八
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大統領が大水槽の下迄進み、頭上の水槽を見上げている時、クラウンの表情に緊張が走った。同時にスクリーンの画像に乱れが生じる。
〈クラウンさん、如何しましたか?〉神田が訊くと、クラウンは張り詰めた調子で〈大統領の周りに、幻覚エネルギーの様なものが集まっている様です〉と答えた。
一同にも緊張が走った。知佳が改めて周囲の心をスキャンするが、異変は見つからない。クラウンが続ける。
〈未だ判然とは判らないですが、幻覚能力を持つ敵が攻撃を仕掛けているのかも知れない〉
クラウンの言葉が終わる前に、強大な幻覚場が大統領の周囲に迫って来た。
〈来たか!〉クラウンが構える。
〈私が大統領を!〉蓮が能力を使おうとしたが、即座にクラウンが制止した。〈アカン、今テレポートは!〉
不服そうにクラウンを見上げた蓮を、クラウンは振り向きもせずに、〈この幻覚場ん中で下手にテレポートしたら、バラッバラにちぎれ飛ぶで!〉
蓮はその言葉に一歩後退り、みるみる蒼褪めていった。〈じゃあ、どうすれば〉
クラウンは苛立たし気に〈ちょっと黙っててくれへん、何とか〉と云った瞬間、ぐらりとバランスを崩して片膝を付いた。神田がユウキに目配せをする。ユウキは直ぐにクラウンの腰に手を当て、気を流し込んだ。
〈おお、ユウキか。すまんな〉再び立ち上がると、むん、と気合を入れた。
世界が反転した。
白は黒になり、陰は陽になり、天は地になり、内は外になり、己の内側へどんどん落ちて行く感覚と、宇宙空間へ放り出される感覚が同時に襲来し、知佳が気を失いそうになった刹那、世界が正常に戻る。
〈これがドリーマーの戦い……大迷惑ね〉蓮は片手で額を抑えた儘、ふらふらと蹌踉けた。
世界が再び安定した後、一同は周囲を確認した。何事も無かったかの様に、大統領はその場に居た。
〈無事で何よりです〉神田がほっとした様に呟く。〈然しこれで、我々の存在は確実に、相手にも認識されたでしょうね〉
〈今後は直接此方に攻撃を仕掛けて来る可能性も、視野に入れておく必要がありますね〉クラウンも応じる。
一同は周囲に注意を向けつゝ、大統領の監視を続ける。
〈この行程自体、何か黒い意図がある様な気がしませんか?〉神田が誰にともなく云った。
クラウンがそれを受けて、〈そうですね。館内が入り組んでいて、襲撃にはもってこいだと思いますよ。早く此処から出てくれないかな〉
そもそも大統領は、水族館なんかに長居する気はないようである。案内係の女性の話をにこやかに聞いて、水槽の方に視線を向けてはいるが、焦点は魚になど合っていないようだし、胸の前で腕を組んで、左の人差し指が肘の辺りをトントンと苛立たし気に叩いている。
大水槽を通り過ぎて深海魚の展示室へと進むと、一気に照明が暗くなる。大統領達に遅れて薄暗い展示室に入ると、足元から怪しい音が響いて来た。大統領が行く先の小さな水槽の中で、黒い触手の様な物がうねり、魚達が騒然としている。
〈なんやあれは……〉クラウンが絶句している。
大統領は展示室を抜け、美ら海水族館の出口へと近づいてゆく。余程水族館が気に入らないのか、歩みを早め、出口へと急いでいる様子だった。水槽の中の異物になど気付く気配もない。
一行は距離を取りながら後を追いつゝ、水槽の異変に注意を向けていた。中のモノが出て来ようとしているが、水族館の水槽はそれ程柔ではない。神田達がその水槽前に至った所で、知佳が歩みを止めた。
〈ダメだよ……無理だから、諦めて〉そのモノに向けた知佳の言葉がテレパス場に響き渡ると同時に、何者かの思念が一斉に流れ込んできた。
〈ダレダ、オマエタチハ……ワレワレノジャマヲスルナ〉
水槽の中のモノが水槽の内側表面に張り付いた。
〈来る!〉クラウンが警告を発すると同時に、その得体の知れないモノはアクリルガラスにじわじわと浸透してゆき、その一片が此方側に出て来た。ガラスには罅一つ入っていない。
