黒の街 小説版 2話「ローラン」
黒の街の時計塔が、深夜2時を示す鐘を打つ。
エルザがマルコシアスの方に目をやりながら、誰とはなしに口を開く。
「おや、もうこんな時間かい。そろそろお開きにしようか」
「そうだな。まったく、有意義な時間だったぜ。こいつの薄ら寒いジョークさえなければな」
「おーやおや。ボクのジョークの良さが分からないとはまだまだだね」
そんなやりとりをよそに、ヘルタースケルターが1人、円卓を離れた。
「じゃあ、わたしは帰るわ。ご機嫌よう」
そう言って、ヘルタースケルターがくるりと踵を返す。その背中へエルザが声をかけた。
「ああ。夜道には気をつけな。誰かさんのせいで最近何かと物騒だからね」
「……あら。心配して下さるの?かーわいい。うふふ」
ヘルタースケルターはドアを体で押してすり抜けると、ヒールの音を響かせながら玄関ホールへと消えていった。
「……マルコシアス。行かせて良かったのかい?」
「あぁ。あいつと話すだけ時間の無駄だ」
その様子を見ていたスマイルが、肩のコリをほぐすようにして首を回しながら口を開く。
「あ〜あっ、と。そう言えばそろそろお迎えが来る頃なんじゃないの?エルザ君。ほらなんて言ったかな、あの子……ロー……」
マルコシアスが補足した。
「ローランか」
「そう、それ!」
暮雨も会話に加わる。
「ローラン少年か。彼は良い若者だ。意思が固く、忠誠心を持ち、自分が何者なのかを分かっている」
「ベタ褒めだな。なぁ?エルザ」
「ま、私の近侍だからね。当然さ」
「うむ。鴉に欲しいくらいだ。良い忍になるだろう」
そこへ、ドアを押し開けて燕尾服姿の金髪の少年が入ってきた。彼は優雅に一礼すると、エルザを呼ばわる。
「エルザ様。お迎えにあがりました。」
「噂をすればだな」
マルコシアスがひとりごちるのを聞くと、エルザも円卓を離れる。
「ご苦労。じゃ、暮雨。輸送隊の件、頼んだよ」
「了とした」
「マルコシアスも。次会う時までにくたばるんじゃないよ?」
「アホ抜かせ。そっちこそ借りを返すまで死ぬんじゃねえぞ。坊主も、しっかり守れよ」
金髪の少年、ローランがマルコシアスの発言に応える。
「言われるまでもありません」
「へっ、相変わらず愛想のねえガキめ」
「ボクみたいに笑った方が可愛いよ?ほーらスマイルスマイル!」
「チッ……」
ローランが、スマイルに汚物を見るかのような目を向ける。
それを見てマルコシアスが爆笑した。
「ハァーッハッハ!口も利きたくないとよ!残念だったな!」
「ボクハピエロ! ココロデナイテ、カオデワラウピエロダヨ! ローランクンモ、スマイルスマイル!」
「行くよローラン」
腹話術でおどけるスマイルを尻目に、会議場を後にするエルザとローラン。
ホールを抜け、外に通じる大階段を降りると、外は雨だった。ローランが傘を差し出し、2人は表に止めてある車を目指す。
車では、好々爺然とした執事が2人を待っていた。
エルザが声を掛ける。
「待たせて悪いねセバス」
「ほっほ。この歳になるとちっとも堪えませんとも。ささ、エルザ様。お早く」
ローランが開く後部座席のドアからエルザが車に乗り込み、ローランもそれに続く。セバスと呼ばれた老執事セバスチャンも、運転席に座った。
ほどなくして、魔法で動く蒸気機関、【魔蒸機関】が唸りを上げ始め、タイヤが石畳の上を転がる心地いい振動が車内を満たしていく。
「ったく。雨は嫌いだよ。傷が疼くったらありゃしない。よりにもよってこんな日に会議だなんてねぇ。……ここ最近どうにもツイてないよ」
「ほっほ。お疲れでしょう。メイド達に湯浴みの用意をさせておりますゆえ、帰られたらお身体を温めるのがよろしいかと」
「気が利くねぇ……」
