黒の街 小説版 11話「たかがワンコロ」
マルコシアスを見送ることしばらく。
後ろで手を組み、油断なく辺りを警戒するローランに、エルザが声を掛ける。
「やめな。余所様の家の前だよ。楽にしてな」
ダンテも、相槌をうつ。
「そうでさ。ここらでコトを構えようなんて奴ぁいやせんよ」
ローランは、ダンテにまで言われたのが気に障ったのか、多少ムッとした様子で警戒を解いた。
「私は……ただ、職務を全うしようと」
「悪いことではないけどね。ただマルコシアスも言ってたろ?休める時に休んどきな。あんまり普段から気を張ってると、いざって時にへばっちまうよ」
「……お心遣い、痛み入ります」
こころもち項垂れた様子を見せるローラン。
それを見て、ダンテが口を開いた。
「あの、エルザ……様。ローラン、君と話してもいいすか」
「無理に敬称つけなくてもいいよ。好きに呼びな。それと、もちろんいいよ。外してようか?」
「いや、エルザ、さんがご不快じゃなけりゃこっちは大丈夫です」
「そうかい」
そう言うと、エルザは気持ち居住まいを崩し、腕を組んで瞑目する。
ダンテが歩み寄り、改めてローランに話し掛ける。
「いいすか?」
「はい。何でしょう」
ダンテがローランと向き合う。
「ローラン君、大丈夫すか」
「……ええと、それはどういう」
「いや、なんかずっとしょぼくれてるっつーか。……エルザさんの護衛なんすよね」
ローランは、ほんの少しムッとした様子でダンテに向き直る。
「私はエルザ様の近侍です。しょぼくれてなどいません」
「でも仕事に集中出来てないっすよね。そういうの置いといた方がいいんじゃないすかね」
「……言いたいことがあるなら率直に仰って下さい。私は気にしません」
ダンテが、ちらっとエルザの方を窺う。エルザの様子は先程と変わらない。
ダンテは再びローランに向き直る。
「じゃあ言うっすけど、仕事にあんまりそういうの持ち込まない方が良いっすよ。見ててムカつくっす」
「……申し訳、」
「思ってないっすよね。そういう中途半端なとこも良くないっすよ。仕事を言い訳にして自分の事情も解決できてないようなやつに護衛とか近侍は務まんねえっすよ」
「……っ!」
「悔しいなら言い返しゃいいじゃねえっすか。今なら誰もなんも言わねえっすよ。そういう柔軟な判断も出来ねえってのは致命傷じゃないっすかね」
ローランが怒りに目を細める。
「……お言葉ですが、あなたにそこまで言われる筋合いはありません。急に何ですか」
「いや、誰も言わねえんで俺が言ってるだけっすよ。多分エルザさんとかも薄々思ってんじゃねえっすか?急に言ったのはすいやせん。見てらんなかったんで」
ローランがダンテに一歩近づく。
「私は、職務に忠実であろうとしているだけです!至らない所があればエルザ様の仰るとおりに直します!私は……!」
「ってことは自分の頭じゃ何も考えねえんっすか?エルザさんに言われたことだけやるってんなら、言われてねえことは徹底的にやらないぐらいにした方が良いっすよ」
ローランが、こみ上げる怒りを抑えるように拳を握りしめる。
ダンテに構える様子は無かった。
「別に、言われたことだけやるってのは悪いことじゃねえですし、逆に、やるべきことに逆らってでも自分の事情を優先するってのも悪いことじゃねえです。ただ、やるなら常にどっちかを貫けってんですよ。中途半端なのが一番よくねえっす。結果的にエルザさんが周りから舐められるんすよ」
ダンテのその言葉に、ローランが面食らう。
「エルザ様が……?」
「そうっすよ。連れてる従者の質は、ある意味その主人の質っすから。今日初めてローラン君に会ってから、そのなんか煮え切らない感じがずっと気になってたっす。言いたいことがあるんなら言う。言わないんだったら言いたげな素振りも見せない。そういう風にしないと、エルザさんって自分の部下もまともにコントロール出来ねえのかなって思われるっすよ」
「……」
