第067話 「魔王と勇者」
「何処へ行こうと言うのかね? まさか、逃げ切れるなどとは思っていまいな?」
キマイラの後ろに、ぴったりとつけて飛ぶケイオス。
魔獣は完全に怯え切っていた。とにかく全力で逃げている。だが悲しいかな、全く距離を引き離せていない。
「残念ながら古来より、魔王からは逃げられないと決まっているのだよ」
ケイオスは右腕を振り上げた。影爪で叩き落すつもりであった。
ところがそれより先に、何かが飛来してきてキマイラが悲鳴を上げた。
「オォォォン!」
左の目に矢が突き刺さっていた。空中でバランスを崩した魔獣が、回転しながら落下していく。
何事かとケイオスが訝しんで見ていると、自分にも矢が飛んできて腹部に刺さった。
「何ィッ?!」
そこへもう一度、矢が飛んで来る。ケイオスは咄嗟に影へと姿を変えて、矢を躱した。影に変異した事で刺さっていた矢が抜け落ちて、地上へと落下していく。
地上には三人の人影があった。
「やったか?」
問いかけた青年はエリク。
白い軽装鎧に身を包んだ剣士だ。動き易さ重視で細めのシルエットをしている。
装飾を施し洗練された鎧も然る事ながら、金髪碧眼の凛々しい顔。これは遥か遠く遠方、東の魔法国家ビノラオスが出自の特徴だった。
「私の矢は外れない。魔獣の目を射抜いた」
答えたのはベルドリット。
エルフの女であった。長身痩躯で、防寒具を着込んでいても身体つきが華奢なのが分かる。突き出た長い耳は純血のハイエルフの証だ。
身長と同じ位ある大きな弓を手にしている。彼女は弓の腕に特化したアーチャーである。その台詞からも自信が窺えた。
「グルルォッ!」
急所に矢を撃ち込まれたキマイラはひとしきり苦しみもがいた後、まさに手負いの獣となって立ち上がった。
怒りが先程までの恐怖を打ち消し、追い詰められた獣の最も危険な野生を引き出している。
「聖剣ライトブリンガーよ、力を!」
エリクが剣を抜いて走って行く。すると全身が淡く発光して、常人には不可能な速さで疾駆した。光の神から賜った聖剣が、祝福を付与したのだ。
近づくとキマイラが前足で薙ぎ払おうとしてきた。
エリクは跳躍してこれを躱す。身長の三倍程も高く跳び上がった。人間の跳躍としてあり得ない動きである。
高く跳んだエリクが、落下の勢いそのままに聖剣を振り下ろす。
獅子の頭が割られて、鮮血が吹き出した。
「グオオオ!」
怒りに我を忘れたキマイラが反撃の態勢を取ろうとするが、その身体へ矢が突き刺さった。ベルドリットが矢を放ったのだ。一矢、二の矢、三の矢と、まさしく矢継ぎ早に撃ち込まれていく。
これでは反撃どころではない。堪らずキマイラは飛び退った。
ところが飛び退いて着地した瞬間に、すぐ矢を撃ち込まれる。魔獣の身体中に次々と矢が突き立つ。
怒り狂った大型の魔獣といえど流石にこれには怯み、体躯を丸めて身を護った。
「ヴァー・イニ・エラ・シャア・ヴィーズド・ホァウ・・・・・・万物に宿りし火の元素よ。ルク・ダ・ホァ・ソウル・・・・・・渦を巻いて立ち昇り天空を焦がせ」
後方で長い呪文を詠唱していた女魔法使いが居た。
幅広ブリムのとんがり帽子にローブを着こみ、魔法使い然とした恰好。
名前はマデリンという。
髪は赤毛よりの黒で、肩に付かない程度に綺麗に切り揃えられている。彼女も魔法国家ビノラオス出身だが、金髪ではなく目の色も黒であった。
呪文の詠唱が終わりに近づくにつれて、この場に居る誰もが感じる程に異常な魔力の高まりが発生した。
ビノラオスの名を有名たらしめたものの一つに、長い詠唱から紡ぎ出される高威力の大魔法がある。
大魔法は古より国家間の戦争に度々使用された。大規模な破壊をもたらす禁忌の魔法と称され、各地の文献に残っている。
マデリンが大杖を魔獣に向けて構えた。杖の先端の魔石に、魔力が集中して光を放ち始める。
大魔法発動の準備が完了した。
「撃つわよ! 離れて!」
その声を聞いてキマイラにとどめを刺そうとしていたエリクが、身を翻して距離を取った。
「炎に巻かれなさい! フレイムヴォーテクス!」
キマイラの足元から突然、青い炎が吹き上げた。炎は激しく渦を巻いて空へと舞い上がり、その先で赤く変色して燃えている。
ゴオオオォォォ!!
