第072話 「思いがけない幸い」
「あった!」
やがてロジャーが叫ぶ。
ついに左腕が臓物の血の池地獄から見つかったのだ。
誰もが絶句した。それはあまりに酷かった。
赤黒く変色し、関節ではない所から不自然に折れ曲がった腕。皮膚は溶けてデロデロになっている。毛細血管から血が噴き出して、したたり落ちていた。
「ちょっとそれこっちに持って来なさい! 洗ってあげるから!」
マデリンが水を創造する魔法で水流を浴びせる。
そうしてとりあえず汚物同然に見える肉塊を、かろうじて腕だと言えば腕に見えない事も無い状態にした。
ついでに血塗れの二人は顔と手だけ洗わせてもらった。
正直なところ今すぐ頭から全身を洗い流したかったが、そうすると真冬の寒気でやられてしまうので我慢するしかない。
寒気といえば風が容赦なく吹き曝しの状態だったので、先程ベルドリットが風の精霊シルフに話し掛けて無風にしてもらっていた。
「ありがたい。後は腕をつけるだけだ。ロジャー、俺の左肩の傷口を斬ってくれ」
あまりにも凄惨な頼み事に、皆が息を呑んだ。
アーロンの超回復能力は左肩を塞いでしまっている。そこを斬らねばならないというのだ。
「う、うん・・・・・・」
だがとても上手くやれる自信が無かった。食用の肉を包丁で切るのとはワケが違う。
ロジャーは顔面蒼白で解体用の小刀を握る。
それでも、やらなければならない。
・・・・・・手が、震えていた。
「大変だろう。僕がやってやろうか?」
躊躇しているロジャーの肩に、エリクが手を置いた。
「仲間を傷つけるのは辛いだろう。僕の剣なら一瞬でそこを斬れるよ」
余程の自信だ。勇者の剣は相当に切れ味が良いのだろう。
「あ、ありがとうございます! ううっ・・・・・・!」
目に涙を溜め、震える声でロジャーは礼を言った。感謝の念で一杯になり、感激して嗚咽が漏れる。
流石勇者だ、と少年は憧れの眼差しでエリクを見つめた。
「ちょっと興味が出たんだ。鬼族の超回復能力というのを見てみたい。本当にこんな酷い状態の腕がくっつくのかをね」
エリクが聖剣を抜いて両手で構え、アーロンの脇辺りに当てがった。下から上方向へと、肩口の肉を斬り飛ばそうという態勢だ。
「じゃあいくよ。やっちゃっていい?」
だが、いざというところでマデリンが止めた。
「ちょっと待って! こんなの無茶よ。仮に腕がくっついたとしても、汚れた血が全身に巡って身体が持たないわ」
ビノラオスの医療知識は進んでいる。マデリンは学校でそのような知識を学んだ事があった。腐った血が身体に巡れば死んでしまうと。
常識的に考えればその通りであろう。腕は折れ曲がった肉塊にしか見えない。魔獣の胃酸で消化されかけてデロデロになっているのだ。色から見て壊死している。
アーロンが苛立ったように答えた。
「俺は鬼族だ。付ければ治る。止めてくれるな」
実のところアーロン本人ですらも、これが危険な賭けである事は分かっている。
それは皆に伝わっていた。恐らく錯乱に近い狂気のようなものがあった。
「剣士にとって腕は命も同然。それで死ぬなら、それまでの運命だったという事だ」
確かに鬼族の超回復能力は、人知を超えた力であろう。だがそれでも限界というものがあるのではないか。
「鬼がどれ程の物か知らないけど、下手したら死ぬわよ! いいの?」
この場で進んだ医療知識を持っているマデリンだけが、血相を変えて蛮行を止めた。
「あぁもう。マデリン。本人がやると言っているんだ。止めると覚悟が鈍るよ。可哀想じゃないか」
聖剣を肩に担ぎ、辟易したように声を上げるエリク。
こっちはこっちで無責任ではあるが、一理ある事を言う。
「無茶をして死ぬ方が可哀想よ。本来なら薬と、回復魔法でも併用して」
