01 見知らぬ人、見知らぬ町
今日中に3話投稿します(2/3)
目覚まし時計のベルが音もなく激しく揺れている。
そばのベッドの上では男性が横になり、枕に顔を埋めている。
男性は目覚まし時計を手探りで探し当て、撫でるようにアラームのスイッチを切った。
タオルケットを体からどかし、手をついてベッドから立ち上がる。
と同時に、部屋が明るくなった。
……ここはどこだろう?
……そもそも、この人は誰?
男性の身長は高く、天井の高そうな部屋もちょうどいいサイズに見える。
その男性は、どこにでもありそうな半袖半ズボンの寝間着姿。
夏にぼくが寝る時と同じような服装をしている。
……今、ぼくは全く暑くないけど。
袖口から伸びる男性の手足は人形のように白く、痩せ細った手足が男性をより長身に見せている。
顔はというと、部屋が明るくなったにも関わらず、闇に隠れてどうにも見えない。
ぼくが男性の顔を見ようと躍起になっていると、男性はドアノブをひねり、部屋から出ていった。
……あれ?。
……アラームの音も、扉を開ける音も、聞こえなかった気がするけど。
音のない世界を不思議に思いつつも、男性のあとを追った。
一歩扉から出ると、そこは廊下という室内ではなく、空の見える屋外だった。
振り返るとそこにあったのは、家族数人でも十分住めそうな平屋。
まだ暗いけど、かすかに差し込む明かりが平屋の影を地面に落としている。
その地面には草木の一本もない。
だけど、少し視線をずらぜば、自然豊かな山道が伸びている。
自然の中にポツンとあるこの人工の平屋は、まるでドールハウスみたいだ。
ならば、男性はドールハウスに住む人形といったところか。
その男性はいつの間にか半袖長ズボンに着替え、玄関から平屋の裏手へと進んでいた。
気づけばぼくも、男性と同じ服を身に纏っていた。
男性がいたのは、砂の地面むき出しの空き地。
空き地の輪郭にある手すりにもたれかかりながら、男性は何かを見下ろしている。
……ここは高台の上なのかな?
空き地に足を踏み入れるも、靴が擦れる音は聞こえない――どこまでも音がない世界。
ぼくは男性の隣まで行き、手すりを握って下を見た。
ちょうど太陽が昇り始めた。
日の光のスポットライトを浴びて浮かび上がったのは、ドーナツ状に連なる丘だった。
丘は平屋の左右まで円形状に繋がっており、そのドーナツの穴には、外界との接触を断っているコロニーを想起させる町があった。
周囲を丘と川とに囲まれた町――中心部が盛り上がった半球状の町。
町の輪郭を描く川は、町にさしかかるところでいったん二手に分かれ、この丘の下で再び一本に戻っている。
そして、その収束地点には大きな池が鎮座していた。
そんな町の中で、真っ先にぼくの目を引いたのは、中央にそびえ立つ赤レンガ建築の時計塔だった。
時計塔以外に別段高い建物はなく、ひときわ目立つ時計塔は、町に降ってきた雷のような異様な存在感を放っている。
他の家々はというと、その時計塔を起点として蜘蛛の巣状に広がっていた。
家のまわりにはコンクリート塀が設置され、それが家よりも異様に高いせいか、それ自身が道の輪郭を形成しているようにも見える。
……まるで、時計塔をスタート地点とした巨大迷路みたいだ。
コロニーに敷設された迷路のような町に目を奪われていると、太陽はすでに南の空へと移動し、高々と自分の存在を町全体に見せつけ始めていた。
太陽のするどい光が目を刺した。
ぼくは反射的にまばたきをした。
まぶたを閉じて開く、この一瞬の間に、隣にいたはずの男性が消えていた――消えつつあった。
男性は太陽の光から逃げるように、足先からまっすぐ地面の中へ沈んでいた。
男性だけではない。
ぼく自身も沈み始めていた。
けど、恐怖感はない。
お風呂に浸かっているような心地よさとでもいおうか。
吸い込まれた先の世界。
空間いっぱいに広がる雲に、自分の視界だけがくっついたような感覚の世界。
暗闇の世界。
ぼくで満たされた、ぼくだけの自由な無の世界。
先に来ているはずの男性はどこにいるのか。
体の感覚がないまま、前も後ろもわからないまま、縦横無尽に視界だけで動き回っていると、薄く発光する何かがポッと現れた。
近くで見てみるとそれはガラス板であった。
P三〇号キャンバスくらいあるガラス板は、全体が淡く白く輝いていた。
心地よく開放的なこの闇の世界。
このガラス板を見るまでは、雲のような広がりを見せていた自分という存在。
その存在は、ぼくがいるこの場所を目指すように集結しだし、人の形を描き、重さを得た。
ぼくは肉体の感覚を取り戻していた。
と同時に、暗闇を下という概念に向かって落ち始めていた。
落ちている感覚はあるものの、どこまでもついてくるガラス板。
ガラス板の光は徐々に強さを増し、目を細めてしまうほどに眩しい光を放ち出す。
暗闇はその光に追いやられ、光が世界を埋め尽くしていく。
ぼくはその世界で唯一の闇であった。
ぼくは真っ黒な体を持っていた。
光は最後の仕上げに、ぼくを標的にしたようだ。
光はぼくの体に染み入り、体にいくつもの光の筋を作っていく。
真っ黒な体に光のヒビが入っていく。
瞬く間に全身にヒビが広がり、ぼくの体は崩れ落ちた。
崩れた体のかけらは、綿飴のように光の中にすっと溶けていき、ついには体の全てが消え、ぼくという意識だけが光の中に取り残された。
その意識さえも光に包まれ、曖昧になっていく中、ガラス板に鮮明な映像が映し出された。
平屋から空き地と町とを撮影したような映像だ。
でも、男性の姿はどこにも見当たらない。
町にあった異様な高さのコンクリート塀も消えている。
太陽の光のもと、生き生きと脈打つ町だけが、ガラス板の向こうに広がっていた。