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06 チミモウリョウ

 桟橋に懐中電灯を置き、光に照らされながら靴を脱いで裸足になる。

 履いていた靴下は靴の中に入れ、靴は慣例通り、飛び込む方へと靴先を向けておこう。


 ぼくは今から池へと飛び込む。

 これが今夜の計画だった。


 泳げないぼくが池に飛び込んだら、おそらく溺れ死ぬだろう。

 だとしても、池に飛び込むことくらいしか、今のぼくには生きる目的がなかった。

 縮こまり固まりきったぼくという存在が、この世界で生きていくには重荷になっていた。


 ぼくは自分が自分であることを担保するために、人との接触を避けながらここ数年過ごしてきた。


 ぼくの姿が昨日と同じであることを、姿見で毎日確認し続けてきた。


 その甲斐あってか、ぼく以外の存在をぼくの中に認めることはなくなっていた。

 ぼく一人だけだった。


 だけど、もう疲れた。

 ぼくがぼくであることを求め続けることに。

 ぼく自身の存在に。



 ……天使。

 ……会いに来てくれるかな。



 天使が助けに来てくれる姿。

 水で膨れ上がった自分の姿。

 この二つが競い合うように天秤を揺らしていたけど、目を閉じるとピタッと水平の位置で止まった。


 なぜだろう。

 速かった呼吸が落ち着きを取り戻している。

 全身から力が抜けていく。


 ぼくはお風呂に浸かるかのように自然さで、足を前に出し、桟橋から池の中へと落ちていった。






 夏でも池の水は冷たかった。


 水を吸って重りのようになった服が、ぼくを池の底へと引きずり込んでいく。


 暗闇。


 静寂。


 肺の中から空気が少しずつなくなり、肺が悲鳴を上げ始める。

 本能的な体の動きなのか、気道を広げようと首に力が入る。

 手足が痺れ、体の感覚がなくなっていく。



 ……このまま死ぬんだな。



 そう思った時だった、右腕に違和感を感じたのは。


 何かがぼくの腕を掴んでいる。

 苦しくも、気持ちよく浮かんでいたぼくを邪魔する奴は誰だ。

 うたた寝を邪魔された時のように、薄らと目を開けた。


 水の中で目を開けているはずなのに、目に痛みが走らない。

 真っ暗であるはずが、右手の先に何かが見える。

 本当に目を開けているのかはわからなかったけど、目を細めて右手の先に焦点を合わせていった。


 右手の先、池の底にあったのは地獄絵図だった。

 地獄に落とされ、炎で焼かれ、もがき苦しんでいるような、人間にも昆虫にも植物にも見える、黒々した異形の者たちが、幾重にも重なった手の塊を伸ばし、ぼくの右腕を掴んでいたのだ。


 魑魅魍魎(ちみもうりょう)

 ぼくはそう直感した。


 死ぬ覚悟でいたぼくであっても、地獄絵図を見た途端、死への戦慄、生への渇望が生まれた。


 魑魅魍魎から離れようと必死にもがき、あらがった。

 水中でできる最大限の抵抗として、駄々をこねるように体をひねった。

 だけど、周囲がぐるぐると回るだけで、魑魅魍魎が離れる気配はまったくない。

 魑魅魍魎に誘われるように、眼下に広がる地獄へと、じわりじわり沈んでいくだけだ。



 ……もう死ぬんだな。



 死神が扉をノックする音が大きくなり始めたその時、地獄と対峙するように光が生まれた。


 光はそれ自体に輪郭があるようにクネクネと形を変え、ついには人の形へと変貌し、ぼくへと手を差し伸べていた。


 ぼくは死にかけている細胞を奮い立たせ、自由に使える左手を目一杯光の手へと伸ばした。

 掴んだ光の手から伝わってくるのは、他人の手の温もり、懐かしさ。

 いつしか池の底にあった魑魅魍魎が住む地獄は消え去り、あたり一面は純白の世界へと様変わりしていた。


 全身を包み込む光の温もり。

 蘇る日向ぼっこの気持ちよさ。


 ぼくは自然と目を閉じていた。

 全身から力が抜けていき、意識が遠のいていく。

 雲の上で寝ているような感覚――現実には不可能な子供の夢。

 それでも、雲の上にいる心地のままに、天に昇っていく心地のままに、ぼくは深い眠りへと落ちていった。

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