黒の街 小説版 13話「そのころ暮雨は」
黒の街を、諜報に内偵にと裏から支え、時には秘密裏に治安の維持のため武力行使も行う組織、鴉。
その筆頭である、久慈八条 暮雨は、今日も忙しなく働いていた。
部下から届けられる書状に目を通し、指示を出し、他の自治区からの干渉を必要最小限に抑えるために親書をしたためて密使に渡し、通信用の魔具で外交の下準備を進める。
そんな忙しい彼は、束の間の休息に、鴉の本拠地である八咫烏神社の拝殿の前に腰掛け、木の葉の揺れる音に心を傾けながらひとり静かに瞑想をしていた。
そこへ、アポイントメントのない訪問者が訪れる。
瞑目したまま、暮雨は口を開いた。
「何者だ。何用で参った」
訪問者は、暮雨の姿を見ると、光のない眼差しを向ける。
「あんたが暮雨?違う?違ったら暮雨って人呼んで来てよ」
暮雨が、傍らに置いていた刀の形をした魔具を掴み、立ち上がる。
「僕が鴉筆頭、久慈八条 暮雨だが、何用か」
訪問者は品定めをするかのように、暮雨を上から下まで眺め回す。
「ふーん……あんたが。じゃあ用件だけど」
言うが早いか、訪問者は2丁のリボルバー型の魔具を引き抜き、暮雨に発砲する。
轟く銃声、そして、そのすぐ後に響く別の金属音。
暮雨は刀を鞘から半身抜き、自身に飛んできた銃弾を弾いていた。
血液を魔力で固めてつくられた銃弾は、境内の石畳に赤い跡を残して飛び散る。
暮雨が鞘から刀を抜き放つ。
「これが用件か。何者だ」
「ベアトリーチェ・クラウスヴェイク。傭兵よ」
次の瞬間、神社を取り巻く森のどこかから火柱が上がり、遅れて爆音が轟き渡る。
暮雨が目を見開く。
「貴様、森を……!」
「あら、私じゃないわ。やったのは別の子。それよりも、邪魔者が来ない今のうちに踊りましょうよ」
ベアトリーチェが身を低くして飛びかかり、肉薄する。
刀がベアトリーチェに振り下ろされるが、銃床で弾いた。そのままの勢いで暮雨の懐を取ろうとするが、暮雨は拝殿から飛び降りて逃れる。
「っ……!」
「チッ、案外すばしっこいわね」
ベアトリーチェが拝殿の階段に足をかけて飛び上がり、空中に身を躍らせる。そして銃を的確に連射する。
「神前で斯様な蛮行を……!」
暮雨は自身に迫る銃弾を全て叩き落とすと、すかさず空中のベアトリーチェに向かって下から切り払う。
「あは……!やるじゃない!」
目前に迫る刀を、身体を捻って躱すベアトリーチェ。天地逆さまの不安定な体制のまま、次は暮雨の眼前に銃口を突きつけた。
頭を振って躱し、横に倒れ込むように射線を外す暮雨。
ベアトリーチェは撃つのを一旦諦め、またも身体を捻ると、猫のようにしなやかに着地する。
「もらったぞ!」
着地の瞬間を狙って、暮雨が渾身の一撃を繰り出す。
ベアトリーチェは大きく飛び退いて躱し、神社の灯篭の上に着地する。
お互いに、一撃でも当たれば致命傷の応酬だった。
ベアトリーチェが暮雨を見下ろしながら口を開く。
「やるわね。自分の頭上の相手に有効打を繰り出せる人、中々いないわよ」
暮雨は鞘を捨て、両手で刀を構え直しながら、鋭い眼光を向ける。
「問答無用。縛につくか斬られるか選ぶがいい」
「つれないのね。せっかく大人の関係なんだから、楽しみましょうよ」
「問答無用と申した。はぁっ!!」
暮雨が石畳を蹴って空を駆け、灯籠の上のベアトリーチェに斬り込む。
ベアトリーチェは銃を撃ちながら拝殿の方へ跳んだ。
それを見逃さず、暮雨は速度を落とさずに、灯籠を蹴って宙で鋭角に曲がり追いかける。
「いいわね!ダンスの上手な男は好きよ!」
着地した先の拝殿の屋根を蹴って、またも暮雨の追撃から逃れるベアトリーチェ。今度は地面へと跳んだ。
「逃さぬ!」
暮雨が追いかける。
それを見越したベアトリーチェは地面に片膝をつくと、弾倉が空になるまで撃ち尽くす。
空中の暮雨はそれをことごとく弾き落とした。
ベアトリーチェの銃のハンマーが、空撃ちの音を立てる。
「チッ!」
「もらった!!」
暮雨が刀を上段に振りかぶる。
ベアトリーチェは蹴りで迎え撃った。
「ふっ!」
「っく……!」
蹴りを嫌った暮雨は、刀を下げて自身も蹴りを放つ。
刀を弾き飛ばそうとするベアトリーチェの狙いを察知してのことだ。
両者の蹴りがぶつかり、互いに後方に弾かれる。
「っあはは!いいわ!楽しめそう!」
「……」
弾かれた後、勢いを殺して着地したベアトリーチェは、銃口を自身の左肩と右ももに押し当て、ハンマーを起こす。
すると、マガジンが音を立てて回り、ベアトリーチェの血を吸って装弾された。
暮雨は刀を振るって構え直す。
(相当な手練れだが、僕の命を狙うなら何故不意を打たなかった?狙いは何だ。……先程の爆発、よもや他に狙いが?此奴の狙いはまさか僕の足止めか?)