マデリンが正論を言った時、堪え切れないといった様子でアーロンが叫んだ。
「じゃあ魔法でアンタが何とかしてくれ! 早くしないと腕が死んじまう!」
これでマデリンはキレてしまった。
「はぁ?! 聖職者でもないのに、回復なんて神聖魔法使える訳無いでしょ!」
これだから無知は嫌だ。医療知識の無さと覚悟。無責任な決断。全部間違っている、とマデリンは憤慨した。
「あぁあぁもう知らないわ。好きにしなさい。馬鹿が馬鹿をやった結果死のうと、アタシの知ったこっちゃ無いわ! さっさとやったら?」
「あ。キレた」
エリクが頬を人差し指で掻きながら、まずいなーといった表情で宥めた。
「マデリン、今は抑えて。彼も気が立ってるんだ。落ち着いてよ」
憤懣やる方無い様子であったが、マデリンは落ち着きを取り戻した。
「これ、痛み止め。激痛には効かないけど、無いよりはマシなはずよ」
マデリンは薬を渡す。
大分冷静になったのかその後、消炎症魔法を掛けてくれた。
人体の火の気を抑制して解熱し、余分な炎症を抑える効果があるという。
その様子を見ていたエリクが苦笑いする。
「ほとんど気休めだね。あまり効果は期待できないな」
確かにこれから腐ったような腕を一本繋げるのだ。この処置では心許無かった。
「仕方無いでしょ。今はこの程度しか出来ないの」
マデリンが悔し気な声を出した。
「もういい。早くやってくれ」
アーロンはエリクに左肩を差し出す。
「魔法使いさん・・・・・・ありがとう。さっきは怒鳴ってすまなかった。手を尽くしてくれたな。感謝するよ」
穏やかな表情だった。
マデリンは難しい顔で押し黙っていた。
「よし、じゃあいくよ」
エリクが聖剣を当てがって、斬りつける準備態勢になる。
皆が緊張の面持ちで見守る中、気合い一閃、アーロンの肩を薄く斬り取った。
すかさずロジャーが左腕を付ける。
ジュワアアア! という音。
「ぐっ、うう・・・・・・」
肩と左腕の断面が付いた所から、激しい蒸気が上がった。
ジュウジュウと音を立て、肩の傷口が塞がっていく。
「ほぅ・・・・・・これが鬼の超回復能力か。なるほど凄いな」
目の前でみるみる治っていく傷口に、エリクが感嘆の声を上げる。
そうしている内に、もうすっかり傷口は塞がった。
だがその数秒後。
「ぐ、ぐ! ・・・・・・ぐああああああ!」
案の定、アーロンが激しく苦しみだした。
痛みに頑強な彼が、珍しく悶えている。しばらくそうしていたが、ついに仰向けに倒れて仰け反った。
そのまま苦悶の声を上げて苦しみ続ける。
「ほら御覧なさい! 言わない事じゃないわ! やっぱり無茶だったのよ!」
マデリンが声を上げる。
アーロンは意識を失ってしまい、ロジャーが狼狽する。
「ど、どうしよう!」
「もう手の施しようが無いわ。回復魔法でも使えなきゃ治せないわよこんなの」
回復魔法。
ロジャーはぴーちゃんを思い出した。こんな時にぴーちゃんが居てくれたら。
(いや、ぴーちゃんは最後の力を僕に使って消えちゃったんだ。もう居ない)
あの愛らしい鳴き声を思い出す。
「ぴーちゃん・・・・・・」
ぴぃ~。という小さな鳴き声が、聞こえたような気がした。
「・・・・・・えっ、ぴーちゃん?」
ぴぃ~。微かにそう聞こえる。
(まただ。気のせいじゃないよこれ?!)
「ぴーちゃん? どこ? ぴーちゃん!」
首の後ろ辺りからぴぃ~と小さな鳴き声が聞こえるので、ロジャーは防寒着を引っ張ってフードの中を覗いた。
「ぴぃ~!」
「居たあああ!」
ぴーちゃんは豆粒ほどの大きさになって、フードの中に入っていたのだ。
ピコピコと極小のお手々を動かして、自分はこんなにも元気だとアピールしているようだった。




