響く。

 まず動いたのは、驚くべきことにアリーヌの方だった。


「さあ、行きますわよ! ――ハアッ!!」


 魔法を一切使わず、己の身体能力のみで地を駆けるアリーヌは、挨拶代わりとばかりに例のグーパンを繰り出した。


 が、止まる。

 レドラがアリーヌのグーパンを両手で受け止めてみせる。


「あ、アハッ!」


 同時に思わず歓喜の声が漏れた。

 それはもちろん、アリーヌの声だ。


「こんなの初めてですわ! わたくしの一撃を優しく包み込んで下さった殿方は!! というわけでもう一発! ソレッ!!」

「ぐっ、それは光栄だな……だが、なんと重い一撃だ。このおれでは、何度も受け止めることはできそうにないな」


 初の体験に笑みを絶やさないアリーヌは、何度も何度もグーパンを撃ち続ける。

 そしてそれを躱すことなく受け止め続けるレドラの構図の中、アリーヌは一つ提案を口にする。


「では本気を出されては如何かしら?」

「……本気だと?」

「はい♡」


 言いつつもグーパンし、レドラを苦悶の表情へと仕立て上げていく。

 だが、レドラは一旦距離を取って息を整える。それから眉を潜めてアリーヌと目を合わせた。


「おれが本気ではないと、何故思う」

「だって貴方、その姿では戦い難いのではなくて?」

「っ!?」


 アリーヌの指摘を受け、レドラは目を見開いた。

 更に離れて距離を取ると、重心を低くして身構える。


「……気付いて、いたのか?」

「ええ、当然ですわ。ほら、父も」

「っ? ……ふっ、くくく、なるほどな……さすがはラングロア公爵家だ」


 アリーヌとラングロア公爵の二人は、レドラが何者かではないことに気付いていた。

 では、レドラが“何”なのか、残念ながら、その正体までは掴めない。


 しかしだからこそ、アリーヌは血沸き肉躍る。

 この決闘が楽しくて楽しくたまらなかった。


「いいだろう……ではお言葉に甘えて、おれの本来の姿を見せようではないか」

「「――ッ!!」」


 レドラが、その身を変化させる。

 人型から本来の姿に……血よりも赤黒い無数の鱗に身を纏った竜の姿へと……。


「レッド……ドラゴン……ッ!!」


 ラングロア公爵が声を漏らす。

 その言葉の通り、レドラの正体は竜種――レッドドラゴンであった。


「それが……貴方の本来の姿なのですね?」

「否、更に大型だ」

「では、まだ本気を出すつもりはないということかしら?」

「それも否、そもそも真の姿では此処が持たないものでな」


 巨大なレッドドラゴンには、決闘場など小さすぎて動き辛いことこの上ない。

 故に、今の姿に落ち着いたのだ。


「この大きさが一対一では戦い易くもある」

「なるほど、そういうことでしたのね? 安心しましたわ」

「故に、アリーヌも本気で来い。おれはその全てを受け止めてみせよう」

「っ、ではわたくしもレドラさんのお言葉に甘えさせて頂きますわね?」

「――ッ!?」


 一応、許可を取る。

 相手がレッドドラゴンであれば、それも可能かもしれないと。


 しかしだ、アリーヌは失念していた。

 生まれてこの方、ただの一度さえも、全力のグーパンを放ったことがないということを。


「そ、その魔力は……! まさか、そんなにつよ……人間が……ッ!!」

「じゃあ、行きますわね♡ ハアッ!!」

「ぐっっっっっっっっ」


 一撃ではない。

 連打、連打、連打。アリーヌの本気のグーパンが、連打で襲い掛かる。


 二十発か、それより一、二発多いぐらいか。

 グーパンを受け止め続けたレドラが、遂に限界を迎えて地に背を付けてしまう。


 連打が止み、アリーヌが地を見下ろす。

 そこに仰向けで倒れるレドラと目が合うと、嬉しそうに笑った。

 そしてその笑顔を見たレドラは、ゆっくりと息を吐き、堪忍したように言葉を紡ぐ。


「……おれの負けだ」


 いつの間にか、レドラは人型に戻っていた。その方が言葉を交わし易いのだ。

 悔しそうな表情を浮かべてはいるが、同時に全力を出したことで満足もしていた。


「起き上がることはできるかしら?」

「……ああ、ギリギリな」


 アリーヌが手を差し伸べると、レドラはその手を掴んで上体を起こす。

