第094話 「気がつけば闇の中」
(ロジャー視点)
「私には未来を見通す能力があってな。あの時、お前達は行き倒れになる可能性があった」
オウルフェイス。梟の目が、無表情に僕を見つめてくる。何だか怖い。
「私はお前達を助けてやったな。今度はこちらの願いを聞いてもらおう」
その台詞が音に聞く悪魔の契約じみていたので、僕は内心身構えた。
「貴方は、悪魔……だったんですね」
「まあ、人間側が勝手にそう呼んでいるだけだ。力無き人間達は、超常の存在を悪魔と呼んで恐れる」
オウルフェイスの梟の顔からは、一切の感情が読み取れない。
悪魔と呼ばれてもその声音は穏やかなまま、彼は話を続ける。
「お前には、いずれ我々と共に闇の使徒として戦ってもらう。闇の女神ネフェルディーテ様の使いとなるのだ」
頭の中で警鐘が鳴った。
これは……これは。
もしかして、マズいんじゃないの?
僕は師匠に鍛えられて育った。苦しい修行に耐えられたのも、全ては正義の側に立って戦える人間になりたかったからだ。
あの勇者エリクに憧れた。光の陣営の尖兵になりたい、と思っていた。
僕なんかじゃ烏滸がましいかも知れないけれど。
いつかはあの勇者の隣に立てるような、立派な人間になれたら。そう思って頑張ってきたんだ。
「師匠! どういう事です? 何なんですかこれは!」
僕が怒鳴ると、女神と会話していた師匠が面倒臭そうな顔をして振り向いた。
「あぁ? 何だ?」
「このおじさん、悪魔だそうですけど!」
「あー、オウルフェイスは悪い悪魔じゃないから心配すんな。俺たちの味方だ」
ええ? 悪くない悪魔なんて、存在するの?
いや、それで引き下がれる問題じゃない。
「闇の使徒になれって言われてるんですけど、何なんです? これはどういう事ですか!」
「何ってお前はこれから、この闇の女神ネフィの使徒になるんだよ」
ネフィ? ああ、師匠はそう呼んでいるんだ。親しげに。
あの明らかに怪しい、黒曜石のように艶めく滑らかな人型のモノを。
闇の女神、ネフェルディーテとかいうアレを。
「名誉な事だぜ。光栄に思えよ」
それだけ言うと師匠は女神に向き直って、また話を続ける。
「それで本契約は、剥けてからにしよう。もう二、三年待てばいいと思うんだよ」
「あらやだ、そんな理由で?」
「ツルツルホーケイのままじゃ、可哀想だろ」
「まあ確かにそうね。フフッ、御免なさい……ウフフフ!」
女神は笑い、二人は和やかに談笑している。僕の思いが全然伝わってない温度差を感じた。
僕がどれだけ訝し気に見ていても、一向に意に介してはくれなかった。
そしてまたあの謎の言葉だ。
「あの、師匠? 何言ってるんですか? 僕、悪魔に言い寄られてるんですよ!」
苛立ち紛れに叫ぶ。
「それと、さっきから何なんです? その、ツルツルホーケイって。意味分からないんですけど!」
すると師匠はまた面倒臭そうな顔をした。
「あー。だからまあそのアレだ。お前、チンポ剥けてないだろ?」
「は?!」
何の話をしてるんだ、この人は。
「そんな事、今はどうでもいいんですよ! それより使徒って一体何なんですか?」
「いや、大事な話だぜ? 使徒になると成長止まるんだよ。お前、一生子供チンポでいいのか?」
見るに見かねた様子で、女神が間に割って入ってきた。
「アイザック、多分伝わってないわ。そんなに連呼しても無駄よ」
そこにオウルフェイスも加わる。
「女神の使徒となれば神性を帯びる。老化しなくなるのだ。つまり身体の成長も止まる」
「そうそう。だからチンポも子供のままになっちまうんだ。やる時笑われるぜ。それじゃ嫌だろ?」
「アイザックちょっと、言い方!」
なるほど、大体言いたい事が分かった。
僕を闇の女神の使徒にする予定は勝手に決定されていて、僕のチ……身体の成長を待とうって話なんですね。
そもそもあそこって剥けるの? どんな感じで? それ絶対、痛いんじゃないの?
闇の使徒に、身体の事。それを今まで知らされもせず、今更になって聞かされて。
怖い。これからどうなっちゃうのか、想像もつかないんだけど。
一瞬で思考して何重にもショックを受け、僕の内心はグチャグチャになった。
「そ、そういう問題じゃないでしょう! 僕は闇の女神の使徒になんて」
「あー、これでは話が前に進まん。ネフェルディーテ」
オウルフェイスがサッと女神に近寄って、何やら耳打ちをした。
すると女神は、そうねと笑って僕に近づいた。
「そんなに怯える必要は無いのよ。今日は仮契約だけしておくわね」
「あっ」
僕は女神の抱擁を受けた。
避ける暇は、あった。でもつい……避けずに、抱きつかれてしまった。
ああ、僕はなんて愚かなんだ。
ツヤツヤの黒い石のような怪物めいた見た目の女神に、油断した訳じゃない。
だって身体はもちろん、顔も何も見えない相手なんだから。
でも、形だけは女性の……長髪にグラマーな女神がハグしてくるのに、抗えなかった。
僕は女神の胸の辺りに顔を埋める形で、身体を包み込まれるように抱きしめられる。
淡い青色に光る黒い石にしか見えなかったのに、女神は柔らかかった。
言い表せない満足感を感じて、クラクラする。
僕は馬鹿だと自分でも思う。こんな奇妙な相手にまで。
「はい、終わったわよ。これで貴方は私の使徒」
その結果。僕の身体に重大な変化が起きた。
「うわあああ!」
身体が真っ黒だ! 服ごと真っ黒い影になってしまった!