「まぁ、俺の言うこと真に受けなくても別にいいんすけど、心当たりがあって、本気で何とかしようと思うんなら、俺が今言ったことちょっとは考えた方がいいっす。一挙手一投足が外から見てハッキリした感じになるようにした方がいいっすね。隙見せちゃダメっすよ。堂々としてねえと」
ローランは変わらず怒りを抑えようとする様子ではあったが、同時に、ダンテに言われたことを咀嚼しようとしているようでもあった。
ダンテが短い髪の後ろを手のひらで掻く。
「ついでに言うんなら、さっきエルザさんが警戒解けって言った時も、言われたから解くんじゃなくて、自分なりの考えで自分を納得させた上で解くようにした方がいいっす。それか納得出来なくて、エルザさんの安全のために解かないってんなら解かなきゃいいっす。周りの言いなりとか、流されるとかは一番ダメっすよ」
「…………ご忠告、感謝致します」
「うす。ちょっと言い過ぎたっす」
そう言うとダンテは、少し決まり悪そうにエルザの方へ踵を返す。
ローランは何事か考えているのか、押し黙ったまま地面を見つめている。
ダンテが、腕を組んで空を見上げているエルザに話しかけた。
「終わりやした。少しやっちまったかもしれねえです。すいやせん」
エルザが目線をダンテに戻す。
「いや、いいさ。礼を言うよ。ここんとこ色々と思い詰めてたみたいだからね。本人にとって何かのキッカケになればいいけど」
「怒んねえんですね」
「ん?怒る?何がだい」
ダンテが首を少し傾ける。
「……エルザさんみたいなお偉い人が、俺みたいな身分が下の人間に自分の従者を……、コケにはしてねえっすけど、まあコケにされてよく怒んねえなと思いやして」
エルザの口角が少し上がる。
「別に私は、誰でも平等に扱うつもりだとか、身分は関係ないとか、そういうご立派なことを言うつもりはないけどね。少なくとも、私の従者のためを思ってしてくれたことに腹を立てるような恩知らずじゃないつもりさ」
「へえ?お貴族様とは思えねえですね」
ダンテに向かって、半身だったエルザが向き直る。
「確かに私は、白薔薇の団の団長で、シュヴァリエ家の当主だけどね。最低限の礼儀さえ守ってくれれば何だっていいさ。それとも何かい?無礼を咎めて欲しいのかい?」
ダンテがエルザににじり寄る。
「……エルザさんみてえな人は初めてなんでさ。ここいらに住んでる金持ち共なんかは大抵、俺らみてえな人間を下に見やす」
ダンテは辺りをぐるりと顎で示した。
「エルザさんも内心、俺らのこと下に見てんじゃねえのかって、ちょっと疑ってんです。親父は、何かにつけてエルザさんの話をしやす。でももしエルザさんが、俺や親父のことスラムのゴロツキ風情と思って心ん中では舌出してんだったら、俺は親父にエルザさんとの付き合い方を考えるよう言わなきゃなんねえんです」
ダンテの立ち姿は、変わらず自然体に見えたが、それとは裏腹に醸し出す空気は剣呑な色を帯び始めていた。
それに気づいたローランがさり気なく、すぐにエルザとダンテの間に割って入れる位置に立つ。
ダンテが真剣な面持ちで尋ねた。
「エルザさん。正直に言って下せえ。親父のことと俺のこと、どう思ってやすか?」
エルザは、真っ向からダンテの眼光を受け止める。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「どう思ってる、ねぇ」
「……」
エルザも、ダンテに一歩歩み寄る。
「マルコシアスのことは、そうだね。頼れる先輩にして良き同僚って感じかねえ?ま、若干子供っぽいとこが無くも無いけど、それが魅力と言えなくもない。あんたは……」
エルザが、ダンテを上から下まで睥睨する。
「今日見知ったばっかだからねえ。第一印象は筋が通ってて手強そう、とか?」
「……そういうことじゃねえんですけど」
呟くとダンテは、エルザの発言を扱いかねるようで、口を一文字に結んだまま何やら考えている様子だった。
それを見たエルザが、手を軽く横に広げておどけたポーズを取る。
「言ったろ?私とマルコシアスは、私がおしめしてる頃からの仲なんだよ。今更何を見下すってんだい。疑う気持ちは分かるけど、行き過ぎると私に失礼だよ」