〈分子間の隙間を擦り抜けて来たのか!〉
〈神田っちの説明はいつも訳解んない!〉蓮がそう云いながら、水槽の中の本体を何処かへテレポートさせた。此方側に出掛けていた部分だけが取り残され、床にポトリと落ちる。それは液体のようにジワリと広がって行き、次第に床に浸み込む様にして、消えた。その様を見届けてから、一行は展示室を後にした。
クラウンも知佳も、神経を張り巡らせながら慎重に監視を続けているが、大統領が出口へ向かう間、特に目立った異変は起きなかった。外に出ると、大統領専用車が正面に停まって、主の来るのを待機していた。そして大統領が公用車に乗り込もうとした刹那、時が止まった。
静止した世界で、神田達五人だけが普通に行動出来ていた。
「なにこれ、どう云うこと?」出口を出た処で、状況を認識した蓮が思わず声を挙げる。
「誰かが時間停止したみたい。でも僕等には効かないよ」ユウキが得意気に云った時、
〈ミツケタ〉
遥か上空で不穏な気配がした。同時に世界が闇に染まる。一同が見上げると、其処には蓮がテレポートで排除した筈の、例のモノが浮かんでいた。いつの間にか大きな一ツ目が出現して、一行を見下ろしている。
「やだ、なにあれ、巨大化してない?」時間が止まっているので、遠慮なく声を出している。
「蓮、遠くに飛ばしたんじゃなかったの?」
「もちろん、ハワイぐらい迄吹き飛ばした心算だったけど……」
「意味なかったってか!」クラウンが身構える。
〈オマエラハ、ヤハリ、トメラレナイカ〉
「ユウキっちゅう優秀な能力者がおんねん、小細工は通用せぇへんで!」
ユウキは照れ臭そうに含羞んだ。「いや……余裕やな!」クラウンは思わずツッコむ。
そんな惚けた遣り取り等は全く意に介さぬ様子で、一ツ目が瞬きをしたその刹那、激しい雷撃が一同を襲う。
「うわぁ!」「きゃあ!」思わず叫び声が上がるが、攻撃を受けた割にはどこも痛くも痒くもない。
「あれ?」振り返るとユウキが踏ん張っていた。
「ユウ、あんたバリアも張れるんだ?」蓮が感心した様に云う。
「物理攻撃も、時間停止みたいな状態異常も、防御出来るよ、ヒーラーだからね」
「ヒーラーの範疇越えてない?」蓮のツッコミはいつにも増して嬉しそうである。
一ツ目の視線が大統領に向く。
「まずい!」ユウキが大統領にバリアを張るのが一瞬早かった。雷撃は今回も空振りとなった。
「然し弱ったな。防御は出来ても事態の打開には繋がらない……」
神田が真剣に困っているのを見て、クラウンは助言めいた事を云ってみた。
「神田さん、考えてみぃ。こんな強力なもん持ってるのに何で最初から使わんかったのか。なんで最終手段迄温存しとったんか」
「そうか……そうですね。それが答えか」神田は部下のアドバイスを素直に聞き入れると、静かに顔を上げた。「恐らくこの敵には、致命的で決定的な欠陥があるのでしょう。万策尽きて仕方なく投入してきたような気がします」
「どういうこと?」知佳の疑問に神田が答える。「たとえば、この敵は敵自身にも何かしらのダメージを与えるとか。若しくは見掛け倒しで実はもの凄く弱い――決定的で不可避な弱点があるとか」
然しユウキは不安そうに、「でも、その弱点なり欠陥なりを、僕らが見付けることが出来なければ意味ないですよね……」
「その通りです。なので我々はよく観察し、考えなければならない。取り敢えずユウキ君は、バリアに集中して時間を稼いでください」
それから暫くは、雷撃をユウキのバリアで防ぐだけの攻防が続いた。
「何とか打開策を見付けないと」
神田は焦っている。そんな中、知佳が自信無さげに云った。
「なんとなく……攻撃弱まってるかも?」
皆は天を振り仰いだ。心做しか一ツ目の怪物が、小さくなっている気がした。
「驚きのスタミナ不足ね」蓮が呟く。
「これは、防御だけで乗り切れるやつか?」クラウンも呆れた様な声で云う。
神田が右手を翳すと、一ツ目が蹌踉けた。その儘掌を捻ると、相手も空中でくるりと回転する。
