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06 負けは負けだが素直に従いたくはない

 ディアークは勝ち誇ったような表情を浮かべているわけではない。例のふにゃふにゃと気が抜けそうな表情で私の手を取ると背中に腕を回した。これを俗に何というか、さすがにザーリアだって知っている。

 抱擁ハグである。


「ザーリア、嬉しいよ。こうして君に触れることが出来るなんて」

「……私は全然嬉しかねーけどな。ったく何考えてんだおまえ。理解不能だ」


 結婚。しかもこの帝国の皇太子と、だと――? いまだって上等な暮らしこそしてはいないが、そんなふざけた人生設計はしていない。数拍のあいだ私は知恵をぎゅうぎゅうと雑巾みたいに絞って考えた、必死に。この場限りでもいいからとにかく逃げる方法を考えなければなるまい。


「ちょっと待てディアーク殿下。あー……悪いが私にはちょっと野暮用があってな、すぐあんたの手を取りお城へ、なんてことはやってられねーんだ」

「野暮用? それはザーリアにとって俺よりも大事なこと?」


 蒼い眸がかすかに輝きを失い淀んだように思えた。そこには底なしの沼のような不気味さがある。思わず唾を飲み込んでしまうほどに陰鬱な表情をしていた。至近距離で見ていた私だけしかその微妙な変化には気が付かなかっただろう。


「い、いや……仕事と人間は比べられねえだろうが、さすがに」

「仕事……ねえ」


 ディアークの表情が元の朗らかでほわほわした雰囲気に戻る。あ、やばい。こいつ妙なこと考えてやがる。そう思ったが私が何かを言うよりも早く、奴は言った。


「俺も手伝わせて」

「……手伝う? おまえが? 私の仕事をか」


 今度は「いけませんわ、殿下!」と従妹のメイヤから横やりが入った。いいぞもっとやれ、と私は内心思っていた。ただ、先ほどの綿毛のようなほわほわはどこへやら、すんとした皇太子然とした冷ややかな笑みを浮かべているのを見て背筋がぞくっとした。


「ザーリアの仕事は、その……はしたない仕事なのですわ。殿下のお耳に入れるのも憚られるような、そういった」

「つまり、シュタイン伯爵家は親類であるザーリアに必要な援助を行わず、君の言う《《はしたない》》仕事を強いていたわけなのだが。それで――俺の理解は正しいのか?」


 真冬の冷気と巨大な石を背負わされたようなひどい圧で、口を挟んでしまった哀れなメイヤは竦みあがっていた。おいおい、皇太子殿下っていうのはこんな性格破綻者で大丈夫なのかよ、と他人事のように私は考えた。まあ、いいこのあたりで訂正しておいてやるか……気の毒だし。


「――あのなあ、勘違いしてるようだから訂正しておくよ。私は確かに身体を売っちゃいるが……」

「ザーリア!」


 がばっとディアークが私に向き直ると先ほどよりも力強い抱擁をしてきた。

 く、苦しい……まともに息が出来ないほどに力が込められている。


「いい、何も言わなくていい。ザーリアに酷いことをした伯爵家はもう爵位剥奪ということでいいね?」

「いや、それもおまえの好きにすりゃいいんだけど」

 

 ザーリア! と悲鳴のような叔母と従妹の声が聞こえた。とうの伯爵は狩りに出ていて不在だ。いたらいたで話がややこしくなっただろうからちょうどよかった。


「……私は娼婦じゃない」

「うん、そのとおりだ。ザーリアはどんな仕事をしていたとしても心までは汚されないっ!」

「だーかーらー、違うって言ってんだろうが!」

「ぐふぁっ!」


 ディアーク殿下から聞こえてはならないようなうめき声が上がった気がするが、気のせいだ。うん。そうに違いない。拳を握ったまま、私は深く息を吸い込んだ。


「私は、《《冒険者》》だ! 『銀の翼』っていう金次第で何でもやる、ただし法律の範囲内で――っつうギルドに所属してる。そんで私が引き受け済の依頼が何件か残っているっていうことだから。おい、わかったのか?」


 残念ながら、ディアークからは返事はない。

 ぱたりとザーリアに向かってしなだれかかってきた皇太子殿下は、すっかり気を失っていたのだった。

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