黒の街 小説版 5話「ドロテア」
黒の街をはじめとする幾つかの自治区には、『温室』と呼ばれる施設がある。正式名称を『太陽光欠乏性転化吸血衝動症候群罹患者隔離収容サイト』と言い、ドライフラワー病患者を隔離、収容、研究するための建造物である。
そして今、その一画で、黒の街の温室の主任研究員であるドロテアが、エルザとローランを出迎えていた。
「いらっしゃーい。ごめんね、バタバタしてて」
「いいさ。忙しいんだろ?わざわざ案内なんてしてくれなくても勝手に見て回るよ」
「そういう訳にいかないわよ。仕事は仕事としてきちんとしないとね。ローラン君、元気だった?」
「ええ。お陰さまで。こちら、心ばかりですが」
ローランが持参した手土産を手渡す。
「やーん、ありがとー。ローラン君、背ぇ伸びたんじゃない?イケメン助かるわー」
「……」
「ちょっかいかけるんじゃないよ。ローランは私のだからね」
エルザがローランの肩を抱き寄せる。
「え、エルザ様!!?」
「えー。私の方がいいよねー?ローラン君」
「そうなのかい?」
「いやいや、いや、わわ私は」
ドロテアが、ふざけてエルザに抱きついた。
「はっきりしないと私がエルザとっちゃうぞー!」
「それは駄目です!」
ローランが言い放つと、エルザとドロテアの悪意のある微笑がローランに向けられる。
「へえー?」
「ほう?」
ローランはしどろもどろになりながら弁解を始めた。
「いいいや、そういうことではなくてですね!エルザ様にお仕えしている以上、ドロテア様にエルザ様を取られるとお仕えする相手が増えると言いますか、どちらにお仕えすればいいのか分からなくなると言いますか!とにかく困ります!エルザ様も私で遊ばないで下さい!」
「はいはい。悪かったよ」
「やーん!怒ったとこもイケメンだねー!」
「予定が詰まっておりますから!次の予定に移りましょう!」
「そいじゃ、そうしますか。2人とも着いてきて」
ドロテアが先頭に立って案内を始める。
「で、エルザは最近どうなの?」
「んー、芳しくはないね。ライムライトの輸送隊が襲撃を受けて、南地区の方じゃ違法ドラッグが出回って、その対処に追われてる感じだね」
「そっか。中央地区じゃあんまりそういうのは聞こえてこないけど」
「不安を煽りたくない。ドラッグに関して、場合によっては今後注意を出すかもしれないが、マルコシアスの方で対処しきれればそれがいい。下手に警戒を促せば、不安を煽るどころかマルコシアスの顔を潰すことになりかねないからね」
「ライムライトの方は?わざわざ問題にするってことは、結構大変なんでしょ?」
「ああ。結構な数の負傷者が出た。幸いライムライトそのものは無事だったが、輸送隊の派遣自体出し渋る事になりかねないよ。ただでさえ人員が足りてないからね」
「臨時政府にも人員提供してるんだっけ?」
「そう。その見返りとしてライムライトを都合してもらってる状態だからね。どうしても人は不足するよ」
「臨時政府側も人を出してくれればいいのに。お互い大変だね。と言っても、エルザとあたしとじゃ背負ってるものの重さが違うか」
「一緒さ。今のご時世、重荷を背負ってないやつなんていないよ。もしかするとあんたの方が重い物背負ってるかもしれないね。人類を救う研究の主任、是非ともやり遂げてもらわないと」
「あー、プレッシャーだなー。癒やしが欲しいわ癒やしが。ねー。ローラン君」
「何故、私の方を見るんですか」
「あーあ〜。ローラン君がお酒飲める歳だったらなー」
「あんたの酒癖の悪さに付き合わせる気かい?キッツいねぇ」
「えー、じゃあエルザが付き合ってよー。最近全然一緒に飲んでくんないし」
「んー、そうしたいのはやまやまだけどね。なかなか暇がないんだよこっちも」
「ちぇー」
ドロテアが足を止める。
エルザ達が案内された先は、室内のカフェテリアだった。白いセラミックの壁とリノリウムの床が冷たい雰囲気を醸し出す中、ガラスパネルの向こうに植えられた幾ばくかの花や草木が些少ながら彩りを演出している。
「お酒じゃなくてお茶にしときましょっかね」
ドロテアが言うと、ローランがエルザに向き直る。
「では、エルザ様。私は出入り口を見ております」
「いいよ、そんなの。それより注文頼むよ。適当に」
「あ!じゃああたしはコーヒーとハンバーガーね。ピクルス抜きで」
「承知しました」
ローランが一人注文口へと向かうのを眺めながら、エルザとドロテアが席に着く。
「あたしもローラン君みたいな助手が欲しいなー。研究職の人って話しづらい人多いのよねー」
