第035話 「友との密約」
馬車に揺られて二日が経過した。
もう目的地は近い。そこが師匠と待ち合わせをしている街だ。
城塞都市ウェストリコ。
大昔から高い城壁に守られた戦時の拠点となる街であった。その北にスティリア砦と防壁が出来てからは平穏が続いている。
北の守りのお陰で商業活動が盛んだ。ウェスティア国の最果てにありながら、最も活気のある特殊な都市である。
後半日もすればウェストリコに着くだろう。
ロジャーはアーロンと暇つぶしに色々と雑談をしていた。
ケイオスにも話は振ってみたが、魔導書を読み耽ってあまり会話に参加しない。俗っぽい会話に興味が無いようだった。
話をする内、シェナビアでのアーロンの振る舞いを羨む話になった。あれくらいモテてみたいとロジャーが言う。
アーロンは上機嫌で女性の扱いの指南を始めた。二人は今までより一層打ち解け合って談笑する。
「何だロジャー、お前もしかして童貞か?ハッハッハ」
「・・・・・・童貞って何? それって恥ずかしい事なの?」
聞き返すとアーロンは笑いながら答える。
「バカお前、当たり前じゃないか。あまり人に言わない方が良いぞ」
「うっ、そうなんだ。でも、これまで女の子に出会う機会も少なくて・・・・・・」
思えば厳しい修行の日々だった。浮ついた事など出来るはずも無い。
ロジャーはこれまでの禁欲的な生活と、乱暴な師匠の性格について話した。
それを聞くと、アーロンは真面目な顔になって言った。
「このままでいいのか? これじゃ女と付き合う機会なんて無いぞ」
お前はこの任務を終えたら、多分きっと次の任務が課される。もしくはまた厳しい修行の日々だ。それでいいのか?と、アーロンはロジャーに問い掛けた。
もっと言うとこのままだと一生童貞だぞ、と・・・・・・!
それを聞いてロジャーは背筋が凍る思いがした。
確かにその通りだ。アーロンの言う事は的を得ていた。
彼とて年頃の男子である。女性について夢見ている様々な願望を、自分もいつかは、と心に思い描いている。
だがこのままではそんな夢はずっと叶いっこない。
一生童貞。その台詞の衝撃は重かった。心臓にズシンと響く。
「なあ、ウェストリコってのは大きい街なんだろ? なら、師匠とやらに合流する前に、宿を取って一晩遊びに行かないか?」
「ええっ?! 駄目だよそんな。ただでさえ遅れているのに」
根が真面目なロジャーは否定した。そういう考え方自体するタイプではない。
「どうせもう遅れているなら、もう一日遅れるくらいどうって事無いだろ?」
「いや、でもそんな・・・・・・」
ロジャーは言いかけたが、一理あると思って言い淀んだ。
「やりたくはないのか? それなら無理に誘いはしないけどな。ここで童貞卒業しといた方が良いと思ったんだが」
ズギューン! ロジャーのハートに衝撃が走った。
童貞卒業。何という恐ろしい甘言か。まるで悪魔が人の心に取り入るが如くである。
そんな事をしてはいけない。いけないんだと分かっている。だがロジャーの頭の中で、何かが手招きをするのを感じた。
駄目だ駄目だと頭を振る。
だがもう否定する事は出来なかった。アーロンの提案に乗りたい。ロジャーは葛藤した。
「でも師匠にバレたら殺される・・・・・・」
師匠がガルルル、と猛獣のように唸る様がロジャーの目に浮かぶ。
「バレなきゃいいだろ。それにこんなチャンスはもう中々無いと思うぜ。お前、一生童貞のままでも良いのかよ?」
師匠は怖い。だがこれを逃せば次はいつになるか。
リスクを恐れて冒険しなければ性交、もとい成功はないのだ。ロジャーの心の防波堤は決壊寸前となった。
ケイオスをチラリと見ると彼もこちらを見た。
「・・・・・・私も時間が欲しい。シェナビアで研究していた残りを終えておきたいんだ」
君達が遊んでくるなら私も好都合だ、と彼は言った。
これは暗に君の師匠には告げ口をしないであげるよ、というニュアンスが含まれているようにも感じられた。行っておいでロジャー、とでも言うかのように。
全部ロジャーの都合の良い解釈であるが。
「か、可愛い娘、居るかな・・・・・・?」
「そりゃあ居るだろ。大きな街だぜ? 選り取り見取りよ。金さえあればな」
可愛い娘。あのリーナのような娘が居るだろうか。
ロジャーはゴクリと唾を飲み、腰の財布袋に手をやった。そこにはまだ金貨が九枚入っているのだ。銀貨で九百枚分だ。これは十分過ぎる軍資金と言える。
「背は、背は・・・・・・小さい方がいいな・・・・・・」
恥ずかしくなり、最後の方は消え入るような声になった。
「クックックッ! お前そっち系かよ! 大丈夫だ。金さえあればきっと見つかるぜ」
ロジャーは想像した。自分より小さな美少女を。自分の背が小さい事にコンプレックスがある彼は、そっち系なのであった。
妄想する。その小さな美少女が上目遣いで自分を見るのを。甘い吐息でお兄ちゃんこっちに来て、と誘うのを。
「行くよ。アーロン。僕は童貞を卒業するんだ」
ロジャーは堕ちた。
理想の娘が手招きしているのだ。もはや行かない理由が無い。それは勝手な妄想であったが、ロジャーの心を強力な推進力で推し進めた。
アーロンが右手を差し出す。二人はガッシリと握手をして密約した。
「決まりだな。へへっ」
そんな話をしながら過ごしている内に荷馬車は進んでいき、昼頃になった。手綱を握っていたコネリーが、振り返って三人に声を掛けてくる。
「お~い、皆ちょっとここで降りてみな」
荷馬車が止まったので、何かと思いロジャー達が荷馬車を降りる。
そこは小高い丘の上であった。
「ここからの眺めが最高なんだよ。幌の中に居てこれを見ないんじゃあ勿体無いわい。一度この景色は見ておいた方が良い」
御者台の上からコネリーが前方を指さした。




