黒の街 小説版 4話「街は」
一夜明け、しかしなおも夜のように暗い空が広がる黒の街。
シュヴァリエ邸の寝室では、白薔薇の団の制服に着替えを済ませたエルザがライムライトを掲げ、眩しそうに目を細めていた。
ライムライトからは、オレンジ色の暖かな光が降り注いでいる。
そこへノックの音が聞こえ、エルザが入室を許可するとローランが姿を見せた。
「おはようございます。エルザ様」
「あぁ、おはようローラン。お前もちゃんと、太陽の光浴びたかい?」
「はい。既に済ませました」
「そうかい。じゃ、私ももうじき済ますよ。今日の予定は?」
「このあとすぐ市街地の視察。のち、9時から温室にてドロテア様と面会および会食の予定です」
「そうかい。天気は?もしかして雨が降ってるんじゃないかい?」
「はい。かなり小降りではございますが。お車を用意致します」
エルザが、カーテンの向こうを覗く。
「いや、歩いていくよ。視察の意味がなくなる。それに、人類はこういう日のために傘を発明したんだからね」
エルザはベッドの上に置いたサーベル型の魔具を掴んで制服の剣帯に吊るすと、部屋を出て階段を降り、エントランスを抜けてシュヴァリエ邸の前庭に出た。
そこでは、数名の団員達が野外用照明の光の下で戦闘訓練を行っている。彼らは、エルザに気付くと腕を胸の前に掲げ、敬礼をした。エルザも簡単に答礼を返す。
「続けな」
「「御意。団長」」
その様子を見届けると、エルザは再び歩き出した。
傍らで傘を差していたローランに、エルザが振り返る。
「どう思う?」
「彼らの訓練の様子でございますか?」
「そうだ」
「そうですね。個人技を磨くのも重要だとは思いますが、市街地での戦闘を想定した集団戦の訓練を重点的に行うべきかと。1体1の状況になった時点で白薔薇の団としては負けも同然です」
「確かにね。だが、基礎訓練も同じくらい重要だ。どちらに時間を費やすか、悩ましいとこだね。常に集団戦を想定した訓練ができるほど人も足りてないし」
「仰る通りです。私もセバスチャンに嫌というほど基礎を叩き込まれました」
「あー。あれはキッツいねぇ。私は体力がなかったから、特に厳しかったよ」
「エルザ様が……ですか?」
「そうだよ?私も昔は、か弱いお嬢さまだったのさ」
そんな話をしながら2人は庭園を抜け、市街地へと足を踏み入れる。
石畳の道と、レンガと木造の建物が軒を連ねるその街並みは、黒の街の中央地区と呼ばれ、白薔薇の団のお膝元と言うこともあり、比較的和やかで治安の良い場所だ。
丁度、子供たちが学校へと向かうところにエルザ達が出くわした。子供たちは元気にエルザへと挨拶を投げかける。
「あっ、エルザ様!おはようございます!」
「おはようございますエルザ様ー!」
子供たちの微笑ましい様子に、エルザも挨拶を返す。
「ああ、おはよう。気を付けて行っといで」
子供たちもにわかに活気づいた。
「行ってきます!ありがとうございますエルザ様!」
「エルザ様はお出かけ?」
「ばか、こーむの途中だろ!」
「邪魔しちゃダメだって!」
「そっか!じゃあね、エルザ様!」
エルザに向かって手を振りながら慌ただしく子供たちは駆けていく。その姿を見送るエルザとローラン。
「子供は元気なのが1番だね」
「その通りです」
「ん?どうした、不機嫌かい?」
「いえ、そういう訳では。ただ、子供と言えどエルザ様に対する礼儀はしっかりとすべきかと」
「なんだい、そんな事か。いいんだよ。子供にまで畏まられちゃ肩がこる」
再び歩き出す2人。
取り留めもない話をしながらしばらく行くと、今度は食料品や雑貨などを売る店が軒を連ねる一画に差し掛かる。
通りは、屋台や仕事前に買い物をする客で賑わいを見せていた。
何人かがエルザに気付く。
「レディ・ブラン。ごきげんよう。いい朝だね」
「ああ、エルザ様。おはようございます」