力が溢れてくる。身体中がマナの塊になったように感じる。
普段の何十倍にも膨れ上がった力が、高揚感をもたらす。
「落ち着いて。心を穏やかに保つの。戻れ、と念じてみて」
幸いにも女神の言う通りにしたら、僕の身体はすぐ元に戻った。
「よーし、これで安心だ。こうやってツバ付けとけば、エルフの時みたいに他の神から誘われなくなるからな」
師匠が言った。
でもつまり僕は、これでもう闇の女神の使徒決定な訳だ。
「あ、ああ……あああ!」
二度と光の神様からは、目を掛けられなくなった。何故か本能的にそう理解出来た。
よく分からないけど、何らかの不可逆な変化が起きた。魂から何から、闇に染まったように感じる。
「なんて事を! 酷過ぎる。あんまりだ!」
僕は激情にかられ、泣き叫んだ。
「落ち着けロジャー。これでお前も俺の使っている技が使えるようになったんだ。喜べ」
戦術流派には、普通の人間には使えない奥義があった。
それは当然だ。人間じゃなくて、悪魔にでもならなきゃ使えない技だったんだ。
「まあ力を使いこなすには多少の修練が必要だがな。まだ仮契約だし、一日の僅かな間だけしか影になれねえから」
師匠は色々説明してくれているけど、全然頭に入っていかない。
「これからお前には闇の陣営として、俺と一緒に戦ってもらう。やっとここまで成長したな」
師匠は感極まったみたいに喜んでいるけれど、それが一層僕を苛んだ。
「僕は……僕は! 悪の手先になるつもりはありません!」
「はぁ?」
「もう辞めます。僕はもう、貴方の弟子を辞めます!」
僕が叫ぶと、師匠が拳を構えた。
「何言ってんだこのッ!」
「暴力はいかんぞアイザック!」
オウルフェイスが止めようとしたみたいだけど、そんなので止まる人じゃない。
僕は一発殴られたままの態勢で、何とか倒れず踏み留まる。殴られる覚悟なんて決まっていた。
だからすぐ立ち直って、師匠の目を見る。睨み合う形となった。
「殴るんですか。でも、僕の心は折れませんよ」
「クッ……!」
毅然と言い放つと、師匠はそれ以上何も言えないようだった。
僕はクルリと踵を返し、来た道を歩き出す。
女神もオウルフェイスも、言葉は無かった。
その内に僕は走り出し、もう振り返らなかった。
「確かこの辺だったはず」
聖域だか魔界だか分からないここを出る為、短い呪文を唱える。
「開け・ゴマ」
何故ゴマなのか、僕に意味は分からない。ただ、そういう呪文だ。
僕は無事に現実世界に戻って、横穴を出る。
「どうやって上に戻ろう?」
ここからが困るところだ。地上まで到底登り切れない深い崖の底。
怒りに任せて飛び出してきてしまったけど、登る方法なんて考えていなかった。
でも今更もう戻る気は無い。
「さっきの力が使えれば……」
僕はさっきの、使徒の力を思い出す。
それと師匠の使っていた技、流星天翔を。
「んと、こう……かな?」
感覚だけでしか理解出来ない。けど、使徒の影と化すやり方は分かった。
「出来た!」
禍々しい影の姿。今は嫌でもこの力に頼らざるを得ない。
飛翔するイメージで地面を蹴っただけで、空を飛べるかな?
駄目だ、高く跳躍しただけだ。岸壁にぶつかって落下した。
地面と激突しても然程のダメージが無いのには驚く。
「あ……早くしないと終わる」
これも感覚的なんだけど、使徒の力はそんなに長く使えないみたいだ。何かが閉じていく感じがする。
僕は急いで崖を登った。必死に両手両足を動かして、壁面を虫が這うようにして。
どうやら影になっている時の僕の身体は鋼鉄のような強度で、力もメチャクチャ強くなっているみたいだった。
硬い岩のはずの壁面を、ガリッとつかむと容易く削り取れて指が掛けられる。
地上まで登り切った後は、使徒の力が切れる前までに急いでこの場を離れた。
この身体能力がある内でなければ、岩場の踏破は難しかったと思う。
その後は三日掛けてウェストリコまで帰った。
当然だけど、師匠はとっくに戻っていたみたいだった。
机の上に手紙が置いてあったんだ。
「すまなかった。また話し合おう」
とだけ書かれていた。