凄まじい音だ。普通の燃え方ではない。渦を巻く事で空気を取り込み、炎が完全燃焼しているのだ。中心部は灼熱の地獄と化していた。
周辺の空気を吸い込むようにして上へと巻き上げているので、周囲には熱風が来ないようになっている。だがそれでも炎が発する輻射熱で、辺りは焼けるような熱に満たされた。
「クォオオオン!」
キマイラが苦悶の悲鳴を上げたが、それっきりである。
全身が超高音の炎に包まれて一瞬暴れるも、吠えた後に息を吸い込んで肺の中まで焼けてしまった。
文字通り息の根が止まったのだ。
灼熱の炎の中、キマイラは一瞬で絶命した。
「呆気ないわね。これアタシ達が出る必要あった?」
エリクが戻ってくると、マデリンが余裕を持て余した様子で問いかける。
「相変わらず凄い魔法だね。僕まで焼くつもりかと思った」
エリクが皮肉を言う。
確かにマデリンの大魔法はやり過ぎの感があった。エリクの軽装鎧など金属が熱を持ち、素手で触ると火傷しそうな温度になっている。
「何よ大袈裟ね。魔法耐性があるんだから、直撃しても平気でしょ」
「流石にあんなの無理だって。丸焼きになっちゃうよ」
涼しい顔をしていたマデリンはフフッと笑った。
炎はまだ燃え続けていた。
魔獣の巨躯が、炭化した部分から少しずつ崩れ落ちていく。
「安心するのはまだ早い。さっきもう一人居た。空を飛んでたから、普通の人間じゃない」
出し抜けにベルドリットが言った。
「えっ何、そんなの居た?」
「そいつが親玉か」
三人は再び気を引き締め、周囲を警戒する。
すると、パン、パン、パン、とゆっくりした拍手の音が聞こえた。
「やってくれるじゃあないか。見事だ。だがあれは私の獲物だったのだぞ。横取りとはマナーが悪い連中だ」
エリク達が振り返ると、後方の大分離れた所に黒づくめの男が居る。
「我が名はケイオス・アインドルフ・ルノーゼスファウンゼン・フォン・ジュノーシュタット・リヒテンハイド」
三人は突如現れてやたらと長い名を名乗るこの男が、敵か味方か判断に逡巡した。
「私はヴァンパイアでね。しかも真祖と同等の力を有している。さっきの魔獣など雑魚同然だ。格が違うぞ」
真祖とは元から吸血鬼であった者の事である。吸血鬼に噛まれて吸血鬼になった者はサーヴァントと呼ばれ、同じヴァンパイアではあるが使用出来る能力に限りがある。
強力な力を持つ吸血鬼の真祖は、大変な脅威として広く知られていた。
恐らくは敵だ。三人は各々が身構え、いつでも戦える態勢を取った。
魔法『フレイムヴォーテクス』
炎の大魔法。対象の下から直径五十フート(約15m)程の火炎の渦を発生させる。周辺の空気を巻き込んで取り入れる為、炎は完全燃焼して青く吹き上がる。
この炎は高温であり、中心部は約二千℃程で鉄をも溶かしてしまう。大概の物は焼き尽くせるので、強大な敵や頑強な城門・建築物の破壊などに有用である。
但し、術者は輻射熱による火傷に注意しなければならない。