それを聞いたダンテは、軽くため息をつくと、エルザから決まり悪そうに顔をそらした。
「……そうっすね。すいやせんした。申し訳ねえです、変なこと言って」
「私は構わないけど、……大丈夫かい?」
「何が、ってもうちょい食い下がらなくてって事ですかい?」
「そう。気になるんだろ?」
ダンテが、眉を軽くしかめる。
「んー、本音をいうと確かに消化不良かもっすけど、これ以上は確かに失礼ですし、それにここまでボロを出さねえってなると、どっちにしろ意味ねえかなって」
「引き時を弁えてるってやつかねえ。ま、いいさ。水に流そうじゃないか。で?」
ダンテが眉を上げる。
「は?」
「他に聞きたいことはないのかい?」
エルザが事もなげに問うと、ダンテは少し面食らったようだった。
「え、続けるんですかい?」
「嫌かい?」
「いや、俺がっていうか、むしろエルザさんが嫌じゃねえのかと」
エルザが少し目を丸くする。
「私が?なんでだい」
「いや……、俺、だいぶエルザさんに失礼な質問しやしたし、俺と話すの、嫌気さしてるんじゃねえかなって」
エルザの表情は、いつも通りの何でもない様子だった。
「別に?」
「……そうっすか」
ダンテが頬を指先で掻く。
しばらく沈黙が流れたが、おもむろにダンテが話しだした。
「あー、じゃあ一個聞いていいですかい?」
「もちろんさ。なんだい」
「親父が、エルザさんに借りがあるとかなんとか常々言ってんですけど、何があったか聞いてもいいっすかね?」
エルザが片足に体重を移して腕組みをする。
「そのことかい。別に何でもないんだけどねえ」
「にしちゃ、口癖みてえに言ってやすけど」
「知りたいのかい?」
「うす」
エルザが斜め上を見上げる。
「あれは、大体今から1年半くらい前かねえ。マルコシアスんとこに用があって南エリアに行ったんだよ」
黒の街の南エリア、主にマルコシアスファミリーが治める、歓楽街やスラムが特徴の区域である。
「って言っても大した用じゃなくて、訓練用に銃を何丁か借りに行っただけなんだけどね。ところで、マルコシアスは犬を何頭か飼ってるだろ?」
「ちっこいのが10匹ぐらいいやすね。マウリツィオのやつ……、ああいや、俺の兄弟分が世話してるとこを見やす」
「その内の1頭がね、水路で溺れてたんだよ。マルコシアスんとこを脱走したのか何なのか、ほら、酒場が集まってるとこと露天市場の境目あたりにある水路でさ」
「えっ、あれ水路ってかドブじゃねえですか。まさか飛び込んで助けたんですかい?」
「まあ、見てらんなくてね」
ダンテはかなり驚いたようだった。
傍らで話を聞いていたローランも、同様に目を丸くしている。
エルザが続ける。
「で、引き揚げてマルコシアスんとこに連れてったら、家族の命の恩人だってさ。マルコシアスが言ってんのはその事だよ」
「……信じらんねえですね。たかだかワンコロ一匹のためにドブに飛び込んだんですかい?白薔薇団長が?」
「なんだい。別にいいだろ?それに、マルコシアスにとってはワンコロじゃなくて大事な家族だろうからね。貸しを作れたのはデカいよ」
ダンテのエルザを見る目が多少変わったようだった。
「え?本当なんですかい?からかってるんじゃなくて?」
「信じられないってんなら後で本人に聞けばいいだろ。……なんだいローランまで。そんな目で見るこたないじゃないのさ」
「いえ、エルザ様。お言葉ですがどうかと思います。もしものことがあったらどうなさるおつもりだったんですか」
ダンテがローランをちらりと見やる。
「これが正常な反応だと思いやすよ。ローラン君の言ってることのが正しいっす」
「あっそう。言っとくけど自分のしたいようにしただけだからね。なんら悔いるとこは無いよ」
「お話を聞いてるだけで胃が痛くなる心持ちですエルザ様」
「万事丸く収まってこうして五体満足で生きてんだからいいだろ?なんだか口うるさいとこがセバスに似てきたんじゃないのかい?」
何はともあれ、3人の距離は初対面の時よりは縮まったようだった。