07 白い部屋その1
「おい。起きろ」
シワがれた声が聞こえる。
「起きろってば」
何度も起きろと催促する声が、心地よく寝ていたぼくの頭をクリアにしていく。
……ちょっと待てよ。
……池に飛び込んだはずじゃ。
目を閉じたまま体を動かしてみる。
手の感覚はある。
足の感覚もある。
背面には何か、堅くも柔らかくもないものが当たっている。
……背面に感触がある。
……ということは、仰向けになって寝転がっているということか。
背中に当たっているものをさすってみると、布のようで、小さな突起も感じられた。
少なくとも水中にいないことは明白だ。
だって、息苦しくないのだから。
……いよいよ変だ。
……池の中で溺れていたはずなのに。
「何回言えばいいのさ。早く起きてよ」
そろ、そろ、と目を開けたぼくの視線は、まっすぐ上へと飛んでいき、白い天井にぶつかった。
高すぎてよくわからない程に、高い天井だ。
ついで、肘で体重を支え、上体を起こして視線を下に持っていく。
四方を囲む壁はどこまでも白く、床は天井をひっくり返したようにまた白い。
どうやらここは白い空間のようだ。
でも、ただの白い空間じゃない。
手で触った感じからして、全てが油絵の亜麻製キャンバスでできているらしかった。
ならば、そこにいる自分は?
今度はぼくの体を目視で確認してみる。
服装は今日着ていた服ではなく、お気に入りの別の服――白のTシャツに黒のスラックスというシンプルな服――に変わっている。
桟橋の先に置いてきたはずの靴下も靴も足に戻っている。
服装の全てが、天日干しの後のような気持ちのいい乾きっぷりを見せている。
このお日様の香りはいつぶりだろうか。
何はともあれ、キャンバス地の体と服ではなさそうだ。
それはそうと、誰かに話しかけられていたような。
声の主を探そうとあたりを見回すも、人影一つ見当たらない。
代わりにいたのは、こちらをじっと見つめ、座っている黒猫だけだ。
……池まで案内してくれた猫か?
ぼやっと猫を見ていると、猫が口を動かした。
「やっと起きてくれた」
口は、猫が鳴くようにしか動いていないのに、人の言葉に聞こえた。
「もう一生寝てるのかと思ったよ」
目をこすっても、ほおを叩いても、猫が流暢に人の言葉を話したのは事実。
人の言葉を話す猫!?
どう考えてもおかしな生物を目の当たりにし、お尻を引きずりながら後ずさった。
顔は猫に向け、目だけを動かして出口を探した。
だが、捜索の甲斐なく、この白い空間には小さな穴さえも見当たらない。
もちろん、ここから脱出できそうな扉はない。
逆をいえば、ここに入ってくるための隙間すら存在していなかった。
池の中から密室の白い空間に飛ばされ、そこにいたのはしゃべる猫。
ブレーカーが落ちたように思考がストップし、壁を背にしたまま硬直していると、再び猫が口を開いた。
「ここには、出口も入口もないよ。そんなに混乱する必要はないってば。こっちに来て話そうよ」
混乱するなと混乱の元凶に言われても説得力はなかったけど、この猫に話しかけられても悪い感じがしなかった。
頭の中に変な【影】も入ってこない。
少なくとも、こちらに危害を加えるつもりはなさそうだ。
ぼくは壁を背にして立ち上がり、一歩猫に近づいた。
「一体君は誰なの? なんで人の言葉をしゃべれるの?」
「やっとしゃべってくれた。待ちくたびれたよ」
猫は顔を舐めた。
「おいらは黒猫の姿をした君自身なんだ。だから、しゃべれるのは当たり前さ。わかるだろ?」
読んでいただき、ありがとうございます。
「続きが読みたい」「更新を応援したい」
少しでもそう思ってくださいましたら、
評価【★★★★★】していただけると嬉しいです。
皆様の応援が作者のモチベーションになります。
何卒よろしくお願いします。