「なんだこれは。ものすごい勢いで弱体化しているぞ」
目玉の怪物がみるみる萎んでゆく。軈てテニスボール程の大きさ迄縮むと、突然パンと炸けた。
「自爆した……」神田は天を見上げた儘、あんぐりと口を開けた。
ユウキが小さな声で「でも未だ、時間は止まった儘だね。敵の術は解けていないよ」
その時、植え込みの向こうで人影が動いた。皆が其方を注視していると、其処から黒ずくめの一団が姿を現した。
「白兵戦、キター!」蓮が叫ぶと同時に、一団は彼らに向かって襲い掛かって来た。
神田が念動力で敵を蹴散らし、蓮がテレポートで敵を海に落とし、クラウンが幻覚で敵を翻弄する。後から後から敵が湧いて出て来るが、五人には指一本触れられない。それは彼等が強いからなのか、将又敵がポンコツの寄せ集めだからなのか……
敵が最後の一人になった時、皆の頭に声が響いた。
〈我々の邪魔をするな!〉
最後の敵が此方を睨み付けている。彼の思念が流れ込んで来たらしい。神田が一歩進み出て子供達を庇う様にしてその男に対峙し、思念波を返す。
〈お前ら、Y国の者だろう。企ては最早失敗だ。大人しく撤退しろ!〉
〈ふ、君達に勝ち目は無い。如何やら五人でやっと一人前の様だな。私の能力は君達五人分をも凌駕する!〉
強い幻覚場が迫り上がって来た。
〈ハッタリも甚だしいわ!〉クラウンが前に出て、あっと云う間に場を敵方に押し戻す。その反動に煽られて敵は尻餅を突いた。
〈お前能力は多いらしいがな、その分スタミナが無いねん。あのクリーチャーもお前やろ? 萎んで炸けたやないかい!〉
神田が小さく手を振ると、男は地べたに倒れ伏した。
〈ボスは何処や〉クラウンが詰め寄ると、男は手に握っていた何かのスイッチを押した。然し何も起きず、敵は間抜けな顔をした。
〈あ、ごめんね。抜いちゃった〉ぺろりと舌を出した蓮の手には、爆弾の信管が握られている。
男が歯軋りして抵抗を試みている間も、知佳はその心の中を読み取ろうと頑張っていた。敵も能力者である所為か、中々読み取るのに苦労していたが、スタミナ不足が幸いしてか少しずつ核心に迫りつゝあった。知佳と並行して、クラウンによる尋問も苛烈を極める。
〈お前に命令しているのは誰だ!〉
男は抑え付けられながらも、不敵に笑い、〈誰がお前達などに教えてやるものか。さあとっとと俺を放せ! こんなことして只で済むと思うなよ!〉
〈只で済まな、どないするっちゅうねん。絵に書いた様な負け犬の遠吠え、止してくれや。興醒めするわ〉
〈後悔させてやる……〉
〈それもお定まりの台詞やな。他に云うこと無いんかい〉
男はぎりぎりと歯軋りした。
その時、知佳が短く云った。「読んだから、もう好いです」
それを聞くと神田は男を縛り上げ、自爆テロ犯と同様、海に向かって抛った。すると止まっていた時間が急に流れ始めた。
周囲の異様な光景に、大統領は一瞬体を強張らせたが、SP達に促されて車に乗り込むと、車は大慌てでこの場を離れて行った。
「未だ敵の気配らしきものを感じますね。一旦奴らを引き付けておきましょう。大統領は、私が遠隔で監視しておきます」クラウンは神田に対しては標準語になる。器用なものだと知佳は思う。
然しいつ迄経っても敵が襲い掛かって来る様子はなかった。何やら不穏な気配だけが継続しているので、一行は身動きが取れずにいたが、軈てその気配も徐々に消えていった。
「どういうこと?」蓮は気抜けした様な顔で辺りを見渡す。気が付いたら、あれだけ倒した筈の工作員達は一人残らず姿を消していた。
「嵌められたかな」神田は悔しそうに云うと、「一旦上空に戻って、体勢を立て直しましょう」と云い、全員を引き連れて上昇した。
変な触手とか出してきたのは ChatGPT です。
水族館の水槽を簡単に割りがちな GPT 君に対して、その水槽はそうそう簡単に割れるモノではないと云うことをコンコンと説諭しながら、何とか正常路線をギリギリで守り抜きました。