一
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空は晴れていた。それが知佳には気に喰わなかった。何故なら今日は運動会だからだ。
運動会なら晴れて喜ぶ可きだろう。確かに級友達は皆喜んでいる様だ。然し知佳は気に喰わないのだ。運動が苦手だから? 何なら嫌いだから? 否、それも無いことも莫いが、そう云うことではないのだ。知佳を憂鬱にさせている要因はもっと別の処にある。
運動会自体が嫌いな訳ではない。標準的な体躯に標準的な肉付きで、運動をするに当たって特に不利な要素は見当たらない、迚も普通の小学生である。只若干運動神経が鈍い所があって、足は速くないし、よく転ぶ。その意味でも迚もありふれた小五女子だと、自分では思っている。卑下する余地なんか無いし、その心算も莫い。下手糞なりにも、競技に参加するのはそれなりに楽しいし、去年迄は普通に愉しく遣ってきた。然し今年は違った。
知佳には一年程前から抱えている秘密がある。何の前触れもなく、或る日突然に奇怪しな能力に目覚めて仕舞った。そのことが皆にバレて仕舞うのではないか、そればかりが心配で仕方がないのだ。知佳には他人の心の声が、望むか否かに関わらず否応なしに聞こえてくる。読心術と云うのだろうか。術と云う程には制御出来ていないのだが。――こんな変な能力があるなんて、友達にも親兄弟にも誰にも云っていない。云える訳がない。
初めて心の声を聞いた日から今日迄の約一年間、彼女はこの能力をずっと心に秘めて、その横暴過ぎる効果に振り回されつゝも、一応は活用してきた。他人の思いや気持ちを理解し、周りの人々との関係を築く一助としてきた。然しそんな裏技の様なズルをしていることが知られて仕舞えば、友達は彼女を軽蔑し、或いは畏れ、離れて行って仕舞うに違いない。それを考えると只々恐ろしく、心細かった。だからと云って心の声に耳を塞ぐことも出来ない。それは知佳の意思などお構いなしに、有無を云わさず頭の中に流れ込んで来るのである。実際の音であれば耳を塞げば聞こえなくもなるが、心の声を遮る手立てを知佳は知らなかった。
開会式が終わり、最初の競技は小学五年生のリレーだ。知佳は足が遅いのに、この競技にエントリーされている。誰でも何かしらの競技に出なければならないのだが、その殆どは籤引きで決められていた。学校側としては勝ち負けなんか元々考えていない様なので、気楽な感じではあるが、それでも矢張り負ければ後味が悪いし、学級の皆にも申し訳ないと思う。詰まり最初からこの競技は乗り気がしない。それでもエントリーされているからには出なければならない。
第二走者の位置に付いて、第一走者からバトンを受け取り、そこからは全力で走った。然しドテドテと走っている彼女の頭には、他の走者達や応援している生徒達、及び保護者達の心の声がひっきりなしに雪崩れ込んで来る。競技の最中にそれは愈々大きく響き渡り、眩暈と頭痛を誘発して、知佳は脚の出し方が一瞬解らなくなり、右足が左足首を蹴飛ばして、コース中央で盛大に転んで仕舞った。
恥ずかしいと云う思いより先に、大きく後れを取った、皆に申し訳ない、と思った。必死に起き上がり、何とか次の走者にバトンを渡すことは出来たが、その後は頭痛と吐き気と気不味さとで蹲って仕舞い、中々立ち上がることが出来なかった。級友達が心の声を張り上げながら心配そうに周りを取り囲むので、愈々しんどいのだが、これ以上事態が悪化するのを恐れて、何とか自我を保ちながら立ち上がり、「ごめんなさい、躓いちゃって」とだけ云って、やっとのことで輪の中から逃れた。
知佳の懊悩は益々募るばかりである。この儘では本当に秘密がバレて仕舞う気がする。今日迄バレずに過ごしてきたことが、何故この運動会の日にバレそうだと恐れているのか。人の心が読める能力など、黙ってさえいればそうそうバレるものではないし、運動会だからと云ってバレ易いこともないだろうと、一般には考えられるかも知れないが、知佳の場合は状況が違う。なにしろこの能力、運動との相性が頗る悪いのだ。
体を動かしていると、思考の方が疎かになる。どうも知佳は、運動中に物を考えることが苦手なのだ。基、苦手になって仕舞った様なのである。