「ボーッとしてないでよ!色男さん!」
「っ!」
リロードを終えたベアトリーチェが一足跳びに暮雨へ迫る。
暮雨はとっさに、切っ先をベアトリーチェの方へ向けて迎撃の構えを取った。
ベアトリーチェは更に身を低くする。そこへ暮雨の一撃が放たれた。
「はッ!」
「……シイッ!!」
ベアトリーチェは際どい所で刀を避け、懐に飛び込む。
暮雨は身をよじって刀を体に引き付け、半回転しながら、押し当てるように刀を振るう。
しかし、ベアトリーチェはそれを跳躍して避けた。
上空のベアトリーチェは、暮雨の頭上から雨のように銃弾を降らせる。
「くっ……!」
暮雨は何とか全ての銃弾を凌ぎきったが、僅かに体勢を崩し、隙を作ってしまった。
着地したベアトリーチェが地面を蹴って飛ぶように迫り、急接近する。
「ちゃんとついて来なさい!」
「……っ!!」
ベアトリーチェが勢いそのまま銃床で殴り付ける。
暮雨はそれを躱すが、隙を突かれて足を踏み付けられる。
体勢を崩したところに、超至近距離からの発砲。
それも躱すが、顔のすぐ横で鳴らされた銃声に耳が麻痺する。
「うぉっ……!!」
「あははっ!」
笑い声とともに次の攻撃が繰り出され、目にも止まらぬ殴打と発砲が立て続けに繰り返される。
暮雨は有効打を避けてはいたものの防戦を強いられ、思うように刀を振るえない。
そして次の瞬間、ベアトリーチェの体勢が沈み、痛烈な蹴り上げが放たれた。
「はあっ!!」
「ぐうっ……!!」
とっさに腕で顔を庇う暮雨だったが、刀が弾き飛ばされる。
不快な金属音を立て、刀は遥か後方の石畳に突き刺さった。
「あは……!万事休すってやつじゃない?」
「そちらも弾切れであろうが」
ベアトリーチェはいやらしい笑みを浮かべると、再び鋭い蹴りを繰り出す。
暮雨は素早い体捌きで躱すが、また次の攻撃が迫る。
当て身を捌き続ける暮雨だったが、攻撃は徐々に激しさを増し、暮雨は反撃の機を得られない。
(不味いな……。忍衆は恐らく火事を消し止める方を優先するであろう。加勢は来ぬ。相手の狙いが分からぬ以上、長引かせるのは得策ではないが……。もしも狙いが本当に僕の命だとすれば勝負を焦るのも得策ではないな)
暮雨の思考を遮るように、またもやベアトリーチェの蹴りが放たれ、頬をかすめる。
(ええい、考えても埒が明かぬ!)
「どうしたの?!もうバテた!?」
ベアトリーチェがその場で回転し、勢いをつけて銃床を見舞う。暮雨はそれを両手で受け止めた。
余波で、辺りの青い落ち葉が一斉に舞う。
「何が狙いだ!」
「くどいわね!これだって言ってるでしょ!!」
「僕の命か!」
「戦いよ!命懸けのね!!」
ベアトリーチェが更に体を捻って、空いている方の手を振りかぶる。
暮雨がとっさに距離を取った。
(戦い?どういうことだ?戦いそのものが狙いと言うのか?馬鹿な……!)
