05 黒猫という案内人
猫は池までの案内人らしい。
ぼくが一歩踏み出すと、猫は五、六歩前へ進む。
猫は度々こちらの様子をうかがいながら前を歩いていく。
一定の距離があくとその場で座りこみ、こちらが近づくのを待っていてくれる。
今日は猫という案内人がいるけど、今歩いているのがいつもの散歩コース、という名の道路だ。
道路はその縁まで草木に侵食され、照明灯はその木に埋もれ、夜には懐中電灯がないと徒歩移動は厳しいくらい暗い。
逆にいえば、普通は車で移動するもの、ということだ。
元々人通りはない道だけど、夜ともなれば聞こえてくるのは、風に揺れる葉音、うなるような照明灯の機械音、鈴虫の鳴き声とが奏でる音楽のみ。
しばらくそのBGMを聞きながら猫の案内のもと歩いていくと、ぼくがこの町で一番好きな場所、富士山公園が見えてきた。
別に富士山が見えるわけではない。
富士山のような形をした滑り台、別名、富士山滑り台がメインの遊具だからこの名称で呼ばれている――いや、呼ばれていた、というべきか。
ぼくが小さい頃は、町の中心から遠いこの公園でも、ブランコやジャングルジムには子供の行列ができていた。
特に、富士山滑り台の頂上まで一気に駆け上がれるかと、皆躍起になったものだ。
子供を連れてきた親たちは、町を一望できる展望台のベンチで井戸端会議。
だけど、今の公園には子供の姿はおろか、人っ子一人いない。
遊具の老朽化が激しく、縞模様のロープがいたる所に張り巡らされたまま放置され、忘れ去られている。
それでもぼくはこの公園が好きだ。
友達がいたとしても、この場所は絶対に秘密にしておく。
なぜかって?
誰も利用していない。
そこが好きなのだから。
寂れ、人が寄りつかなくなって久しいせいか、この公園のどこにいても、どこに触れても、他人の【影】を感じることは一切ない。
ここは、ぼくがぼくであることを確信し、安心して過ごせる貴重な場所。
町という砂漠にあるオアシスとでもいおうか。
夜の散歩では必ずここへ立ち寄っていた。
富士山滑り台の上から足を投げ出して、ぼんやり町を見下ろしたり、
展望台から町を眺めながら、街灯の明かりを頼りに絵を描いたりもしていた。
でも、今日は公園の入口を見るだけにとどめよう。
実行に移そうとしている計画にためらいが生じる前に池に着く。
それが今の最優先事項だから。
そこからさらに丘を下っていくと、川のせせらぎが聞こえ始めた。
進めば進むほど、川の流れる音が大きくなってくる。
つれて鼓動も徐々に速まっていく。
鼓動に急かされるように早歩きでやってきたのは、道が二股に分かれた地点。
いつもならば、川沿いへと続く右を選ぶけど、今日は違う。
猫もそのことをわかっているのか、左の道でこちらを見つめたまま座っていた。
そうだ。
この左の道こそ、あの池へと続く道だ。
この道へ進むことは、小さい頃から両親に禁じられていた。
かなづちのぼくを心配して、池から遠ざけたかったんだろう。
今日は天使に会ったあの日以来、再び約束を破ることになる。
踏み入れた左の道は、舗装されておらず、歩くたびに靴底が砂利に削り取られていく。
街灯もなく、懐中電灯をかざしてもまだ暗い。
猫の姿も闇に溶け込んで見えにくくなってきた。
今朝見た夢の世界へ迷い込んだように、周りの音も次第に薄れてきたような……。
そのまま暗闇を突き進んでいくと、懐中電灯の照らす先がひらけてきた。
あたり一面が暗闇に支配され、音も闇に支配されて完全に消え失せた世界。
そんな闇の世界に、目的の池はあった。
陰鬱な雰囲気を纏った、低木やら雑草やらの観客たちが見守る池。
豆のような形をした池の中心に向かって、花道のように小さな桟橋が迫り出している。
けど、桟橋はずいぶんと老朽化し、所々に穴が開き、今にも崩れ落ちそうだ。
池の中に不法投棄されているゴミと一体化する未来が、今からでもありありと見て取れる。
きらり。
二つの玉が暗闇の中で光った。
懐中電灯を握る手に自然と力がこもり、池の周囲に向けていた光を、その玉へとぎこちなく向けた。
玉が浮かんでいたのは、桟橋の先端。
ここまで案内してくれた黒猫がちょこんと座り、こちらを見つめていた。
……ここから行け、ということか。
猫の待っている桟橋へ近づくほどに、不法投棄されたゴミから視線を感じる。
ゴミに残された所有者の念が、ゴミという体を得て、ぼくを取り込もうとしているような。
……大丈夫。
……大丈夫。
……ぼくはここにいる。
お経のように繰り返しながら桟橋の先端まで来るも、黒猫は手品のように消えていた。
あたりを照らしてもどこにも見当たらない。
黒猫は案内の役目を終えて、どこかへ帰ったのか。
それとも、最初からぼくの幻覚だったのか……。
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