「エルザ様!ウチの野菜見てってよ!今朝採れたばかりだよ!」
エルザは挨拶を返していく。
「おはよう。おはよ。いい朝だね。んー、ドロテアに何か土産でも買っていこうか。ねぇローラン」
「持参したもので十分では?」
「まあまあ、ここらで経済を回しとかないとね。んー……でも野菜は要らないかねぇ」
街の人々と挨拶や会話を交わしながら、しばらく辺りの屋台を見て回るエルザたち。
ほどなくして買い物を終えると、今度は路面電車の駅へと向かった。
丁度到着したばかりの列車に乗り、それなりに混んでいる客車の一席へと向かい合って腰掛ける。
紙袋を空いた座席に置くと、エルザが息をつく。
「ふぅ……。賑わってるね」
「良いことです。市民の外出を促進するキャンペーンとして、路面電車はそこそこ上手く行っているようですね」
「ま、外出自体危ないから、本来なら控えさせるべきなんだけどね」
「とはいえ、市民が出歩く機会が減れば、街の経済が停滞するというのも事実です」
「悩ましいよ。路地一本隔てりゃ、すぐそこで人が金を脅し取られてるなんてのがこの街じゃ日常茶飯事だ。他の自治区よりマシかもだけど、もっと誰でも気軽に出歩ける街にしなきゃねぇ」
「中央地区の治安は比較的良好です。大通りだけとは言え、子供だけで通学出来るほどですから。これもエルザ様のご尽力あっての事です」
「私だけじゃないよ。白薔薇の団全員の力、ひいては鴉やマルコシアス・ファミリー、スマイルのとこのギルドの力もあっての平和さ。……ヘルタースケルターだけは、別だけど」
「……ご憂心、お察しします」
「っと、いけないいけない。褒め言葉は素直に受け取っとかなきゃね。ありがと」
エルザが頬杖をつく窓の向こうで、景色がゆっくりと流れていく。
日が差さず、夜のように暗い空の下で活気を見せる朝の街並みは街灯に照らされ、歪だがどこかハツラツとしていた。
学校や就業の始まりを告げる時計塔の鐘の音、まばらに行き交う蒸気じかけの四輪車。店仕舞いを始める路上の新聞売り。
やがて列車は市街地を抜け、窓の外の景色は倉庫群や生産施設などが目立つ区画へと変わっていった。
「着くまでまだしばらくあるね。ローラン、何か面白い話はないのかい」
「いえ、エルザ様にお聞かせするような話は何も」
「何でもいいよ。退屈なんだ、何か聞かせな」
「……では、ここだけの話ですが」
「お、なんだい」
「メイド長……、ヴィヴィアンが交際するとしたらどんな相手になるか、というのが近頃メイドたちの間で話のタネになっております」
「あー、下世話だねぇ。それで?」
「やはり草食系よりは多少強引な相手の方が合うのではないかという話になっておりまして。1番人気がコックのオリヴィエ、2番人気が……恐れながらエルザ様、大穴でセバスチャンなどと言う者も」
「ははは!なんだいそりゃ!でも言われてみれば、私もヴィヴィアンもいい歳かねぇ。ドライフラワー病やらなんやらで世の中の平均寿命が縮まってからというもの、結婚適齢期が15とか言われてるからねぇ」
「別に、結婚に年齢は関係ないと思います。結局、その人の気持ち次第です」
「そうだね。したくなきゃしなきゃいいし……。でも私は結婚願望あるね。また恋がしたいよ」
「……」
「いざとなったらもらってくれるかい?」
「えっ…!?わ、私がですか?!!」
「ははは!冗談だよ。シュヴァリエ家の当主である以上、勝手に決めらんないしね。でも、もし条件が合えばもらってくれるのかい?」
「そそ、そんな!もらうだなんて!!私は差し上げる側です!」
「お。じゃあ、いざという時は頼んだよ」
「え?!いや、え!?そんな困ります!」
「ははははは!からかい甲斐のあるやつだね」
「お戯れは困ります!!エルザ様!!」
「他の客もいるんだから静かにしな」
そんなやり取りの最中、次の停車駅を告げるアナウンスが車内に流れた。
次は、温室。