第057話 「呆れた男」
「アーロン! 息を止め給え!」
ケイオスが叫んだ。
ガシャン! とガラスの割れる音。
するとたちまち周囲に緑色の濃い煙が広がりだした。彼自慢のポイズンミストポーションだ。煙はアーロンもろとも巻き込んで、爆発的な勢いで広がっていく。
「走れ! こっちだ!」
ケイオスは守り貝を急いで拾って結界を解き、煙から逃れるように走りだした。
アーロンに声は届いただろうかと一瞬振り返ってみるが、彼の姿は無い。止まれば毒霧にやられてしまうので、ケイオスはただただ走った。
そうして逃げていくとロジャーの姿が見えた。
「ハァ、ハァ、無事かね?」
「うん。さっきまで追われてたんだけど、急にあいつ等居なくなったね」
言いながらロジャーは心眼で気配を探っている。すっかりコボルド達は居なくなっていた。
「ポイズンミストポーションを使ったのだ。犬なら嗅覚も相当なものだろう。毒の臭いを嫌うのではないかと考えたのだが、やはり効果的だったようだな」
ケイオスが得意気に言う。
「アーロンも巻き込んだの? 大丈夫なのそれ?!」
「分からん。無事だといいが。まあ鬼が死ぬ程の毒ではないだろう」
なんて酷いヤツだ、とロジャーは眉を顰めた。
「探さないと」
「戻るのは危険だ。毒霧が晴れるまで待とう」
アーロンを心配するロジャーだったが、ケイオスに引き留められる。焦れる気持ちだが、待つより他は無かった。
「うぉーい。喉が痛ぇ。水をくれー」
果たせるかな、無事にアーロンが後方から歩いて来るのが見えた時、ロジャーは深い安堵の息を漏らした。
酷くしわがれた声だ。ロジャーは急いで駆け寄って水を与えた。
アーロンが足元に身を横たえる。酷く苦しみ、酩酊するように唸っていた。
ケイオスが容態を診る。
「フム。とりあえず命に別状は無かろう」
「いやこれ、アーロンでなかったら死んでるんじゃないの?」
超回復能力を持つ鬼の頑強さのアーロンが、酷く苦しんでいるのだ。常人だったらとっくに絶命しているだろう。
「だがアーロンだから死んでいない。想定内の結果だ」
ケイオスは両手を広げて、おどけたようにそう言った。
ロジャーは鼻白んだ。呆れた男だ。どうもこういうところは好きになれない。
「ケイオス、さっきの煙・・・・・・何だよ、あれ」
アーロンがしわがれた声で何か言いかける。
ああ、これは流石にアーロンも怒るんじゃないか、とロジャーは見ていた。
「・・・・・・すげえよ。助かったぜ。俺は小さくてすばしこい奴等が苦手なんだ」
予想に反した台詞に、ロジャーは眉間に皺を寄せた。
「あの煙一発でコボルドの大群を追っ払った・・・・・・すごい魔法だな」
「フッ。あれは魔法ではない。錬金術だ」
ケイオスはまたも得意顔である。
これでいいのだろうか? 仲間内に亀裂が生じなかったのは良い事なのだが。
ロジャーは何とも腑に落ちないものを感じ、首を捻った。
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アーロンの回復を待つ間、ケイオスは独りコボルドの死骸を見回っていた。
あの後少し周辺を調べたところ、毒霧から逃げ遅れたコボルドが多数死んでいるのが見つかったのだ。
「魔導書ネクロギアよ。ケイオス・アインドルフ・ルノーゼスファウンゼン・フォン・ジュノーシュタット・リヒテンハイドの名の元に命ずる───」
枯れた落ち葉だらけの森の中では、地面に魔法陣を描く事が出来ない。
ケイオスは長い呪文を唱えて、一体ずつコボルドの魂を魔導書ネクロギアに吸わせていた。
「ケイオス~! 何やってるの! そろそろ行くよー!」
ほどなくしてアーロンが回復したのだろう。ロジャーが呼ぶ声が聞こえてきた。
「待ち給え! もう少しで終わる。すぐそっちに行く!」
ロジャー達には鎮魂の術だと言ってある。
「良いぞ。コボルド如き魂では大した力にはならないが、数を集めれば中々のものじゃないか。魔導書のパワーは着実に上がっている。ククク!」
ケイオスは邪悪な笑みを漏らした。
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一行は北へと進んだ。
うっそうと枯れ藪が茂る中、復活したアーロンが大剣でそれを切り払って先へと進んでいく。
それから二日が経過した。
あのコボルドの大群と遭遇してからは、一切他の生き物を見ていない。平穏無事な進行が続いている。
経験上よく知った状況だ。魔物の群れが居た場所というのは他の生物が狩られており、その群れを討伐した場合しばらくは何も出なくなる。
冬という事もあり、野生動物が全体的にあまり活動していない。
余計な遭遇が無い事はありがたかった。
しばらく後になって分かったのだが、この森は明らかに通り道ではないかと思われる開けた場所と、そうでない藪が壁のようになっていた。
ロジャー達は強引に藪を切り開いて直進してきたが、どうやらこの森には人が通れるようにしたところがあるように感じられるのだった。
ロジャーは思い出す。師匠は北東にウェンドリドという部族の村があると言っていた。もしかしたらそこに近づいて来たんじゃないかと。
「なあ、あとどの位行けば良いんだ?」
その日の晩、野宿した夕食時にアーロンが口を開いた。
「聞いた話では三日程でウェンドリドに着くって」
ロジャーが言うと、ケイオスがうんざりした様子で嘆く。
「その三日というのは、明日も一日中歩いての三日かね?それとも明日の昼には着くのだろうか。いずれにせよ私はもう限界だぞ」
ケイオスはナップサックにもたれ掛かって、くたびれた様子で座り込んでいた。。
「そのパンパンに膨らんだ荷物が、もっと少なかったら楽だったんじゃないの?」
ロジャーが皮肉を言う。
「私の貧弱さを舐めてもらっては困る。この荷に入ったフィーバーポーションが無ければ、昨日でとっくに限界だった」
威張る事ではないのだが、ケイオス堂々とそう言った。
とはいえ、こんなのいつ使うんだと思われた毒のポーションであっても、無ければコボルドとの戦闘はより苦戦しただろう。
ケイオスの荷物は、結果として全くの無駄とも言い切れなかった。
「もう目的地は近いはずだよ。本当に運が良ければ、明日の昼には着けるんじゃないの? 分かんないけど」
「本当だろうな? 期待するぞ?」
森の中である事を考えると、実際はまだ道のりがあるだろう。だがケイオスが萎えてしまわないよう、ロジャーは希望を持たせる言い方をした。