「その研究職の人間とやらからしたらあんたの方が変わり者なんだと思うけどねぇ」
「えー?どこがよ」
「……給料の良さで今の仕事選んだとことかかねえ?」
「普通でしょ」
「普通もっと安全な職場を選ぶよ。正直あんたがここで働いてることに関して気が気じゃないんだけどね」
「まぁ、確かにドライフラワー病に関わるのは危険だし、他の自治区の標的にもなりやすいけど、鴉の人たちとエルザたちが守ってくれるでしょ?」
「まぁね」
「じゃあ安全じゃん」
「呆れた」
「あのねぇ、気が気じゃないのはこっちもなのよ?あんた昔っから人の心配はするくせに自分は無茶するんだから」
「それは仕方ないさ。私は生まれつき無茶せざるを得ない立場にいるんだよ。でもあんたは違うだろ?」
「私だって同じよ。無茶せざるを得ない立場にいる。ただ自分でそれを選んだってだけ」
「もったいないねぇ。私がそっちの立場だったら医者にでもなるけど」
「エルザ絶対そんなタイプじゃないでしょ」
「どうだか」
「……ね、もし自分で仕事選べるんだったら何になる?」
「んー、そうさねえ。服屋とか?」
「いいじゃん。エルザ、スタイルもいいからモデルもいけるんじゃない?」
「じゃ、平和になったらそうするかね」
そこへ、ローランが2人分のトレーを持って戻って来る。
「お待たせ致しました」
「おや、ローラン。自分の分はどうしたんだい?」
「いえ、私は……」
「ローラン君、成長期なんだからちゃんと食べなきゃ。ほら、ハンバーガー半分あげるから」
「いえ、職務中ですので……」
「食べるのも仕事のうちだよローラン。食べな」
ドロテアはナイフでハンバーガーを半分に切り分け、エルザはサンドイッチを2つローランに分けた。
「じゃ、料理も来たことだしドロテア。研究の近況を聞かせな。食べながらでいいよ」
エルザたちの表情がにわかに真剣味を帯びる。
「ん。まずは、ドライフラワー病のおさらいからね。ドライフラワー病は大体2週間程度太陽光を浴びずにいると発症する病気で、原因となる物質、あるいは病原菌などの存在は不明。伝染するかどうかも不明。発症した人の体内からは体表を突き破って花のような物が生え、その形状は発症者によってまちまち。主な症状としては、理性能力の低下、言語能力の低下、極めて強い暴力衝動、吸血衝動の発現などが挙げられ、また太陽光に対して非常に過敏になり、浴びると体組織が損傷するようになる。ここまではいい?」
「ああ」
「大丈夫です」
「オッケー。で、実は最近になって分かったことがあって、ドライフラワー病罹患者の体表に咲く花からは微細な触手のようなものが生えてて、それを罹患者の神経系に接続してるのね。だから、多分あの花は言わば寄生生物みたいな物なのよ」
エルザが細い顎に手を当てる。
「……寄生生物、か」
「まだ断定出来たわけじゃないけど、でも恐らく罹患者が見境なしに人を襲って生き血をすするようになるのは、あの花が血液を必要とするからで、花が宿主を操ってる状況なんだと思う」
「嫌な話ですね」
ローランの相槌に頷きながら、エルザが紅茶をかき混ぜる。
「だが、その話が本当なら花を弱らせるなり引っ剥がすなり、方法はあるはずだ。何一つ分からなかったちょっと前までと比べれば、大きな進歩だよ」
「そうだね。でも、ここからが長そう。何せ軽々しく人体に害のある実験なんて出来ないから、花の摘出方法を確立するにしろ、投薬実験を行うにしろ、余りに倫理的にNGなやつはね」
「そうか。何にせよ、ご苦労だったね。この調子で行けば、治療法も見つかるさ」
「うん。色んな人の力を借りてて、大勢の人の命が掛かってる。何が何でも見つけなきゃ」
どこか思い詰めたような表情のドロテアを見て、エルザの眼差しがふっと優しくなる。
「……癒やしが欲しいって言ってた意味が分かったよ。責任重大だね。でも、その調子で気負ってもらうよ」
「分かってるわよ。任せときなさいって。ホントに当てにしてるからねエルザ。容赦なく頼るわよ?」
「お手柔らかに頼むよ」
「じゃあ手始めに、ローラン君貸してくれない?」
矛先の向いたローランが仰け反った。
「ええっ?!」
「2日でいいかい?」
「エルザ様?!」
「さっすが話がわかるー!」
「私は貸し出されませんよ?!」
ローランが思わず席を立つ、とその時だった。
『緊急警報。緊急警報。第3セクター、第5セクターにて収容違反が発生しました。施設内の職員は、緊急時マニュアルに従って行動して下さい。これは訓練ではありません。繰り返します。第3セクター、第5セクターにて……』
カフェテリアの白い壁と床が、警報灯の光で赤く染まる。