 そして互いの健闘を讃え合う。


 だが、これで終わりではない。


「お父様、わたくし決めましたわ」

「? 何をだ」


 アリーヌは視線を彷徨わせると、父ラングロア公爵を見つけて口を開く。

 それからすぐに、思いもよらない台詞を口にする。


「わたくし、この殿方と……レドラさんと結婚いたします」

「「――ッ!?」」


 その台詞に耳にしたラングロア公爵とレドラは、驚いた表情を浮かべる。


「正気か? ……相手は、竜だぞ?」

「はい」

「いやいや、その前に……アリーヌよ、お前に負けたではないか?」


 対戦を許可した時点で、ラングロア公爵はレドラのことを花婿候補として認めている。

 だが、それとこれとは話が別だ。勝たなければアリーヌと結婚することはできない。


「はい、ですからもっと強くなって頂きます」


 すると、アリーヌはにこやかな表情で返事をする。


「……は? 強く……だと?」

「そもそも、お父様はわたくしが結婚しようと思った理由をご存じですか?」

「理由……? け、結婚したくなったから……いや違うな、戦いたいからか?」

「失礼ですわね。わたくしはそんな野蛮ではありませんわ」


 どの口が……と言いかけたが、寸でのところでラングロア公爵は耐えた。

 耐え抜いてみせた。


「わたくし、幼い頃に読んだ絵本に出てくる白馬に乗った王子様に憧れていましたの」

「白馬の王子様に……?」

「はい♡ いつかきっと、ドラゴンよりも強い白馬に乗った王子様が迎えに来て下さると思っていましたわ。でも、待っているだけではダメだと悟りましたので、行動に移したのです」


 その結果が、一対一の決闘というわけだ。

 結婚の条件が異常すぎるのが難点だが、夢見る公爵令嬢としては可愛らしいものと言えるだろう。しかし、


「でも、白馬に乗った王子様が迎えに来る前に……わたくし、自分の手でドラゴンを倒してしまいました」


 それもただのドラゴンではない。

 竜種の中でも上位種のレッドドラゴンだ。ただのドラゴンなど比較にならない。


「つまりアレです。ドラゴンを自力で倒せるわたくしには、白馬に乗った王子様なんて最初から必要なかったということですわ」

「……では、今までの苦労は水の泡だということか?」


 ラングロア公爵が疑問を口にする。

 それに対し、アリーヌは「いいえ」と否定する。


「わたくし、個人的にレドラさんのことが気に入りましたわ。だってほら、わたくしの全力のグーパン連打を、その身で受け止めて下さったでしょう? こんなことは生まれて初めてでしたし、その……わたくし、そんなレドラさんの姿を見て、惚れてしまいましたの」

「惚れ……た、だと? お前が……アリーヌ、お前が……それは事実か? 事実なのだな?」

「はい♡」

「だから……もっと、強くなれと……?」

「はい♡ そしていつの日か、わたくしよりも強くなって頂けた時には、今度こそ……」


 そう言って、アリーヌはレドラの耳元で囁く。


「わたくしを、貴方様の妻にして下さい」

「――承知した」


     ※


 アリーヌの許に、白馬に乗った王子様は終ぞ姿を見せることはなかった。

 だがその代わりと言っては何だが、同じく絵本に登場する人物――否、ドラゴンとの出会いを果たすことができた。


 これが、ラングロア公爵家と竜族の物語の始まりとなるのだが、それを知る者はごく僅かしかいない。


「我が娘と竜族の間に子が産まれたら……」


 そのうちの一人であるラングロア公爵は、決闘場の隅で一人紅茶を堪能しつつ、まるで愚痴を吐くように、ぼそりと独り言を呟いた。


「……まずは、力の使い方を教え込まなければならないな」


 はあ、と深いため息を吐く。

 ラングロア公爵は、既に新たな問題に直面し、頭を抱えているのであった。


(了)


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― 新着の感想 ―
[良い点] クッソ強くて草w 勢いあって面白かったです。
[一言] レドラを王子様に仕立て上げれば完璧では?
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