元来考えることは得意だった。学校の成績だってそう悪くはない。試験だって楽しんで受けてきた。然しこの能力を授かった時より、丸でその代償かの様に考えることが不得手になって仕舞った。体を動かすとそれはより顕著になり、特に体育の授業中等には殆ど頭が空っぽになって仕舞う。そこへ他人の思考が否応なく流れ込んで来るので、吐きそうな程気持ちが悪くなる。
運動して思考が鈍ると、その隙を突く様に能力が活性化してくる。普段の体育の授業だってそこそこヤバかった。でも周りには級友ぐらいしか居ない為、未だ耐えられていたのだ。でも今日は、今日この日に限っては、全校生徒、全教師、保護者、賓客ども……ダメだ、考えただけで失神して仕舞いそうになる。
それでも何とか気を張って、頑張って、運動会を乗り切ってやろうとも思ってみた。然し現実は酷だ。現に今、知佳は保健室のベッドの上だ。あの後大縄跳びで派手に縄を引っ掛けて、心配して駆け寄って来た学級の生徒全員に囲まれながら、遂に気を失って仕舞ったのだ。
今、周りには誰も居ない。養護の先生も運動場に出て行って仕舞った。運動会の日に、知佳の為だけに保健室に残ってなどくれはしない。でもそれで好いのだ。人が居ない方が絶対的に楽なのだ。
「今日はもう、ずっとここにいようかな」
すっかり弱気になって仕舞った知佳は、静かに目を瞑り、その儘軽い寝息を立て始める。
知佳が寝入って暫く経った頃、保健室のドアが静かに開いた。
寝ていたのは数分間程度だったかも知れない。静かに目覚めた知佳が緩と目を開けると、其処には見知らぬ男が立っていた。温和な笑顔を浮かべて、知佳を優しく見詰めているが、それが却って不気味な気もする。
「あなたが知佳さんですね。――気分は如何ですか?」
彼の声は穏やかで、安心感を与える。同時に知佳は、そこはかとなく不安を感じていた。その理由はよく解らなかった。目を細めることで警戒心を表現しつゝ、知佳はくぐもった声で訊いてみた。
「誰?」
男は軽く微笑みながら、「私は神田と云います。あなたの特殊な能力に就いて承知している者です。あなたにとってその能力は、大きな負担になっているのではないでしょうか」
知佳は驚きの余り瞬きを忘れて、大きく目を見開いた。初対面の見ず知らずの人間が自分の能力を知っているなんて、凡そあり得ないことだった。
「どうして、そのことを」
知佳の問いに、神田は少し間を置いて、「色々説明したいところですが、余り時間が無いんですよ。この後も遣らなければならないことが沢山あるので。――一つだけアドバイスしておくとするなら、あなたが持つ能力は或る状況下では非常に役に立つものです。その為にも、それをコントロールし、且つ有効に活用出来る様に導いてあげる責任が、私にはあるのです」
半分位何を云っているのか理解出来なかったが、コントロール出来る様になる、と云うことだけは解った。
「どうすれば……どうすればこの能力を抑えることが出来るんですか?」
「そうですね。いきなりこんなことを云っても奇怪しな奴と思われるかも知れませんが……私と一緒に来て、お手伝いをして戴きたいのです。少しばかり長い旅になるかも知れませんが、その過程で、あなたは自分の能力を理解し、コントロールする方法を見つけることが出来ると思います」
知佳は不安に満ちた顔で神田を見上げた。旅に出ると云われても、何のことだか全く理解出来なかった。この男と一緒に何処かへ行く気なんて、当然毛程も無かった。一体この人は何を考えているのだろうと思い、そうして知佳は、先程から抱いていた違和感の正体に漸く気付いた。この男の心が聞こえない。
「あの……」
然し知佳には、それをどう説明すればよいのか判らなかった。あなたの心が聞こえない、と云ったところで、そんなことは普通で当たり前のことだと思う。上手く説明する自信がない。否、この人はそれを理解していると云っているんだ。だったら通じるのか。抑々説明して何になるのか。その行為に僅かでも意味はあるか。
知佳が云い淀みながらも、何とか説明しようと再度口を開き掛けた時、先に神田が言葉を発した。
「不審に思われるのは尤もです。その事に就いても、いずれ説明させて戴きます」
この男も心が読めるのだろうか。益々警戒心は募る一方だが、然し不思議と悪い人間には見えなかったし、何処となく安心出来る様な感じもした。
知佳の命名は作者ですが、神田の命名は ChatGPT です。