暮雨の困惑を遮るかのようにベアトリーチェが猛追し、仕掛ける。暮雨はそれを捌く。
暮雨の動きは多少精細を欠いており、狙いがつかめず仕掛けあぐねている様子が分かった。
そうして思考を巡らせている間にもベアトリーチェの攻撃は手数を増し、より大胆に攻めたて始める。
「私に集中しなさい!やるかやられるか以外、ここには存在しなくていいのよ!」
「そちらの策には乗らぬ」
ベアトリーチェは更に仕掛けるが、次第に暮雨は、それを柳のように受け流すことに専念し始める。
それを見たベアトリーチェが声に怒気を滲ませる。
「ちっ……!そういうのが一番ムカつくのよ!」
ベアトリーチェが渾身の蹴りを繰り出す。
暮雨は躱し、大きく飛び退った。
攻撃を途切れさせたベアトリーチェは、銃身を自身の身体に押し当てて弾を補充する。
暮雨はその隙を見逃さなかった。
「隙あり……!」
「くぅっ……!?」
暮雨の着物の袖から、クナイが放たれた。
ベアトリーチェは間一髪でそれを躱すものの、大きく体制を崩してしまう。
「もらった!これぞ3度目の正直よ!」
「ちいっ……!クソが!!」
暮雨が前傾姿勢になる。ベアトリーチェは一撃が来ることを見越して防御姿勢を取るが、その一撃は来なかった。
ベアトリーチェは目を見開き、失策を悟る。
(しまった……!)
ガードを下げたベアトリーチェが目にしたのは、攻撃を仕掛ける代わりに後ろへと跳び、刀を地面から引き抜く暮雨の姿だった。
「っ!!」
ベアトリーチェは焦って銃のハンマーを起こす。紅い光と共にマガジンが回る。
しかし、射撃が間に合わない。
暮雨が刀を振りかぶる。
(なに……?!あそこから距離を詰めて叩き斬る気!?10mはあるわよ?)
ベアトリーチェが銃口を向けようとしたその刹那、暮雨が宣言する。
「『舞牡丹五月雨』」
「っ……?!」
暮雨の刀は魔具だ。宣言と共に魔力が放出される。そしてその行方は。
「ぐっ……!!」
ベアトリーチェが銃を取り落とし、肩を押さえた。
その手の下からは鮮血が吹き出る。
(なに……?!斬撃を飛ばした……?いや、あいつは刀を振りかぶっただけで、それ以上は何もしてない……。あの刀の能力か……!!)
暮雨が刀を頭上に掲げたまま告げる。
「さて、これにて仕舞いだ。覚悟」
「ちっ…………!!」
ベアトリーチェが銃を拾い、暮雨が手の内を締めた。両者の脚に力が込もる。
だが、そこへ闖入者があった。
目にも止まらない速さで爆発と共に宙を駆け抜け、暮雨の後方から小柄な人影が現れる。
そしてその人影は、ベアトリーチェを抱えて空中へ飛び去った。
「ちょっと!まだ終わってないのよ!離しなさい!!このガキンチョ!!」
「ごめんねー!でも撤収しろって言われちゃったからさ!」
暮雨が呆気に取られながらも、闖入者を呼び止める。
「待て!貴様ら!!」
ベアトリーチェを肩の上に担ぎ上げた小柄な人影は、拝殿の屋根の上に着地すると振り返った。
「あっはー!なにあのお兄さんイケメンじゃん!」
「離せってのよ!!」
「ダメだって。あたしが怒られちゃうし!じゃーね!イケメンのお兄さん!!」
暮雨がクナイを投げるが、それよりも一足早く、2人の刺客は爆発とともにどこかへと飛び去った。
暮雨は心なしか口惜しそうに刀を下げる。
(くっ……僕一人で追うわけにもいかぬ。逃げられたか。しかし、一体何がどうなっている)
物思いに沈みながら、暮雨は捨てた鞘を探して石畳の上を歩く。
他に刺客はいないかと神経を尖らせるが、その気配はなかった。
やがて暮雨が鞘を拾い上げ、刀を納める。そしてふと顔を上げて辺りを見回すと、銃弾だった物が飛び散り、紅く染まりきった参道が辺りに広がっている。
暮雨が重いため息をついた。