04 夜の町
家の中を一通りまわり、新居のように整理整頓された状態となっていることを確認してから、玄関へ向かった。
スニーカーに履き替え、靴箱の上に置いてある懐中電灯を手に取る。
いつもなら、飲み物や軽くスケッチできるような道具も持っていくけど、今日に限っては、夜道を照らすためのこの懐中電灯だけで十分だろう。
今からぼくは、日課である夜の散歩に出かける。
この夜の散歩は、一人別居するようになってから始めたものだ。
始めた理由は二つ。
一つは、人出が多い日中は雑音が頭に入り、落ち着いて出歩けないと考えたから。
ひと気のない夜だったら、気兼ねなく自由に行動できるというわけだ。
もう一つは、あの女性、『天使』を探すため。
日課として夜の町を散歩しながら、彼女の痕跡を探し続けてきた。
だけど、池での一件以来、一度も会えていない。
散歩コースにあの池がないことが原因なんだろうけど、死の扉をノックしたあの池は、ぼくにとっては恐怖の対象であり、近づこうとは到底思えなかった。
でも、今日のぼくは違う。
今からあの池へと向かうんだ。
錠をはずし、家の外へ出ると、鈴虫の軽快な鳴き声が至る所から聞こえてきた。
見上げた夜空には、夏の大三角が煌めいている。
ぼくは玄関から裏手へ回り、二つの意味で、夢のぼくと同じように手すりにもたれかかった。
そこから見える町は、ぼくが生まれ、育ち、作品として描いてきた、という三つの顔を持っている。
夜になると道路沿いのガス灯が点灯し、ガス灯のやわらかなオレンジの明かりと、月明かりとが、家々の輪郭を浮かび上がらせる。
町のモニュメント的存在、時計塔はというと、その存在は夜に一層際立つ。
時計塔内部から光が当てられ、夜の町を監視する目のように、文字盤が上空にぽつりと現れるからだ。
明かりがあるからこそ際立つこの暗さ。
ぼくはそれが好きで、作品として夜景のみを描き続けてきた。
日中の町の絵は描いたことはなかった――というよりも、描けないといった方が正しいかもしれないけど。
夜のみ活動するようになり数年、日中の町の記憶は薄れてきている。
もしかしたら、日中の町は、夢のような様相を呈しているのかもしれない、
と考えてしまうほどに、日中の町からは疎遠になっていた。
今度は手すりに背中を預け、裏手から平屋を眺めてみる。
平屋の奥、さらに丘を上ったところにある建物が、遠くに大きく見える。
この建物は家から徒歩で十数分、割と近い場所にある。
ぼくの家は平屋の一軒家だけど、この建物はその規模からしても屋敷、洋館と言った方が正しいだろう。
その屋敷は二階建てで、正面から見るとシンメトリックな構造になっている。
外壁は赤煉瓦が積まれた作り。
屋根には青黒い板が魚の鱗のように並べられ、玄関扉は木製の観音開きだ。
正面左右には出窓があり、それ以外にも、上げ下げして開けるタイプの窓がいくつも取り付けられている。
屋敷には裏庭もあり、こちらもシンメトリックな作りで、季節ごとに様々な草花を楽しめる。
ぼくがこれほどまでに詳しい屋敷の主は誰か。
それは町長、つまり、ぼくの父だ。
今住んでいる家に来るまでは、ぼくもこの屋敷で暮らしていた。
その屋敷から一人別居して数年。
両親がこちらに来たことは一度もない。
ぼくも屋敷へ足を向かわせたことは一度もない。
関わりといえば、屋敷の使用人が食料を持ってきたり、出来上がった作品をピックアップしにくるだけだ。
といっても、使用人とぼくとが顔を合わせることはなく、屋敷とぼくが、絶縁状態であることには変わりない。
……両親は、今頃どうしてるんだろう。
と思い浮かぶこともなく、ぼくはすぐに、丘下に続く山道へと進行方向を定めた。
すると、その道の真ん中に猫がいた。
道沿いの照明灯に照らされた黒猫は、こちらを見据えたままどっしりと座っている。
……一度も見たことのない猫だな。
ぼくは目をつむり、十秒数えてから目を開けてみた。
それでもまだ、黒猫はこちらに顔をむけたまま、行儀良く同じ場所に座っている――まるで、ぼくが来るのを待っているかのように。
「黒猫さん。何か用かい?」
猫は相も変わらずこちらを見つめている。
「黒猫さん。何か用かい?」
もちろん、猫からの返事はない。
……猫に話しかけても無駄か。
……何をしてるんだ、自分は。
さっさと懐中電灯の電源を入れ、ぼくは丘を下り始めた。
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