ふと、エルザがローランの方を見ると、ローランは窓ガラスに移る自分の顔を、指で口角を押し上げ笑顔をつくるようにして弄っていた。
「なんだい。マルコシアスとスマイルに言われたこと気にしてんのかい」
「いえ、そういう訳では。ただ、愛想が良くないとエルザ様のお役に立てないかと思いまして」
エルザが頬杖をつく。
「ふっ……。そういうのが必要な場には、そういうのが得意なやつを連れて行くさ。ローラン。お前の役目はなんだい」
「エルザ様にこの身を捧げ、エルザ様に危害を加えようとする者を未然に排し、万が一の場合は命を懸けてエルザ様をお守りすることです」
「そういうこと。私がお前に求めているのはお前のその忠誠心だよ。睨みを利かせとくぐらいで丁度いいのさ。分かったかい?」
「はい。エルザ様」
「それでいい。周りが何を言おうがお前は私の言った通りにするんだよ。私のことだけ見てな」
「御意に」
バックミラー越しにその様子を見ていたセバスチャンが目を細めて微笑む。
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数十分後。議事堂前には、帰路に着こうと建物を後にするマルコシアスの姿があった。
ツバの広いハットを取り出し被りながら、階段を降りる彼のもとへパンツスーツ姿の若者が歩み寄り、傘を差し出す。
「親父」
「おう。ダンテか。遅くなってすまんな」
「全然待ってねえです」
ダンテの差す傘に入り、マルコシアスが歩き出す。すると周囲から続々とスーツ姿の男女が姿を現し、マルコシアスの周りを固め始めた。
その一団の中から、ひと際体格の良い男がマルコシアスの横に進み出て、シガレットケースを開いて見せる。
「パパ」
「おう、マウリツィオ。そうだな、今日は左から3番目の気分だな」
マウリツィオと呼ばれた屈強な男が、マルコシアスの指定した葉巻を咥えさせ、ダンテがジッポライターでそれに火をつける。
「フゥ〜……。染みるぜ」
「親父、会合はどうでしたかい?」
ダンテが、紫煙をくゆらせるマルコシアスに声を掛ける。
「あぁ。当面、こっちで何とかするしかなさそうだ。薬の被害者へのケアと、あと南地区への出入りのチェックを厳しくしろ。少しでも怪しいヤツは叩き出せ。それとシマの中もだな。片っ端から調べさせるんだ。知らん顔がいたら身元を洗え。マウリツィオ、ダンテ。任せるぞ」
「分かった、パパ」
「任せといて下せぇ、親父」
返事が重なったことに少しムッとし、顔を見合わせるダンテとマウリツィオ。
マウリツィオが口を開く。
「……クソ。全部あいつのせいだ。あのピエロ野郎、気に食わねぇ」
「マウリツィオ。往来で滅多なこと言うもんじゃねえ」
「ごめんなさいパパ」
やり取りを見ていたダンテが口を挟む。
「親父。一声言ってくれさえすれば、俺が何人か連れて締め上げてきますぜ」
「やめろ。今はどこもピリピリしてる。下手に事を荒立てたくねえ」
「親父はやり方が甘いんでさ。腐った歯は根っこから引っこ抜いちまわねぇと……」
ダンテの言い草を聞き、苛立った様子のマウリツィオが食ってかかる。
「おい。パパのやり方にケチつけるのか」
「あぁ?引っ込んでろよ木偶の坊」
「なんだと……!」
マルコシアスが立ち止まる。
「やめろ」
一言静かに発しただけだったが、辺りが静まり返る。
マルコシアスが続けた。
「こんな時に喧嘩するんじゃねえ。仲直りしろ」
「……悪かった。ダンテ」
「あ、あぁ。俺も言いすぎた。悪い」
「よし」
マルコシアスがまた歩みを進め始める。
「俺たちは家族だ。身内での切った張ったは許さねえ。いいな」
「分かりやした、親父」
「わかった、パパ」
黒の街の夜に紫煙が溶けていった。