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黒の街 小説版 16話「カトレア」



 カトレア・ル・シャトリエは、世間ではそこそこ名の知れた魔具職人だった。


 彼女の作品は使用者の身を守ることに(ひい)でた物が多かった。また、非力な子供や魔力の少ない者にとっても扱いやすい、質の良い魔具をつくる彼女の評判は良い。

 彼女自身が元々画家を志していたこともあってか、装飾の美しさも機能面に負けず劣らず噂を呼び、特に富裕層の婦女子が使う護身具としての評判が高かった。

 そして、本人も魅力的な女性である。

 お洒落で少し奔放(ほんぽう)。品があり穏やかで、自分を誇示したりはしないが、かといって必要以上に低く見せることもない、少しいたずらっぽく、多くの人から好かれる、優しい笑顔の絶えない人物だ。

 そんな彼女がエルザと恋仲になったのは、カトレアが26歳、エルザが19歳の時である。


 エルザとベアトリーチェの(いびつ)な恋愛関係は結局2ヶ月と保たず、エルザはある雨の日にボロ切れのように捨てられた。

 しばらくしてそこへカトレアが偶然通りかかり、彼女のアパルトメントへエルザを招き入れたのが2人の出会いだった。


 浴室で、カトレアに洗われるがままのエルザ。

 バスタブの周りを囲む白いカーテンに、2人の影だけが映っている。


「背中に銃痕(じゅうこん)なんて、随分ユニークなのね。痛むようだったら言ってね?」

「……」


 エルザの背中には、未だ痛々しい傷跡が残っていた。ドロテアを(かば)い、ベアトリーチェに銃で撃たれた時の傷だ。正しく処置がなされ、化膿や感染症こそ引き起こしていないが、生涯、(あと)が残るだろう。 


「まだ学生さんかしら。お肌すべすべでいいわね。私は乾燥しやすくて手間がかかるのよ」


 エルザの眼は(うつ)ろで、傷が染みるのか時折体をビクつかせる以外は何をされても無反応だった。


「にしても最近、よく降るわよね。雨は嫌いじゃないけど、こうも雨ばかりだと飽きちゃう」


 カトレアの優しい手付きが、ぬるま湯でエルザの背中を流す。


「雨、好き?」

「…………嫌い」


 カトレアはただ一言、そう、と(つぶや)いた。


 それから約1時間をかけて、ゆっくりとエルザの体を温め終えたカトレアは、自身の服を貸し与え、エルザをダイニングの小さな机へと座らせた。

 カトレアが白いホーロー引きのポットを火にかける。


「お家の方が心配してるんじゃないかとか、何があったかなんて聞くつもりはないけど、それにしたって心配になるわ。自警団に知らせた方がいいの?」


 エルザが力なく首を横に振る。


「……そう。犯罪に巻き込まれたとかじゃないのね?」


 しばらくの沈黙の後、エルザが蚊の鳴くような声を振り絞った。


「……違う。ただ、別れただけだから」

「別れた?恋人とってことかしら。あんな格好で雨の中に独りほっぽっていくなんて。悪く言うつもりはないけどその人……」


 コンロの火がポットを温める、ぼんやりした音が聞こえる。


「あなたがもし、根に持つタイプだったりしたら危ないわよね。……その人、心配になるわ」


 カトレアがカップを用意し始める。

 その様子を見るともなしに、エルザがぽつりぽつりと言葉を吐いた。


「子供みたいで、わがままで、……でも好きだったんだ。初めての恋愛、だったし」


 カトレアは何とも言えない表情でカップを見つめている。


「たまに見せる優しいところとか、普段、強く振る舞ってるけど本当はすごく寂しがりやで臆病なところとか。…………私、ダメだったなぁ」

「……そう」


 しばらくして、ポットが白く細い煙と共にお湯の沸く音を吐き出し始めた。

 カトレアは火を止め、布巾で蓋をつまんで開けると、中に茶葉を2さじ放り込む。


「……そう言えば、私たちってはじめましてよね?自己紹介が遅くなっちゃったけど、私はカトレアって言うの。あなたのお名前は?よかったら教えてくれる?」

「……エルザ」


 ポットの蓋をしめて、しばらく蒸らす。


「エルザ。いい名前ね。この辺りに住んでるの?」

「……ここから少し行ったところの学生寮に住んでる」

「そう。やっぱり学生さんだったの。この辺りの大学に通えるなんて、勉強頑張ったのね」

「……」

「ごめんね。うるさかったら静かにするわ」

「……ううん」


 カトレアがポットをゆっくりと回す。

 紅茶がふわりと香った。


「お砂糖とミルクは?いる?」

「……どっちでもいい」


 カトレアが少し困ったような表情を浮かべ、ゆっくりとした手つきで2人分のカップに紅茶を注ぐ。

 結局、どちらのカップにも角砂糖を一つずつ入れた。


「はい。紅茶しかないんだけれど、飲みたくなかったら残してね」

「……ありがとう」


 エルザの目の前に湯気が立ちのぼるカップを置くと、カトレアは自分のカップを口元に運び、冷まし始める。

 エルザは自分の目の前に置かれたカップを見つめるだけだった。

 窓を叩く雨の音が、部屋の中にうっすらと響く。


「……」

「……」

「ねぇ、エルザ。今夜はどうする?泊まってく?」

「どうしよう」


 エルザは紅茶に映る自分の顔を見つめながら、心ここにあらずといった様子だった。


「ね、泊まっていきなさいよ。今日ぐらい無断外泊しちゃいましょ」

「……どうしようかな」


 カトレアがいたずらっぽく微笑む。


「普段あなたみたいな若い女の子と話す機会があんまり無くって。ね、お願い。聞きたいこともあるの」

「……」

「私、魔具をつくる職人をやってるんだけれど、最近の子はどんなデザインが良いのか聞きたいのよ。無理にとは言わないけれど。ね?どうかしら」

「……」


 ややあって、エルザは微かに頷いた。

 カトレアが隣に並んで座る。


「良かった。じゃあまずエルザの好みが知りたいわ。聞かせてくれる?」

「……うん」


 それから2人は、雨が窓を叩く音を聞きながら夜が更けるまで語らった。

 はじめはぎこちなく、次第にほがらかに、ゆっくりと時間をかけながら、魔具のデザインのこと、お互いのこと、それ以外の様々なことを話した。

 やがて紅茶のカップは空になり、窓の外で降る雨は静かに街の何処かへと溶けていった。


 この夜がエルザとカトレアの穏やかな恋のはじまりだった。







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